2001年4月の日記;謎の下痢ウイルスに七転八倒

2001年4月の日記

2001.4.1.(日)
 新しい年度の始まり。そしてエイプリル・フール。
 モモが昨晩より発熱と下痢。
 結果、一家でいく予定にしていた、劇団飛行船マスクプレイミュージカル「白雪姫と7人のこびと」at 石川県厚生年金会館へ、ミハと2人で(妻とモモはお留守番)。
 夜、TVで「こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE」高松信司監督。一家皆で、どこかで見たことある話だね〜、と話していた。しばらく考えた後、劇場公開時に映画館へ皆で見にいった事を思い出す。どうりで、ストーリーを知っている訳だ。 

2001.4.2.(月)
 今日から新しい体制で血液免疫内科も新年度スタート。さあ、新しいチーズを探そう。
 教授回診。CCSの6年生がプレゼンテーションするが、皆着実に成長していて危なげなくプレゼンをこなし、時間も早く終わる。君達の一人でも将来血免に残ってくれる事を祈る。
 モモの熱はもう治ってしまったようで、なんだったのだ一体。ミハの「小学1年生」(懐かしい! 自分の子供の頃もこの雑誌を買ってもらっていた)の付録の、「ヒノアラシのファイアーバトル」を制作するのに1時間以上を費やす。だが、子供の雑誌の付録にしては難しすぎる。とても小学校に入学する時点の子供が作れるとは思えない。やっと、出来た! と思った頃には既にミハは寝ていた。仕方なく一人で遊ぶ。

2001.4.3.(火)
 浜野病院→当直。滞りなく久しぶりに自分の時間を過ごす。

2001.4.4.(水)
 外来、終わったのは4時だから、先週よりはましか。
 3月分のレセプト書き。
 1日が28時間くらいあったら良いなと、ふと思う。
 家に帰るとまた、モモが下痢していて、うっ! この白い便は、またもやロタウイルスの白色便下痢症。どうも、ロタって何回でも罹患するみたいですねえ。

2001.4.5.(木)
 先月、JCOG-LSGの新プロトコールを施設内IRBにかけてもらうための申請書を大学の倫理委員会にかけていただくように提出したら、管轄が違うと戻ってきた。病院のIRB(治験審査委員会)で審議してもらうようにとの事。以前のプロトコールは逆に、病院のIRBに提出したら、大学の倫理委員会で審議する事になった事もあり。どーでもいいけど、毎度どっちに提出したらいいのか分からないのは困る。また、病院のIRB用に書類を書き直して(これがまた、面倒くさい同じ様な書類ばっかり)やっと提出。
 明日病院にいないので、次週分の指示出し。
 明日、大阪へ行く前に、国際シェーグレン・シンポジウムのための寄付金募集要望書を読み合わせ。たくさーん手直しを加える事になってしまい、泣く泣くMacに向かう。
 6年生のCCS第1クールが本日で終了なので、医局でご苦労様会。もの凄い量のビール、ワイン、日本酒の空瓶が残る。
 今日はミハの入学式。子供の成長は早い。酔っ払いが帰宅した頃には、とっくに皆様おやすみでした。

2001.4.6.(金)
 う〜、また二日酔いだ。昨日はワイン飲みすぎたか?
 菅井教授、和野助教授とともに「大阪医薬品協会様どうぞ国際SSシンポジウムに寄付金をお願いします行脚の旅」。金沢発9:58(サンダーバード18)→12:28新大阪→(御堂筋線)→淀屋橋。こちらの説明に特に支出予算のところもあまり質問されずに終わり、不気味である。どうぞ、おねげえしますだ〜。帰りは、新大阪発16:46(サンダーバード33)→19:15金沢着。
 
2001.4.7.(土)
 溜まっていた入院患者のサマリーを3症例分書く。退院される度にすぐ書けば、溜まらない事は分かっているのだが、実行が伴わない。だめだねえ。
 溜まっていた、デジカメの画像を処理する。
 土曜日の当直は時間が沢山あるはずなのに、他にもやりたい事はいっぱいあったのに……。

2001.4.8.(日)
 朝からひどい下痢ピー。吐き気あり、食欲もなし。
 ミハも熱と嘔吐で調子悪し。
 モモは既に復調しているのだが、もしかしてモモのロタウイルスが感染したのだろうか。インターネットでRotavirus×adultで検索すると527件もでてくる。やはり、大人にも感染して下痢を起こすようである。
 こんな日はおとなしく寝ていればよいのだが、せっかくの日曜日でこんなに良い天気の日はないという貧乏症で、兼六園へお花見へ。しかし、兼六園についた頃には、私もミハもぐったりで、花見を楽しむどころではない。きっと体調が良ければ絶景(八分咲きくらいではあったが)に感じられたに違いないのに。ミハがへばって歩けなくなり、おんぶで運ぶ私もヘトヘト。早々に帰宅。
 帰宅し、私とミハはすぐにダウン。二人とも熱発あり。ああ……。

2001.4.9.(月)
 朝になってもしんどいまま。だが、今日はどうしてもはずせない仕事が多い日で休めない。
 6年生のCCS第二クールが6人と、5年生のBSLが9人本日より実習開始で、それぞれのオリエン。教授回診。学生への患者紹介。もう一つ大事なお仕事(秘密!)を終えて、もうこれ以上は無理という状態になり、外来へ行って一本点滴を。これで、体力が回復すればまた病棟へ戻ろうかとも思ったが、そんな生半可なものではなかったらしい。

2001.4.10.(火)
 引き続き体調絶不調。浜野病院の日だが、とても車をそこまで運転する自信もなく、電話でお詫びを入れて休みにしていただく。昼間は家でずーっと寝る。
 このまま寝ていられれば良いのだけれど、人生そう甘くはない。本日当直。重い体を引きずって医科大へ。ああ……。

2001.4.11.(水)
 下痢ピー第4病日。お腹は常にゴロゴロ言っていて、食欲全くなし。
 しかし、外来。どうなることやら。幸いにして本日は予約も新患も比較的少なく、2時半ころに終わる。
 その後、入院患者さんの回診をフラフラこなし、学生さん達の質問攻撃もノラクラかわし、早々に帰宅。早く寝る。
 さすがに、今回はビールを飲みたいとも思わない。

2001.4.12.(木)
 ようやく改善の兆し。日常業務はなんとかこなせるようにはなった。しかし、食欲はまだあまりなく、酒欲はまだ完全になし。
 いいダイエットと減酒の機会になったと考える事にしよう。
 本日と明日、マーサ大学の学生が一人、血免内科に。デカイ! 190cmあるらしい。やはり、違う生き物のようである。

2001.4.13.(金)
 マーサ大学のマシュー君に何か見せてあげてほしいと言われ、「何かと言われても…」。骨髄穿刺生検を見学してもらう事に。彼はアメリカではトライした事があるらしい。患者が太っていて、痛がってうまくいかなかったらしい。さもありなん。アメリカ人の太った人ときたら。
 車で実家へ。久しぶりにビールを口にしてみる。うーん、苦い。初めてビールを飲んだ時のよう。

2001.4.14.(土)
 日中は実家の外来。天気も良いが、あまり患者さんなし。
 夕方より、実家の従業員一同と花見。まず、とり肉専門のお店。ビール、お酒、まだまだ美味しいとは感じられず。
 高田公園の桜は満開。夜桜を堪能。ミハは出店を堪能した様子。実際、兼六園より沢山出店あり、ただし非常にヤンチャくさい。ミハは「そこのチビまる子!」と呼ばれ、私はモモのベビーカーを押していたためか「そこのシトシトピッチャンみたいなお兄さん!」と呼ばれ。

2001.4.15.(日)
 上越より金沢へ戻る途中、富山で大興山ランド→ファミリーパークをはしご。グッタリ。

2001.4.16.(月)
 今日は血免内科のお花見会。しかし、花は散っていて、葉っぱ見会。であろう…、と思っていたがやっぱり。どうせ、花よりダンゴかカラオケなのだが。6年生の学生が元気に盛り上がってくれたので、盛況のうちに無事終了。帰宅はやはり2時。反省の色なし。

2001.4.17.(火)
 どんなに二日酔いでも、朝は起きる事ができる。それが唯一の特技だったりして。
 良い天気の日。浜野病院までのドライブも快適。眠くさえなければね。
 吉村達也著/平木千草意匠監督「ついてくる 京都十三夜物語」(アミューズブックス)。吉村さんの仕掛けた怖い怖いビジュアル・ホラーという新ジャンルの登場。白装束の双子のお婆さんが出てきて血まみれになる夢を本当に見そうで、眠れなくなります。

2001.4.18.(水)
 外来。こんなものでしょう、3時に終了。
 一人の入院患者さんが、とある事で怒っている。話を聞くと怒る理由もある程度は分かる。しかしかなりの部分で誤解している。ここで、相手の誤解を指摘して論理的に説き伏せても、意味がないのであろう。かといって、ただ謝っても治まらないと思われる。ずるい様だが、時が解決するのを待つ事にする。大人になるというのは、こういう事だろうか。

2001.4.19.(木)
 もう明日は学会に行かねばならないのだが、仕事に収拾つかず。大分中途半端のままだが、続きはまた来週。
 夕方より、CCSの6年生とお勉強会。

2001.4.20.(金)
 朝ちょこっとだけ、医局で仕事。
 金沢発10:09(しらさぎ6)→13:07名古屋→金山。ホテルのチェックイン後に、学会場:名古屋国際会議場へ。
 野口悠紀雄著「インターネット『超』活用法2001」(講談社)。私の同年代でも残念ながら、IT文化が行き渡っていない。例えば同窓会の連絡;WWWやE-mailで皆が見てくれて、皆が返事をくれればとても楽なはず。IT革命が本当に起これば、何と楽な事が多いかは計り知れない。例えば町内の回覧板;あんなアナクロなものはIT時代には必要無いと思うのだが、同級生ですらだめなら、更に年配の世代にはまだまだ無理であろう。本書の冒頭に書かれているように、パソコンやインターネットを使うのは、義務ではなくて権利なのだ。「必要だから、止むを得ず我慢して使う」のではなくて、「こんな便利なものを使わないのはもったいないから、使う」のだというのも実に共感できる。ネットの大海を上手に泳ぐための「インターネット情報源」のアクセスナンバー付き。
 第63回日本血液学会。ポスターをぶらぶら見た後、どうもプログラムの配列に問題有り。興味をひくセッションがなく、学会場周辺:白鳥公園をぶらぶら。
 夕食はワノ先生、竹ちゃんらと鳥肉料理屋で水たき;とても美味。続いて立ち飲みで日本酒を飲ませてくれるお店;普通には市販していない蔵元から直接買い取ってきた、杜氏の名前が書いてあるお酒を;とても美味、だが立ち飲みでは長時間いられず。そのあともう一件行って、ホテルへ戻ったのは1時ころかしら。記憶あやふや。

2001.4.21.(土)
 朝からポスター貼り。サイズを全く考慮せず作っていったので決められた枠内に入るかどうか、貼ってみるまで分からなかったが、なんとかピッチリに収まる。全く無計画になったものである。学会に馴れたのか、学会をなめているのか。
 他の人のポスターを見ていると、ネコのMDS(骨髄異形成症候群)にシクロスポリンを投与した報告などあり、世の中にはいろんな研究をしている人が存在するものだ。
 昼は昨日美味しいという噂を聞いた、鰻屋さんへ行ってひつまぶしを食す。始めて食べたけど、お茶漬けにして食べるとあっさりしてイケル。ついでにキモ焼とビールを注文してしまう。少し気持ち良くなってから、学会場へ戻って1時よりポスターの発表。やはり、学会をなめている。
 ところで、昨日の鳥肉の水たきといい、鰻のひつまぶしといい、実は今まで名古屋の食文化を見くびっていたのだが、反省する。
 金山→名古屋発16:11(しらさぎ11)→19:07金沢。
 宮部みゆき著「魔術はささやく」(新潮文庫)。始めは無関係と思われた三つの死が、実は巧妙な魔術であやつられていて、更に4人目に魔の手が…。しかし、物語はこれだけでは終わらず、巧妙に張り巡らされた挿話が最後には見事に収斂する。このヒトの作品はどれも、良い方向に裏切られて感心する。

2001.4.22.(日)
 久しぶりの日当直なので、溜まっていた仕事を片付けるはずだった。しかし、達成できたのは溜まっていた入院患者サマリーの整理と、デジカメ画像の処理のみ。まだ、あれとあれとあれをやる予定だったのに。

2001.4.23.(月)
 
教授回診後、あちこち走り廻っているうちに一日終了。
 当直後はさっさと帰宅。内科医の中には病院にいつまでも遅く居残っている事を美徳としているような人も何故か大勢いる。そして、これを人に強いる偉い先生も多い。一方私は、仕事が無いときは早く帰る事を美徳にしたい。別に人に強いるつもりはないが、仕事もないのに遅くまで居残っているなんて、バカげている。

2001.4.24.(火)
 浜野病院→散髪→医科大へ。
 例の患者さん、まだ怒っている。やれやれ。

2001.4.25.(水)
 腹立たしい事、2題。
 1、例の患者さん;あまりに理不尽な文句を言い続け、大部屋の他の患者さん達への悪影響もあり、看護婦さんへの暴力的な言動まで出てきたので、さすがに堪忍袋の緒が切れた。家族に連絡し、強制退院していただく方向へ。
 2、某科のDr.Aが「予診室から廻る患者さんの数が自分のところだけ多すぎて不公平になっている」とクレームをつけてきた。予診室の記録で確認をとると、先日はたまたま1人だけ多く廻っていた。しかししかし、私の所に1人もしくはそれ以上多く廻ってくる時も沢山あるのである。このDr.Aがいつも文句を言うので、看護婦さんや受け付けの人達は遅い時間の新患を廻しづらく、結局私のところに廻されてくる事も、しょっちゅうあるのである。文句を言われっぱなしでいるのは、精神衛生上よろしくないので、明日正式に外来医長同士のレベルで、文句を言い返す事にする。いいこと!、1人や2人多く廻されたからといって、文句を言うような医者に新患外来をやる資格なんてないのよ、よろしくね。
 
 こんな精神状態で、ニコニコしながら仕事をするのは、なかなかにしんどい。
 本日は、妻の誕生日。なのでさっさと帰宅する。
 小泉さん、自民党総裁に選出。どんな内閣の人事になるか、しばらく見物。また日本の首相としては珍しくスタイリスティックな人なので、イメージは○。実力は未知数。

2001.4.26.(木)
 医局会が長々と続く。更に、電子カルテの説明会。なんで今更ともおもったが、なるほど、今まであまり知らなかった数々の機能がある事は分かった。しかし、どこまで使いこなせるかは別問題。
 国試合格発表の日。医科大も新卒者は90%以上合格。とりあえず、喜ばしい。一人でも多く、医科大に残って、内科系をローテイトしてくれい。
 小泉内閣、三役の人事から早くも物議を。最大派閥の橋本派がはずれたらしい。面白い面白い。

2001.4.27.(金)
 朝から、某先生の論文再投稿の手直し。
 しばらく動きのなかった私の受け持ち患者さんが、連休前で沢山退院される事に。すると、山ほどの書類書きをするハメに。
 車で上越へ。
 父と久しぶりに将棋。0:1で負け。敵陣を突破したところで、徹底的に攻めれば良かったのに、守りに入ったしまったのが、敗因。クヤシ〜。
 小泉内閣発足。またまたかなり派閥を無視した人事のようではある。ただし、森派の呪縛からは逃れられないようである。しばらくしたら、橋本派も反撃に出るのだろうか。いずれにしても、景気が回復してくるまで、ある程度時間をかけて仕事をして欲しいと思う。このまま短命内閣を繰り返していたら、本当に日本沈没してしまう。

2001.4.28.(土)
 実家の外来。本日の患者さんは、何故か女性ばかり。何故か「夜になると咳がひどくなる」という訴えの人ばかり。
 車で金沢へ。

2001.4.29.(日)
 みどりの日。
 ゴールデン・ウイークの始まり;だけど、日直だもんね。先日からの山ほどの書類書きの続きと、IVHカテーテル挿入だけで一日終わり。
 日曜日に日直すると、BS朝日で3時から延々とワールドプロレス完全版(しかも本日は猪木特集!)を延々と見てしまうので、仕事もままならない。だめだねえ!
 小泉内閣の支持率はいずれの調査でも、80%を超えている。ちょっと異常なバブル人気なのか、今までの内閣の支持率が単に低すぎただけなのか。何かをきっかけに、支持率がガタ落ちするという事の無いように祈りたい。

2001.4.30.(月)
 みどりの日の振替休日。
 津幡のモアイ農場でイチゴ狩り。入場料1000円分の元をとる程も食べられる訳はないが、一家で甘み十分のイチゴを楽しむ。
 これだけで休日が終われるはずなく、その後、のとじま水族館へ。ミハはイルカのショーを楽しんでいた様子。
 これでもう随分とお疲れモードなのだが、更に○○○ホームセンターへ。ガーデニング用に、高枝切り鋏と花の苗や種を購入。
 藤原慶太&マネー経済プロジェクトチーム編「株のネット取引がわかる基礎の基礎講座」(講談社)。前回の、「株・投資信託・外貨預金がわかる基礎の基礎講座」も分かりやすかったが、日本経済新聞をくまなく読んだり、PERやPBRを調べるなどという時間&気力&体力はとても無く、単なる雑学的に知識を得ただけ。しかし今度のは違う。株価チャートを参考にしてネット取引するこの方法(藤原式)なら出来そう。始めから実際の株を売買する気にはまだなれないので、バーチャル投資ゲームでも始めてみようかしら。早速、トレーディング・ダービーを主催しているケイゾンと、バーチャル投資倶楽部を主催している野村証券に登録。