2001年3月の日記;憎き内科学会!

2001.3.1.(木)
 二日酔いでもかたづけなければならない仕事が山積み。
 昨日Faxした、寄付金募集要望書が沢山添削されて帰ってくる。頭が痛い。
 机の上を整理していると、2月28日までに返送しなければならない書類が2つも出てくる。アイタタタ。
 昼食後は眠くて、もはや使い物にならない。
 こんな日に職員の健康診断。深酒の影響がどの程度反映されるか、心配しても後の祭り。
 今日は早く寝よう。さすがに今日はお酒を飲む気にもなれない。

2001.3.2.(金)
 朝から、再度の寄付金募集要望書作り、昼までかかる。もうヤダ〜。
 次週分の入院患者さんの指示出し。JCOG-LSGの新プロトコールを施設内IRBにかけてもらうための申請書作り。溜まっていた骨髄標本のカウント。
 日経平均株価がバブル崩壊後の安値を更新。どこまで、不景気が続くのでしょうか。こんなんじゃ、こんなんじゃ、私が●●した方がましよ〜、とは思わないけど…。

2001.3.3.(土)
 夕方より血免内科のボーリング大会。無惨な成績で、お話にならない。ルネスのゲーセンで捕獲し強制的に参加させたバスケ部の後輩ともども、スコア100を割った罰金100円を支払うハメに。その後は、ルネスで焼肉→風呂。

2001.3.4.(日)
 「今日はどこ行くの?」「さあ…」「ボーリングはどう?」「…、別にいいけど」という訳で、ボーリングを2連ちゃん。筋力が低下しているのか、昨日の疲れがたまっているのか、はたまた実力か、スコアはさっぱり。妻は絶好調。ミハはストライク、スペアこそないものの楽しそう。モモはほっておくと、どこまでも歩いていってしまい危険。
 スペンサー・ジョンソン著「チーズはどこへ消えた」(扶桑社)。これは生きていくためのバイブル。消えてしまったチーズに対する、2匹のネズミと2人の小人のとったそれぞれの行動とは。単純だけど奥深いお話。僕もホーのように生きる事にしたい。そういえば、たけしの出ていた「変れた?」というカローラのCMはこの本から派生しているのだなと思う。

2001.3.5.(月)
 そういえば、私の誕生日。36になってしまいました。18の時に金沢(内灘)に来たわけで、もう人生の半分をこの地で過ごしてしまった。
 レセプト書き。本日中に仕上げたかったのだが…。
 重症の急患が運ばれてきて、バタバタ。
 電子カルテを開く度に「お誕生日おめでとうございます!」が出てきてイライラ。1回で良いちゅうの。
 誕生日という事で、ケーキを焼いて待っていてくれたようだが、帰宅は遅くなってミハはもう就寝。しかし、モモはやたらと元気;早く寝なさい!
 内閣不信任案は与党の圧倒的多数の反対で否決。しかし、与党内では●降ろしが水面下で進行。なんでこんなに複雑なのか? 政治家という人種(特に与党)は一人も信用する気になれない。いいかげんに密室の談合で決めるのはやめていただけませんかね。
 疲れてはいたが、バーボンのお湯割りを飲みながら、「チーズはどこへ消えた」を再読。

2001.3.6.(火)
 朝少し早く起きて昨日できなかったレセプトの仕上げ。それから浜野病院。
 またまた寄付金募集要望書作り直し。もうこれで直されませんように。

2001.3.7.(水)
 外来、今日は予約患者数が多い事が分かってはいたが、やはり長くかかってしまった。4時半にUFOを食す。
 夕方より、学会事務センター関西の方にいろいろと教えを乞う。やはり、いろいろなノウハウがあるものである。
 新患入院もあり、主治医にならざるをえず、診察→指示出し。
 突然、携帯がなる。まだ、仕事終わらないの? 今日、モモとパパの合同お誕生日会をしようと言っていたのに! ゴメン、完全に忘れていた訳ではないけど、少し忘れていた。慌てて帰る。ハッピーバースデーで、ケーキ、モモは皿をひっくり反して大活躍。

2001.3.8.(木)
 今日が正式なモモの生誕一周年記念日。やっと一歳か、やれやれ。その調子で頑張って成長してください。
 解剖学I教室の2-Methylfuranonaphthoquinoneのお話。なかなか面白い化合物のようである。
 医局のカルテ回診用のコンピューターのプロジェクターのデモ。各社ともいろいろ機能がついているのは分かったけど…。
 やっとの思いで寄付金募集要望書を受け付けて頂く。あと1年はこんな仕事が続くんだなあ、きっと。

2001.3.9.(金)
 春一番も先日吹いてもう春だと思っていたのに、また冬に逆戻り。なんだか朝から大雪である。もう雪はいらん。
 溜まっていた骨髄標本のカウント4症例分。来週分の指示出し。
 本来は外来の日ではないのだが、呼び出されて一人診察。終わってやれやれと戻ろうとしたその時、某科の某DRにつかまる。この症例どう思う?と問われ、…うーん、入院して調べなければなりませんねー。行きががり上仕方なくまた主治医になって、とりあえず指示だけだす。でも、この週末は私居ませんからね〜と言い残し。
 夕方より車で上越の実家へ。大雪で滑る滑る、怖い怖い。

2001.3.10.(土)
 母の誕生日。3月は我が家は誕生日ラッシュで、またケーキだー。しばらくケーキはいらん。
 実家の外来。こんな大雪の日にどうしてこんなに患者さん達はおいでるのか。昼まで、診療して、あまりに大雪なので帰れなくなると困るので早々に車で金沢へ。

2001.3.11.(日)
 日当直。医局の実働部隊は減っているのに、患者さんは減らない(むしろ増えている)。しかも、現在はそれなりに重症が大勢いる。昼間は殆ど病棟業務で終わる。
 内科認定医をとるための、症例の病歴要約作り。この作業をなかなかやる気になれなかった最大の理由は;ある年代以上の先生方はこの面倒くさい作業を免除されて、移行措置で簡単になれた事。もうひとつの理由は;病歴要約のフォーマットの面倒くささ、今どきB4の用紙に打ち込めというのはどうかしている、大部分の書類はA4なのに。文句を言っていても仕方ないので取りかかるが、効率悪い事このうえない。自分でも殆ど忘れている研修医時代のカルテを見ても、恥ずかしいばかり。21症例分を作成しなければならないのだが、4例分作って飽きる。
 BGM;
 XTC「BLACK SEA」(Virgin Record)。高校生時代からの愛聴版。XTCはこの時代のものがギターがソリッドで最もかっこ良い。
 OASIS「Standing on the shoulder of giants」(EPIC RECORDS)。やっぱりオアシス。大音量で聴くべきギターサウンド。
 早川義夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」(東芝EMI)。名曲「サルビアの花」を含む、ジャックス解散前後の頃の早川義夫のソロ。滅茶苦茶暗いけど、下手なロックよりは百倍まし。

2001.3.12.(月)
 本日より当大学6学年のCCS(クリニカル・クラーク・シップ)臨床実習が開始で、いきなり6人の学生さん達が当科で4週間の実習。なんとかリクルートする努力が必要。皆さん頑張ってね。
 教授回診、担当学生への担当患者の紹介。骨髄穿刺。Auto PBSCTのムンテラ。一日はあっという間。

2001.3.13.(火)
 浜野病院へ車で向かう。またまた、上棚矢田インターを降りてからが結構な雪。もう雪はしばらく、いらん。
 夕方、医科大に戻り、内科外来運営委員会。お互いに言いたい事をいう。
 それから、各患者さんをみて、カルテ;おお! CCSの学生さん達もきちんと記載している。しっかり指導してあげないと。

2001.3.14.(水)
 外来。比較的うまい時間配分で捌けたと思ったら、終わり頃に新患がドドッと。
 医局の文献抄読会の順番なので、文献を探して読む。好中球の貪食能の障害による免疫不全についての総説。勉強になるなあ。
 
2001.3.15.(木)
 睡眠時間を削って文献を読んで準備したが、医局会は他の事が長引き、文献抄読はまた次回に。おかげで、昼食後は眠くて、眼を開けているのがやっと。早く、帰ろ。

2001.3.16.(金)
 昼間は普通の日。
 夕方より木谷先生と渡辺先生の歓送会。当初の予定では10人集まる事にはなっていたが、皆さんお忙しくてドタキャンもあり結局7人で飲み明かし語り明かす。酒の席での論議とはいえ、皆自分の哲学を持っているようで嬉しくなる。3次会までいって帰るが、家につく頃より急に気持ち悪くなり、家につくなり嘔吐。そんなに沢山は飲んでいないはず(いやいや沢山飲んだか?)、鳥の刺身のようなものを食べた記憶があるので、それであたったのだろうか?

2001.3.17.(土)
 二日酔いと昨日からの続きの気持ち悪いので最悪なのだが、ミハの晴れの卒園式。子供の成長はつくづく早いものである。
 式そのものは園児達の言葉や歌も可愛くて感動的で、泣いているお母さん方も多々おいでられた。あとで、ミハに「泣いた?」と聞いたが、園児達は誰も泣いていなかったらしい。泣いたのは親ばかりなり。
 そして、いつも余計なのが、ここの副園長の長いお話。IT革命がどうの、ベンチャー企業がどうの、という卒園式とはな〜んにも関係ないお話に始まり、延々と40分以上続く。一体何の意味があるのか。今さらこの歳になってそんなお説教のような勉強の話を聞かされたくはない。二日酔いで気持ち悪いのに(自業自得だが…)。
 ミハと妻はその後続いて、茶話会へ。私は、帰ってダウン。1時間ほど家で意識消失。
 しかしづっと寝ていられるほど世の中は甘くない。15時より金沢大学医学部付属病院で、骨髄移植推進財団の第13回北陸地区調整委員会会議がある。小立野は遠いなあ。
 さすがにこの日はノンアルコール。早々と就寝。

2001.3.18.(日)
 朝はいつも通り、ニャンダー〜ドレミ・コース。
 ミハと映画「ドラえもん のび太と翼の勇者達/ドラミ&ドラえもんズ-宇宙ランド危機イッパツ!/がんばれジャイアン」を見に、金沢サティへ。ミハはポップコーンをひっくり返し、私はナチョス(しかもチーズつき)をひっくり返し、悲惨な映画館の床となってしまった。お掃除の人、ごめんなさい。映画自体は、いつも通り安心して楽しめ、怪獣のようなのも出てきたが怖くはなかったらしい。ただ、1箇所だけドキッとする場面あり、ビックリした〜と言っていた(私も心のなかで、そう言っていた)。
 映画のあとは、少しだけゲーセン→食事。
 家へ一度戻り、一家でお買い物。
 本日は当直。またまた、何人か重症の患者さん達がおいでて、出来るだけの事をする。
 医局に戻って内科認定医試験のための症例の病歴要約作り;遅々として進まず。ああ、こんな時にドラえもんがいてくれたらなあ。

2001.3.19.(月)
 世間では4連休のところも多いらしい。しかし、医科大は土曜日すら休みにならないので、単なる飛び石連休というだけのこと。
 教授回診。CCSの学生さん達がプレゼンした割には早く終わったほうだ。
 午後から、内科認定医試験のための症例の病歴要約作り。外科に転科した症例の手術記録とか、剖検になった症例の剖検記録のコピーが必要。古いカルテはマイクロフィルムになっていて、そこから印刷する機械が壊れていて直す予定すら無いという。一方、新しい症例の手術記録は電子カルテにまだスキャナーで取り込む前で、病歴センターのどこにあるのかさえ不明。路頭に暮れて悩んだあげく、手術記録は直接外科の医局に出向いてコピーしていただき、剖検記録は病理部に出向いてコピーをしていただいた。最初からこうすれば早かったのだ。こんな具合で病院内をうろうろしているうちに、時間だけ過ぎ去る。

2001.3.20.(火)
 春分の日。
 朝から、手取りフィッシュランドへ。アンパンマン・ランドというのがお目当て。それなりにミハは楽しんだ様子。モモはアンパンマンの着ぐるみを見てビックリした様子。その後も、遊園地で遊ばせてクタクタ。
 夕方より、本年度の当大学の卒業生(昨日、医師国家試験が終わったばかり)のご苦労様会。国家試験は3日間に渡って、全550問、A問題から始まって、I 問題まであったらしい。今、国家試験を受けても、受かる自信はない。恐ろしや〜。

2001.3.21.(水)
 外来。本日は新患がチョー多くて、終わったのは午後5時45分。さすがに、空腹による低血糖で終わる頃には思考がまとまらない。それから、病棟を回診して医局に戻る。
 やるべき事は、机の上に山積み。しかし、頭の中ではウルフルズの「明日がある」が鳴っている。ビールを飲む。
 
2001.3.22.(木)
 朝から患者さんのムンテラ。悪性疾患の告知はいつも気をつかう。
 医局会。先週読むはずだった文献を読む。
 CCSの学生に教授回診対策&国試対策の講義。

2001.3.23.(金)
 朝から、役場へ。いつ来ても、内灘町の役場は立派な建物だなあと思う。これで我々の町民税が高い(金沢市より高い)と思うと複雑な気分。
 患者さんのムンテラ。次週分の指示出し。
 夕方より上越へ。

2001.3.24.(土)
 午前中は実家の外来。
 本日は半日で診療を終了し、午後より上越医師会主催のボーリング大会。気分は張り切っていたが、例によって散々のスコア。妻が準優勝。私は飛び賞で25位の賞品をゲットしたから、まあいいか。
 車で金沢へ。すでに、筋肉疲労で運転をしていても、足の筋肉がつりそう。
 疲れてはいたが、バーボンの水割りを飲みながら、「チーズはどこへ消えた」を再読。

2001.3.25.(日)
 医科大の日直。週末にやや状態が悪化した患者さんのケア。退院患者のサマリー書き。
 夕方より、ミハを引き連れて医科大バスケ部のOB戦へ。少しやったところで、古傷の右膝(22歳時に右膝の大腿側副靭帯損傷)が一瞬脱臼した感じになり、「バキッ!」あるいは「ゴリッ!」という音とともに、若干の関節痛を呈したため、大事をとってそこで止め。ほとんど汗もかかないのも、寂しいものである。
 その後の、宴会にもミハをひきつれて参加。ミハはバスケ部のお姉さん達に遊んでもらって喜んでいた。

2001.3.26.(月)
 医局で購入した電子カルテ用のノートパソコンとプロジェクターが届いたので、めでたく初の医局でのカルテ回診(今までは別の部屋で病院のパソコンおよびプロジェクターを借りてやっていた)。
 昨日の関節亜脱臼の後遺症か、右膝の鈍痛あり。筋力が全体に低下しているのだななあと、痛感する。
 担当患者さんの一人が重症化し、胸腔穿刺、骨髄穿刺、IVHカテーテル挿入で一日は終わる。ああ!

2001.3.27.(火)
 浜野病院→散髪→家で娘達を風呂に入れていたところ、telあり。患者さんの状態がよろしくないとのこと。
 あわてて病院へ。胸水が昨日より更に溜まっていて、胸腔ドレナージ・チューブを挿入する。これでも改善なければ人工呼吸管理が必要な状況だが、そうならないように祈りながら出来る限りの対処を行なう。
 そんなこんなで、時間は過ぎ去る。当直なので内科認定医試験のための症例の病歴要約作りを仕上げてしまおうと予定していたが、全く出来ず。タイムリミットの3.30.が近づいてくる。どーしましょ!

2001.3.28.(水)
 外来が4時までかかり、その後病棟でバタバタ。当直明けだが、家には10時すぎに食事と風呂に一時帰宅し、再度病院へ。泊り込む事になる。患者さんの治療&内科認定医試験のための症例の病歴要約作りを続ける。

2001.3.29.(木)
 朝方早くに、残念な事に患者さんがお亡くなりになる。痛恨の思い。
 一日眠い体をなんとか引きずって、デューティーをこなす。
 夕方より、岡田先生の送別会。不思議とアルコールが入ると眠気が吹き飛ぶ困った体である。二次会はカラオケで、意外な人が意外な歌を歌ったりして、大盛り上がり大会。帰宅したのは結局2時。

2001.3.30.(金)
 予定通りの寝不足&二日酔い。だが、内科認定医試験の申し込みが本日の消印有効。どーしましょ!どーしましょ! 午後6時半まで郵便局が受け付けてくれる事を確認。ラストスパートで、21症例分の病歴要約と50症例のリスト等作成。合間に、次週分の指示出し。医局へ戻って、再度スパート。ギリギリ6時15分くらいに仕上げて、秘書のトクノさんに郵便局へ運んでいただく。間に合いましたよとトクノさんから、Telあり。ホッ! 毎度の事ながら、もっと余裕をもって仕事を開始すればよいのは、十分に分かってはいるのだが…。
 仕上げて帰宅し、久しぶりに起きているミハ、モモの顔を見る。ミハはローラースケートが大分上手にできるようになって、見せたいらしい。モモは縦横無尽に家中を荒しまくっている。

2001.3.31.(土)
 夕方より、第34回リンパ増殖性疾患研究会。当科で主催だが最近なかなか症例が集まらなくて、年2回やっと開いているこの会。せっかく他院の先生方が症例を提示してくださったのに、いちゃもんをつけるのが生き甲斐の先生がいて困った困った。これに懲りずに次回もお願いします。