2001年7月の日記:暑い!

2001.7.1.(日)
 日直の日曜日。細々と病棟業務多数あり。
 考えてみると、2001年も半分は終了してしまった。1月にたてた目標は今だ一つも達成できていない (^。^;)
 溜っていた、骨髄標本を2つカウント。溜っていた、入院患者さんのサマリーを6冊仕上げる。溜めたらあかん、溜めたら〜、切なくなるだけ〜。
 Macが新しくなったせいで、デジカメ画像を取り込めない。Acrobat readerをダウンロードできない。しばらく悪戦苦闘したが、諦めてふて寝 (>。<)

2001.7.2.(月)
 やれやれ、仕事は相変わらず遅々として進まず、母として進まず…、お後がよろしいようで…。

2001.7.3.(火)
 暑い! エアコンのない場所には行きたくない。しかし、浜野病院で回診していると、御老人の部屋はエアコンきってある事が多いんですよね、とほほ。更に十二単か?と思うくらい着込んで、厚手の布団をしっかりかけて寝ている、お婆さん発見。「暑くないですか?」「ぜんぜん!」「……!」

2001.7.4.(水)
 外来は珍しく予約も少なく2時に終了。だが…
 うぎゃあ! シンカンだ、シンカンだ。世間を震撼させるではなくて、新幹線でもなくて、新しい患者様の事。全くの新患一人と、外科からの出戻りの人一人が、一気に二人。さすがに、11人目ともなると、完全にキャパシティーをオーバー。笑えてきますね。わはは。

2001.7.5.(木)
 うがー! レセプトだ、レセプトだ。全然終わらんぞ。わははは。
 こんな時に限って、いつもは大人しい患者さんまで騒ぎはじめるんですよ (^_^;)
 舛添さんが自民党から出馬する事を知って、ややがっかり。大仁田はどーでも良い。

2001.7.6.(金)
 わはははは。
 東医工/大薬協に参加していないメーカーへの募金趣意書を仕上げ。他に、いろいろな財団のHPを検索し、学会への支援をしてくれそうなところを探すも、徒労に終わる。
 ミュージック・ステーションで三木道三を見て、ぶっ飛ぶ。前から気にはなっていたのだが、大坂弁にレゲエがこれほどしっくり合うとは思わなんだ。道三本人も言っていたように、一発屋で終わる可能性も無きにしも有らずだが、頑張ってほしい。個人的には、ゴスペラーズよりはケミストリーの方が好き。ケミストリーよりは三木道三の方が好き。

2001.7.7.(土)
 わははの、は。一人退院して、少し山を抜けるか?
 第19回日本血液学会北陸地方会 at 石川県立中央病院。何と今回は、Dr.Wの謀略により学生さん2人が発表。ところが、2人とも堂々としたもので、振り返ってみて自分の始めての学会発表の時にあれだけ堂々としていられたか?、否!。たいしたもんだ。その後、御苦労さん会。
 はずみで引き受けてしまった、某勉強会の資料を作成しなければならないのだが。ねむくて…‥・・・

2001.7.8.(日)
 早起きして、某勉強会のプロトコール作成。やっつけ仕事でごめんなさい。
 朝から買い出しにでかけ、自宅の庭でバーベQ。天気が良いおかげで、アチ〜。参加してくれた皆さん、どうもありがとう。そして、準備してくれた妻に感謝。
 飲み過ぎたでござんす。(またですか? ハイ、すんません)

2001.7.9.(月)
 本日より、血免無いか?(内科)に実に久しぶりの研修医の先生がローテイト開始。がんばってくだい。
 これだけ入院患者さんの人数が多いと、当然中には重症の方もいる。更に重症化しないように、できるだけの指示を出し、あとは「良くなりますように!」と祈る。
 某勉強会。依頼されたテーマに沿うような講演が十分にできたかどうか疑問も残るが、これでお許し願いたい。

2001.7.10.(火)
 なんだか暑い日が続きますね、今日この頃。浜野病院までのドライブもエアコンが効いてくるまでが辛い。その昔自分で好きな曲ばかりを選曲したテープを発掘したので、それをBGMにする。曲目は、ナイショ。
 十二単お婆さんは相変わらず、十二単。数日前に近くの病院へ紹介受診(浜野病院には、全科が揃っているわけでないので入院しながら近くの病院に受診する事もあるのです)した際には、十二単の上に更に厚手の毛布をかぶって受診し、近医の先生達も、「この人はどんな疾患なのですか?」と問い合わせてきたという。恐るべし、老人力。
 ミハのつかまえてきたアオムシ2匹がサナギになり、そして本日モンシロチョウになったとの事。ミツを吸わせるために、逃がしてあげたらしい。

2001.7.11.(水)
 なんとなくダラダラ〜と外来は3時まで続く(予約少ないから早く終わる事を期待していたのだが…)。
 病棟でIVHを入れて、指示だしをして、もう疲れたから、本日の営業時間は終了しました。
 さあ、ビール、ビール。

2001.7.12.(木)
 ウエハラ財団へ学会の助成を依頼する文書の作成。独自のフォーマットに収めねばならず、結構面倒臭い。
 本日は、IVH挿入が絶不調で、痛い思いばかりをさせてしまいました。ごめんなさい。
 家に帰ると、モモが聖域なき構造改革実施中(散らかしっぱなしって事)。

2001.7.13.(金)
 夜中1時頃に、ガビョ〜ンという出来事で起こされ、病院へ。トロッカ・カテーテル(胸腔ドレナージ・チューブ)を入れるハメに。何が起こったかは、大体想像できるでしょ。トホホ。だけど普通に予測される範囲外のもの凄い事が起こってしまったのです、実は。詳しくは言えないけど…。
 既に空が明るくなり始めてから寝て、すぐに朝は訪れる。オッハー!(眠くてハイホーになっているのです)
 学生さん相手にBSLのまとめ。明日から出張するので病棟業務をできるだけ。
 眠てどもならん。あ、13日の金曜日だったのね。

2001.7.14.(土)
 予診とって、少しだけ患者さんの顔を見に行って。
 金沢発13:12(はくたか11)→16:15越後湯沢16:27(あさひ322)→17:48東京。
 東京は、暑ぢ〜〜。とても外に出る気になれず、東京ガーデンパレスに引きこもって、少しだけ明日のためにお勉強。今更どうしようもないのだけれど。

2001.7.15.(日)
 
第17回認定内科医資格認定試験 at 全共連ビル。近頃は試験監督をする事はあっても、自分がまともな試験を受けるのは医師国家試験以来だから、実に13年振り。いやあ、緊張するなあ。こういう会場にくると、周りの人達が皆賢そうに見える。いるはいるは、分厚い教科書を広げて勉強している人、イヤーノート(医師国家試験用の正文集)を広げている人。全然関係ない本を読んでいたのは、私くらいかしら。
 午前中(A)問題。結構難しい。何も分からん問題もある。血液や免疫の分野はさすがに、分かるのだけど、今や完全なる専門バカになってしまった事を自覚。血液や免疫のジャンルでも結構マニアックな問題出ていたぞ。という事は、他のジャンルだって同様。でも、時間はたっぷり余ってしまった。見直さない主義(見直して訂正すると必ず直す前の答えが正しい事は経験的に分かっている)なので、30分以上時間は有るが、さっさと退席。でも周りを見渡すと、誰も退席していないんですよ。慎重なのね、皆さん。
 お昼をとろうと思っても、官庁街/オフィス街なので日曜日は殆どの飲食店が閉まっている。相変わらず暑い中をテクテク歩いて、海鮮まぐろ船という丼屋さん発見。マグロ丼、ヅケ丼、ネギトロ丼などが税込み500円というリーズナブルな価格。えーと、ネギトロ丼と○○○。お支払いは、1300円です。問題;○○○は何でしょう。ヒント;生ビール1杯400円です。オイオイ。だって、暑くてノド乾いたんだもん。
 流石に、周りの座席の試験生にヒンシュクかもしれないと思い直し、スターバックスでエスプレッソを飲んで、再び試験会場へ。
 午後、(B)問題、(C)問題。分からんのは、いくら考えても分からんので、鉛筆を転がす。ま、これで試験に落ちたら、皆で笑ってください。
 上野発18:24(あさひ331)→19:45越後湯沢19:58(はくたか18)→22:55金沢。お客さん!終点ですよと、駅員さんに起こされる。周りには誰もいない。京極夏彦著「ルー・ガルー 忌避すべき狼」を読んでいたのだが、分厚すぎて、まだ半分。この続きは、いつ読めるかわからない。

2001.7.16.(月)
 
午前中は回診。改心。
 午後からは、色々な書類書き、書き。
 北陸造血細胞移植研究会特別講演会「Dissecting tumor-reactive CD8 T cell responses in human melanoma」by Dr.Pedro Romeo,M.D. at 金沢大学病院内カンファレンスルーム。スペイン語なまりだが、分りやすい英語、お話し。しかし、Melanomaは免疫原性が高いからこういうアプローチが有る事は分かったが、他の腫瘍には残念ながら応用できそうにはない。TILの話しは大体そうなんだよね。
 その後、少し…………。

2001.7.17.(火)
 
いやあ、昨晩は飲み過ぎたかなあ。眠い眠い。
 浜野病院までのドライブ。再び昔の自作編集テープ。オザケン、チャラ、スピッツ、ピチカートファイブ、高野寛、ミスチル、電気グルーブ、スカパラなどなど、この年はJ POPの当たり年だなあ。懐かしいなあ。この頃どんなだっけ。というノスタルジーに浸かっているうちに、到着。
 医科大に戻る道も同様。
 戻ってから、やおら本日のカンファランスの準備。病院病理部とのカンファランス。いやあ難しい、けど面白い。
 夕方7時過ぎてから、始めて入院患者さん達の顔を見に。また、山ほどの指示を出す事に。

2001.7.18.(水)
 
外来が珍しく2時に終了。いつもこれくらいで終われるととっても楽なんだけど。
 ある患者さんの治療の件に関して、輸血を拒否する某宗教団体関係者との話し合い。私自身は神も仏も全く信じていない。しかし、悪性腫瘍に罹った患者さんにとって信じるものがある事で、穏やかな終末期を向かえうる例も知っているので、患者さんがいかなる宗教であろうと信じてその教えに従う事を否定はできない。ただし、この患者さんが医学的に輸血が必須という状況になったならば、私は輸血を受けるべきである事を患者さん本人に説得する。それを受け入れるかどうか判断するのは、患者さん自身である。教団側の人にそれを強制する権利もない。以上を説明したが、分かってもらえたら良いのですが。
 国際SSシンポの助成を、ふぁいざあ財団に依頼する文書を作成中に、過って未保存状態でMacを再起動させてしまって、1時間くらいの労働がパー。今日は、もう止め。

2001.7.19.(木)
 
クーラーつけっぱなしで寝ているせいか、どうも朝からけだるい。
 患者さんに重症化の気配。回復しますようにと、祈りながら指示をだす。
 ふぁいざあ財団やり直し。

2001.7.20.(金)
 
海の日。
 カワイ・ミュージック・フェスティバル。要するに、ミハのピアノ発表会。今回は、ディズニー「白雪姫と7人の小人」のハイホー。いつもながら舞台度胸は大したもんである。少々とちったのも、御愛嬌という事にしておく。
 その後、病院へ。カワバタ先生、オカダ先生にお手伝い頂いて、胸水ドレナージ。血性胸水がどんどん抜けるので、300mlで止めておく。
 夕方より、車で上越の実家へ。

2001.7.21.(土)
 
実家の外来。午前中は、多忙。午後からは、いつも通り、閑散。
 ベランダにミニプールを出してもらって、ミハは3回、モモは2回行水したそうな。いいなあ、暑くてたまらん。2人はそのあと、たっぷり昼寝。おかげで帰りの車の中は、延々と、しゃべりっぱなし、泣きっぱなし。えーい、静かにせんかい!!!

2001.7.22.(日)
 
朝から内灘海岸へ海水浴へ。アサリの稚貝が沢山いて、大きな貝はあまりなし。うーむ、これはキチガイにチガイない……。
 どっぷり疲れて、そのままお昼寝。

2001.7.23.(月)
 
今朝より、ミハにお供させていただいて、朝のラジオ体操。結構あちこちの筋肉が弱っていて、たかがラジオ体操でも筋肉や腱がピキピキいうのがわかる。
 回診。
 溜っていたサマリー書き二件。
 ふぁいざあ財団、またまたやり直し。
 昨日の日焼けの跡で、背中が痒くてたまりませんべえ。

2001.7.24.(火)
 
ラジオ体操2日目。あ〜た〜らしい〜、朝がきた。
 ハマノ病院までのドライブ。エアコンがきいてくるまでが暑くて。BGMは医学英語のテープ。ホモセクシャルの患者さんに対する精神的ケア。日本では、あまり応用できないような気もするが、これも単なる偏見かも。

2001.7.25.(水)
 
明日、以前当科で行った治験に関して厚生省の監査が入るというので、その準備。なんで、こんなクソ忙しい時に、監査の入る施設に選ばれるんだよう〜。でも、今更じたばたしても、どうしようもない。
 外来はだらだらと17時までかかる。それなりに重症ちっくの患者さんもいて、入院させたい気持ちと、土俵際で踏ん張りたい気持ちが、揺れ動く。なんとか、踏ん張りましたけど、本日は。
 夕方より、神経内科/血免内科合同のビアパーティ。最近は神経内科との交流があまりなかった(一緒の病棟で働いているだけ)ので、たまにはこのような企画もいいですね。神経内科の先生方、お誘いいただき、どうもありがとうございました。

2001.7.26.(木)
 
ラジオ体操、ミハは一人で行きたいというので、本日より諦めて家で一人でストレッチをする。親がついてくると、恥ずかしい気持ちも分かるけど、
 
厚生省の監査の日。別に疾しい事はないのだが、どうも落ち着かない。シートベルトもきちんと締めていて、スピードも守っていたのに、検問で止められた時の様な気分。
 JCOG-LSGの登録症例の追跡調査ならびに経過記録の追記。これが半年毎にくるのだが、滅茶面倒臭い。
 やっと、患者さん一人退院していただいて、久しぶりに入院受け持ち患者数が一桁に。

2001.7.27.(金)
 
JCOG-LSGの登録症例の経過記録の記載で半日費やす。
 次週分の入院患者指示だし。
 溜っていたその他の書類書き。
 医員室のコンピューター周辺機器も一斉に買い直して、血免内科ハイテク化計画終了といきたかったが、Hubが足らなくて、一時的にかえって不便な事になってしまった。プリントアウトが出来ない。
 机の上に書類が山積みになっていて、しばらくの間は全く隙間が見えなかったが、ようやく少し空きスペースが見えてきた。とっくに締め切りの過ぎている書類も出てきて、ぎょっとするが、時既に遅し o(;-_-;)o
 石川臨床免疫フォーラム at 金沢全日空ホテル。特別講演は慶應大の河上裕教授の「がん細胞、自己細胞に対する免疫応答:標的抗原とその臨床応用」。先日のDr.Pedro Romeoに続いて、またもやMelanamoaに対するTILの話がメインではあるが、SELEX法でとれた癌抗原と、T cell lineの系からとれた癌抗原の一部が共通しているのは興味深い。そうすると一部の癌抗原はB cell epitopeとT cell epitopeが共通しているという事にもなり、このあたりから、腫瘍特異的なT cellと抗体との協同による抗腫瘍療法も開発可能な気がするのだが、今のところは具体的なアイデアまでは浮かんでこない。
 その後、ちょっと…。

2001.7.28.(土)
 
先日退院した患者のサマリー書き。
 興味深い新患患者が紹介入院となるも、Dr.カワバタにお願い。御高診御加療のほどお願い申し上げまする。
 第1回北陸造血細胞移植研究会 at 金沢都ホテル。症例呈示が3題。やはりどの施設でも移植では苦労しておりますなあ。特別講演は関西医大の池原進教授の「骨髄移植と臓器移植の新戦略」。これは凄いお話で、目からうろこ。前半は、骨髄移植で自己免疫疾患が治ったとか、逆に骨髄移植で自己免疫疾患も移植されたという、よくあるお話。後半:同種移植の際の多能系幹細胞の生着には、ストローマ細胞のHLA拘束性が重要であるという話し→ストローマ細胞も一緒に移植するという話し→臓器移植の際に骨髄(ストローマを含む)を門脈に注入すると生着率が上がるというお話し→骨髄細胞を長管骨から圧出法で採取して、骨髄内に直接注入する(IBM-BMT)というお話へ進展。今までどうして、こういう方法を思いつかなかったのであろうか。この方法が本当に臨床応用されたら、造血幹細胞移植ならびに他の固形臓器の移植に、革命が持たらされるはずである。まだ動物実験の段階ではあるが、HLAのバリアーもかなり克服できる可能性があり、親がいれば骨髄バンクが必要無くなる可能性すらある。
 その後、ちょっと……。

2001.7.29.(日)
 
日曜日の朝は例によって、コメットさん→ニャンダー仮面→……と続く一連の子供番組の為に、6時半にミハを起こす。
 参議院議院選挙の投票へ。誰とどの政党(個人)に投票したか、当然内緒だよ〜ん。
 日直なので病院へ。嵐の前の静けさか? 比較的、病棟は落ち着いているように思えるが…。
 これで、一日が終われるほど、お父さんは甘くないのであった。日直が終わり、家に帰ると「今からどこ行く〜?」攻撃。結局、一家でルネスへ行き、プール、風呂、焼肉、カラオケで結構な出費。

2001.7.30.(月)
 
昨日はルネスのプールで浮かんでいただけなのに、あちこち筋肉痛++。鈍っておりますなあ。
 先日よりどうもIVH挿入が不調で、カワバタ先生にお願い。
 腰椎穿刺&髄腔内注射はOK。ほっ。
 夕方より、第33回北陸造血器腫瘍研究会 at ホリディイン金沢。ここのところ研究会が多すぎで、食傷気味。とはいえ、この会は急性骨髄性白血病の治療プロトコールを話し合う会で、重要なのだ。提案された新プロトコールにはAra-c大量療法が組み込まれ、専門以外の医師には益々手を出せないような強力な治療法になってきた。これで、白血病の寛解率/治癒率が向上すれば良いなあと、心から思います。
 そのあと、ちょちょっと…。

2001.7.31.(火)
 浜野病院まで。ちょ〜暑い、ドライブ。
 散髪。また短く。