06/06/28
■ リケッチャの偏性寄生性について
【質問】
 ●●大学医学部医学科1年生の■■です。授業で“発疹チフス”について調べることになったのですが, ひとつ質問があってメールさせていただきました。エッセンシャル微生物学 (1989年発行) には以下のことが書かれていました。

 リケッチアはクラミジアと異なり, クエン酸回路, Embden-Meyerhof回路に関するすべての酵素をもっている。また細胞質膜に結合した ATPaseをもっており, 宿主ATPに依存する寄生体ではないが, 宿主ATPを利用することもできる。自己ATPは細胞外での生存に不可欠と考えられている。リケッチアにはチトクロームa, bもある。リケッチアの増殖には細胞の増殖能や核機能は必要でなく, 無核細胞やコルヒチンで分裂中期にそろえた細胞, UV照射で分裂を阻止した細胞, シクロヘキシミドでタンパク合成を抑制した細胞などで増殖できる。しかし, 一般細菌同様の代謝能をもっているにもかかわらず, 多くのリケッチアが偏性寄生性であることの明確な説明はなされていない。

 授業の発表の際に上記の文章を引用したところ, 教授から, “それじゃあ, どこまでならわかっているのか。どのような仮説が出されているのかを調べてきなさい”と言われました。この文章は1989年出版の本から引用したものなので, 現在はもっと多くのことがわかっていると思います。そこら辺を教えていただけないでしょうか。また, 2006年現在でもあまりわかっていないのでしたら, その理由を歴史的・政治的・社会的など, どの方面でもよいので教えてくださると幸いです。

【回答】
 まずは学問に対する真摯な姿勢に敬意を表します。さて, ご質問に対して一言で回答するとすれば, 今日でも「多くのリケッチアが偏性寄生性であることの明確な説明はなされていない」と思います。一般に宿主に感染することができる微生物については; (1) 偏性細胞外寄生性, (2) 細胞内寄生性 (通性細胞内増殖性), (3) 性細胞内寄生性の3種類に分けて考えられています。病原微生物の多くは (1) の偏性細胞外寄生性であり, マクロファージや多核白血球に貪食されますが, 一部には食細胞に食菌されても, 細胞内でその殺菌機構をかいくぐって増殖可能なものもあり, それらは (2) の細胞内寄生性であると言います。結核菌, レジオネラ, チフス菌などがこれらに含まれます。一方, 偏性細胞内寄生性微生物は, それ自身を無細胞系の培地で培養することが出来ないものを指します。すべてのウイルスや今回のご質問のリケッチアなどが該当します。

 さて, 確かにクラミジアとリケッチアは偏性細胞内寄生性細菌です。クラミジアは質問者が指摘されている通り, ATP などが合成できないために偏性細胞内寄生性となっています。一方, リケッチアは, クラミジアとは異なり, エネルギー産生系や発育増殖に必要な機構をすべて具備しています。そのリケッチアが, 何故, 細胞内でしか発育増殖出来ないのかですが・・・

一般には, (1) 発育増殖に不可欠な代謝能力 (の一部) が欠落しており, 感染宿主細胞に依存している, (2) 細胞外では極めて不安定で, 死滅しやすいの2点から説明することが出来ると思います。 

 クラミジアについては, (1) がその理由に相当し, 自身がエネルギー産生系をもたない為に, 感染した宿主細胞の産生するATPを利用して初めて代謝を行うことが出来るということで説明されます。一方, ご質問のリケッチアについてですが, (2) の理由が主たる要因であると考えられています。リケッチアの細胞膜は極めて透過性が高く, 感染した細胞から栄養分を吸収し易い利点をもつ一方で, 細胞外ではリケッチア内の各種成分が容易に漏出してしまうために, 細胞外では生きられないのではないかとする考え方があります。現在は, この考え方が最も支持されているものと思います。

 それでは何故, 2006年の現在でもクラミジアについては判っていないことが多いのでしょうか。これにはいくつかの要因が考えられると思います。以下はまったく回答者の個人的な見解ですので, それを含んだ上でお読み下さい。

 まず, リケッチアは偏性細胞寄生性菌であり, 人工培地で容易に培養することが出来ない為に, 形態学的性状, 生化学的性状, 細胞膜脂質組成等々の詳細な性状を調べるのにも困難が伴うなど, そもそも研究対象としては極めて扱い難い微生物であったことに尽きるのではないかと思います。

 近年, 生物学的ならびに生化学的アプローチに加えて分子生物学的アプローチがリケッチアの分類学にもおよび始め;

(1) Q 熱の原因菌である Coxiella burnetii は偏性細胞内寄生菌であり, 人工培地では増殖しないが、, 遺伝学的にレジオネラ属と近縁であることが判明して, レジオネラ目のコクシエラ科に移された。

(2) 塹壕熱病原体が分類されていた Rochalimaea は人工培地での培養が可能であり, バルトネラ属へ移された。

(3) 人工培地での培養が可能であったバルトネラ属は, 同じく細胞内寄生菌であるブルセラ属に近いことが分かり, リゾビア目 Rhizobiales に移された。

(4) つつが虫病の病原菌 Rickettsia tsutsugamushi はぺプチドグリカンがなくOrientia 属へ移され O. tsutsugamushi と学名が変更された。

(5) エールリキア Ehrlichia 属は単球や顆粒球の食細胞内で増殖するという特徴があり, サイトソゾル内で増殖するリケッチアとは異なる。

(6) エールリキア属に分類されていた (腺熱の病原体) は 16S rRNA の類似度から Neorickettsia 属に移された。

等々, リケッチアについても多くの研究者の関心を集めて来ていることを考えれば, ご質問に対する明確な回答が示される日も遠くないかも知れません。それとも, あなた自身が将来, この方面の研究を推進して行って下さるのでしょうか。未来のあなたに期待します。

(信州大学・川上 由行) 

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