ファージ・ディスプレイによる抗イディオタイプ抗体の臨床への応用

はじめに

 Jerneのイディオタイプ(Id)・ネットワーク仮説以来、生体内における抗体産生はId-抗Id間の相互作用によって調節されており、自己抗体はそのバランスの破綻により産生される可能性が示唆されている。また、抗Id抗体は元の抗体のエピトープの内部イメージを有する事から、外来性抗原評品中の不純物を含まない「安全なワクチン」様に応用することが可能である。事実、抗Id抗体による抗原特異的免疫応答の誘導が試みられ、ウイルス抗原に対する抗Idワクチンの作成や、抗Id抗体を用いたB細胞性腫瘍への治療も実際に試みられている。しかし、従来こうした目的で使用されたモノクローナル抗Id抗体の多くはマウス・ハイブリドーマ由来、つまりヒトにとっては異種蛋白であるため、これらを直接ヒトに投与することは不純物を含まない「安全なワクチン」を投与した結果マウスの異種蛋白を投与する事になるというパラドックスを抱えていた。事実、抗体の投与により新たなる免疫反応が惹起され各種アレルギー反応が有害反応として起こったり、治療効果も一時的なものが多い事が知られている。また、後に開発されたEBウイルス・トランスフォームによるモノクローナル抗体はIgM型の抗体が多く親和性が低いという欠点を有し、ヒトの疾患治療に積極的に使用するにはパワー不足であった。従って、ヒト由来の蛋白で、かつ親和性の高いIgG型のモノクローナル抗Id抗体の開発が待たれていた。
 本稿では、近年開発されたファージ・ディスプレイ型のコンビナトリアル抗体Fabライブラリー・システムを用いて、ヒト型のモノクローナル抗Id抗体を作成できる可能性について述べる。

1、ファージ・ディスプレイ型のコンビナトリアル抗体Fabライブラリー・システムによるヒト型モノクローナル抗体の発現-クローニング

 コンビナトリアル・ライブラリーという言葉は化学合成のジャンルにおいても使われるが、本稿においては以後、抗体の 重鎖と軽鎖を1セットづつの組み合わせとして持つFabのライブラリーを、単にコンビナトリアル・ライブラリーと呼ぶことにする。このシステムは遺伝子工学の手法を基盤として開発され、前述のハイブリドーマにおけるヒト型抗体を作成できないという欠点を克服し、更に大腸菌にて増やすことが出来るためハイブリドーマという細胞株を増殖させるのに比べ時間とコストを減らす事を可能とした。様々な方法が確立されつつあるが、現在のところスクリップス研究所(La Jolla, CA. USA)の方法と、ケンブリッジ抗体研究所(Cambridge.UK)の方法が2大主流である。スクリップスのシステムは、ヒトの骨髄などよりmRNAを抽出しcDNAを合成後、重鎖および軽鎖遺伝子を各々数組のプライマー・セットを用いてRT-PCRで増幅し、重鎖はXho1, Spe1、軽鎖はXba1, Sac1という制限酵素で切断後に順次pComb3またはpComb3Hというベクターに組み込みライブラリーを構築する。一方のケンブリッジのシステムでは、重鎖と軽鎖をRT-PCRで増幅するところまでは同様だが、その後重鎖と軽鎖をリンカーにて接続後に2nd PCRを行ない、Sfi1, Not1という制限酵素にて切断後に一括してpCANTAB5Eというベクターに組み込みライブラリーを構築する。これらのライブラリーにM13系のヘルパー・ファージを感染させる事によりファージ表面に一組のFabを表出するファージ・ディスプレイ型のコンビナトリアル・ライブラリーとなる。その後の抗原特異的なFabクローンをライブラリーより選択-濃縮する過程はPanningと呼ばれている。通常はELISAプレート等に固相化した抗原にファージ・ディスプレイ型のコンビナトリアル・ライブラリーを一定時間反応させた後、非特異的結合を洗い除き、特異的に結合したファージのみを酸で溶出し、再度大腸菌に感染させ増幅しそこからファージを抽出し、次のラウンドの抗原に反応させる。この過程を通常は3〜6ラウンド繰り返す事により、抗原に特異的に結合するFabを持つファージを濃縮できる。一般に1ラウンドのPanningで抗原に特異的に結合するFabを持つファージをおよそ100倍に濃縮できるとされている。Panningの最終ラウンド後、スクリーニングのための可溶性Fabを作成するが、ここでもまた2つのシステムは異なっている。スクリップスのシステムでは、GeneIIIという遺伝子部分(重鎖遺伝子を大腸菌の細胞壁内膜に固定するCoat protein IIIという蛋白をコードする)をNhe1, Spe1という制限酵素にて切断後にセルフ・ライゲーションさせる事により、可溶性のFabを発現するプラスミドに転換できる。一方のケンブリッジのシステムでは大腸菌をノンサプレッサー株に組み替える事により可溶性のFabを発現できる。このようにして作成した可溶性Fab溶液を用いて通常はELISA等にて抗原特異的なFabをスクリーニングする。良いFabクローンが得られれば大量培養後に精製しその親和性、特異性、交叉反応性などが調べられる。この両者のシステムの優劣に関しては著者は前者のシステムしか使用経験がないため言及できない。尚、後者はPharmacia Biotechよりキットとして市販されているが、前者に関しては今のところ手に入れるにはスクリップス研究所に直接コンタクトし購入するしかない。

2、ヒト型モノクローナル抗体の今までの適用

 ヒト型抗体を実際にヒトに投与できるという利点から、感染症の治療特に現在ある薬剤が限られた効果しかないウイルス疾患に対して中和抗体を投与する、つまりは受動免疫の方向から盛んに研究が勧められている。今までのところ、HIV、単純ヘルペスウイルス、水痘帯状疱疹ウイルス、RSウイルス、EBウイルス、サイトメガロウイルス、麻疹ウイルス、風疹ウイルス、デングウイルス、エボラウイルス、ロタウイルス等に対するヒト型抗体がクローニングされ、その一部は既に臨床応用が始まっている。これらウイルスに対する抗体はその親和性だけではなく、その中和活性の強さが重要となる。
 一方、自己免疫疾患における自己抗体に関しても様々な疾患の患者由来のヒト型モノクローナル自己抗体がクローニングされている。抗DNA抗体、抗核抗体、甲状腺ペルオキシダーゼやサイログロブリンに対する抗体、ミトコンドリア自己抗原PDC-E2に対する抗体、pANCA(好中球細胞質抗体)、U1 RNA関連A蛋白に対する抗体、抗アセチルコリン・レセプター抗体、抗カルジオリピン抗体、抗SS-A抗体等が報告されている。しかしながら、自己抗体を直接ヒトに投与しても即治療となる訳ではないので、臨床応用となるともう一ひねり二ひねりが必要となってくる。自己抗体のアッセイ系の陽性コントロールにする等、診断への応用は幾つか可能であろう。また、この種の研究が盛んに行なわれれば、最終的にはヒトゲノムの全解析という発想に似た、全ての自己抗原および自己抗体のクローニングという目標も達成できるかもしれない。

3、シェーグレン症候群におけるVg遺伝子再構成

 ここから、当科におけるシェーグレン症候群(SS)におけるリウマトイド因子(RF)に対する共通Idに関する知見に関して述べる。まず、SSには悪性リンパ腫やM蛋白血症等のリンパ増殖性病変の合併が多い事が知られている。合併する悪性リンパ腫は比較的低悪性度(Indolent)に属するMarginal zone B細胞リンパ種が多いが、その他の組織型のものも報告されており、その危険度は報告によりまちまちだが数十倍と考えられる。
 我々はSS患者由来の4種類のモノクローナルRFに対して従来のマウス・ハイブリドーマ法によりモノクローナル抗Id抗体を作成した。その結果、SS患者では高率に共通Idを有している事が分かった。なかでも、IgA-λ型M蛋白血症、高γグロブリン血症性紫斑、過粘稠症候群を有する患者SF由来のA-SF18/2は、a)健常者に比べ、SS患者の血清および末梢血リンパ球に高率に反応した。b)κ鎖産生多発性骨髄腫細胞株ILKM3に反応した。そこで、ILKM3の免疫グロブリン軽鎖Vκ遺伝子の塩基配列を調べたところ、VκIIIa sub-subgroupに属するVg遺伝子と95.8%の共通性が認められた。
 従って、SS患者においてVg遺伝子または類似のVκIII subgroup遺伝子が高率に保存されながら使用されている可能性について検討した。その結果、SS患者末梢血リンパ球において、VκIII subgroup遺伝子が高率に再構成し認められた。また、Vg遺伝子の再構成クローンの割合に関して、Bridgesらの慢性関節リウマチにおける報告(16%)にに比べ、SSでは高率(40%)と高率であった。更に、再構成していたVgクローンのGermlineとの相同性は、同一患者においても98.6%, 95.8%と異なっており、主に変異がCDR3領域に存在していた(Ongoing mutation)。以上より、SS患者の末梢血レベルでVg遺伝子が、高率にサザンブロットで検出される程度の変異で保存されながらも再構成しており、かつOngoingである事が、共通Idが高率に認められ、そこからリンパ増殖性病変が発症しやすい一つの要因と考えられた(図1)
 しかしながら、A-SF18/2の反応するエピトープが、重鎖と軽鎖のいずれか、もしくはその両者であるのか、そのどの部分であるのか等の疑問が残っていた。

4、シェーグレン症候群におけるイディオタイプ・ネットワーク

 先の疑問を解決するため、コンビナトリアル・ライブラリーを用いて、A-SF18/2に反応するFabクローンを得る事を目的に以下の実験を行なった。
 まず、慢性関節リウマチと二次性SSの患者(後に悪性リンパ腫を発症し死亡、抗核抗体×160 Speckled、RF×10000、ELISAにて血清はA-SF18/2に強陽性に反応)の骨髄よりRNAを抽出し、前述の手法でコンビナトリアル・ライブラリーを作成した。固相化したA-SF18/2に対して計6ラウンドのPanningを行ない、A-SF18/2に対して反応するFabクローンをELISAにてスクリーニングした(図2)
 その結果、計5クローンのFab;SFSTκ-1,2,3,6,8が得られた(図3)。このうちSFSTκ-3はA-SF18/2と強い親和性を有していたが、オバルブミン, ヒトIgG-Fc, マウスIgG-Fcとも交叉反応性を示した。一方、SFSTκ-1,2,6,8はA-SF18/2との親和性は弱かったが交叉反応性は無かった。また5つのFabクローンの全てが重鎖遺伝子を有していたが、軽鎖遺伝子はSFSTκ-3と6のみにあり、1,2,8は軽鎖がなかった。重鎖のみでも親和性を認めたクローンがあることから、A-SF18/2は重鎖および軽鎖のどちらか一方にでも結合しうる事が示唆された。最も近いGermline遺伝子は、重鎖はSFSTκ-1がDP-77/WHG16、2がDP-47/V3-23、3がDP-38/9-1、6がDP-47/V3-23、8がDP-50/hv3019b9であり、2と6が共通で、また全てVH3 subgroupであった。一方、軽鎖のGermlineはSFSTκ-3および6が共に最も近いのがDPK22/A27で、2番目に近いものが前述のVgであった。また、抗体の抗原特異性はCDR3領域が重要とされているため、各クローンのCDR3領域を比較したところ、重鎖ではSFST-1;DRGMYSSGT、2;QGSGWHHDA、3;ARLGYGRAL、6;DPTYYGDFGG、8;DDGGSであり、軽鎖では3;QNYGNSP、6;QQYSRSPで明らかな共通性は認められなかった。従って、A-SF18/2は免疫グロブリンの特定のアミノ酸配列ではなく、何らかの立体構造を認識している可能性が示唆された。SFSTκ-3のように強い親和性を有するクローンがもっと多く得られれば、結合するエピトープを更にはっきりと同定できると考えられ、現在当研究を継続中である。
 少なくとも、ファージ・ディスプレイ型のコンビナトリアル・ライブラリーから、抗Id抗体に結合する抗体Fabクローン;抗-抗Id抗体が得られる事が明らかとなった。

5、ヒト型モノクローナル抗イディオタイプ抗体の今後の応用

 まず、今までのところ限られた例でしか示されていないIdネットワークを証明する必要があると思われる。例えば今回の我々のFabクローンは、RFに対する抗Id抗体に対する抗体であるから、RFと同様の抗体活性を有している可能性がある。事実SFSTκ-3はヒトIgG-Fcとも交叉反応性を有していた。しかし、他のクローンはRF活性を示さなかった事から、Idのネットワークはそれほど厳密なものではなく、様々な抗体が交叉反応性という部分でルーズに繋がっている可能性がある。
 また、自己免疫疾患患者の抗体産生クローンは通常ポリクローナルに活性化されており、その中には様々な抗原に交叉反応するクローンも当然多く含まれており、従って今回のような手法でヒト型モノクローナル抗Id抗体を得やすい可能性がある。一方、自己免疫疾患を有しない感染症患者における異種蛋白に対する抗体に関してはどうだろうか。例えば、HIVのgp120に対するヒト型抗体に対して抗Id抗体が得られれば、gp120の内部イメージを持つワクチンとして使用できる訳だが、今までのところそのような報告は見当たらない。
 従って、ヒト型モノクローナル抗Id抗体を用いる事により、今までの感染症に対する受動免疫主体の抗体利用に代わり、ワクチンとして用いる能動免疫としての利用へ転換できる可能性は勿論ある。しかし、そのためには抗体が得られなければならないが、そこにはまだ不明な部分もあり今後の検討課題である。

おわりに

 コンビナトリアル・ライブラリーを用いた発現-クローニングにより抗Id抗体のエピトープを同定でき、Idネットワークや自己抗体産生の機序に対する理解を深められるであろう。抗Id抗体を用いたワクチン開発の可能性に関しては、更なる努力が必要と思われる。