2001年11月の日記 Give Peace a Chance

2001.11.1.(木)
 また入院があって、担当患者数が久しぶりに二桁になって、近頃はオーバーワーク気味。体力が勝負である。
 学会の準備。少しだけ。コンピューターにスキャンした画像の加工。こんなペースで果たして間に合うのか? ピンチ!
 しかし病棟患者総数が多いという事は、重症者もそれなりにいる訳で、こんな時にオガワ先生不在。なんてこったい。学会準備どころではない。またまた:明日があるさ、明日がある、若くない僕にも夢がある、焦らなきゃだめさ、焦らなきゃだめさ、自分に言い聞かすう〜♪♪♪

2001.11.2.(金)
 大量化学療法。本日day0の患者さんが数名重なる。って事は、忙しい訳です。。。。
 このところ毎週末に研究会。第3回金沢DC療法フォーラム at ホリデイ・イン金沢。DCの話は難しすぎて。前半は京都府立大消化器外科の上田佑二先生の「固形癌に対する単球由来樹状細胞を用いた特異的能動免疫療法の臨床」。単球由来のDCにCEAペプチドで感作し患者さんに投与したという、実際の臨床的なお話。後半にはミニ移植の際に、ドナーに腫瘍抗原ペプチドで刺激した後にPBSCを採取して移植するという、かなり過激な話も出てくる。同じように、骨髄腫患者さんの血漿中からイディオタイプ・ワクチンを精製して、ドナーに免疫するという試みも、海外ではあるらしい。倫理的な問題が解決できれば、ブレイクスルーになりうるか。後半は、愛知県がんセンター腫瘍免疫学部の赤塚美樹先生の「マイナー抗原を標的とした養子免疫療法の可能性」。SNP(一塩基変異)を標的としたマイナー抗原を解析していく事で、GVHDを抑えてGVL効果を最大原に引き起こせるか。大変な労力のお仕事である。
 それにしても、平日の夕方から特別講演2題を聞くと、21時を廻ってしまって、腹ぺこでございます。
 その後、少し。。。

2001.11.3.(土)
 分化の日(←文化の日の間違いと妻に指摘される…、造血幹細胞は何にでも分化できるのだあ〜)。
 朝少し病院へ。ううむ。むむむむ。
 せっかくの休日だが、雨が。雨の日に、子供達を発散させる場所が、金沢には少なくて困る。
 結局、御経塚サティへ。結局、ゲーセン。あまり、教育上良ろしくない事は重々承知。雨でも子供達を遊ばせる事のできる場所、知ってたら教えてくださ〜い。少し買い物。しかし、CDショップには探している欲しいCDが置いてなく、本屋には探している欲しい本が置いていない。結局、またネットで注文するしかないのか。ネットで注文するのは便利なのだけれど、私的には実際にCDショップで/本屋さんで売っているものを買いたいんですよね、何故か。くやし〜。

2001.11.4.(日)
 日当直。昨日とうって替わって良い天気。む〜ん。
 こんな日には、学会準備を進めなければならない。ミクロの写真を仕上げて、印刷する。
 先月の外来分のレセプトが届き、その仕分け。自分の分だけ仕上げ。申し訳ないけど、とても他の人の分までやる気にはなれない。皆さん、自分の外来指示の責任は自分でお願いします。

2001.11.5.(月)
 朝学会準備、経過表を書くも、中途半端で時間切れ。へけっ。
 午後から、また眠っている細胞を起こす作業なのだ〜。
 御高齢で痴呆の混ざった患者さんが発熱で入院してくる。40℃も熱があるから追い返す訳にはいかないが、入院後は病棟で問題を引き起こす事、必発。静脈路確保もままならず、暴れる患者さんを4人掛かりで押さえ付け、ようやくIVHカテを挿入。これだけで、どどっと疲れてしまう。
 田中外相のニュース、園遊会の件、宝石泥棒の件、どちらもアホくさ。ちゃんと政治をやってください。あなたなら、何かやってくれそうと期待していたのに。そして、マスコミもこんなくだらない話題をニュースにするな。
 TVタックル。ハマコーさんとタジマさんの討論(けなしあい?)は非常に面白い。いっその事、漫才コンビを組んだ方が良いかも。

2001.11.6.(火)
 浜野病院までのドライブも、こんな雨風の日はチト辛い。しかし、能登有料道路を上棚矢田で下りてからの山道は紅葉が始まりなかなか奇麗。雨露に濡れた紅葉もいとおかし。
 医科大へ戻ると、予想していたとはいえ、入院分のレセプトだあ〜。たっぷりあって、仕上げ終わると23時半を廻ってしまう。
 ああ、学会準備またできなかったな。明日の外来空いていると良いなあと思い、電子カルテで明日の予約患者一覧を見てみる。ガ〜ン。一杯でござる。国際シェーグレンの予算も仕上げなければならないのだが、さて、何から手をつけて良いものやら。

2001.11.7.(水)
 The accident happened ! コステロにこんな曲あったなあ。
 外来は予約いっぱいだったけど、15時半には終了。予約の数と実際に終われる時間に全く関係がなく予測不可能。

2001.11.8.(木)
 Accidentの後遺症的仕事。
 その他の仕事の能率も超悪い。そういえば、占いも魚座12番、オーノーだった。

2001.11.9.(金)
 仕事を適当にすまして、電車でGo! 東京へ。
 金沢13:12(はくたか11)→16:15越後湯沢16:27(あさひ322)→17:48東京。
 弟とお茶の水で飲む。1件目は弟の行き付けの無国籍料理。店。色々と美味しい。
 2件目はJazz Barへ。隣で飲んでいた、一見ごく普通のおばさん(失礼!)が突然ステージで歌いだし、超上手くてビックリ。聞けばCDも出しているらしい。大変失礼しました。
 銀座キャピタルホテル新館泊。リンス入りシャンプーなので、これだけで減点。たいした金額ではないはずだから別々にしてほしい。

2001.11.10.(土)
 JCOG班会議 at 国立がんセンター中央病院。例によって一日中みっちりお勉強。次期プロトコール、作製するのは大変な労力だろうなあ。
 どうも体がゾクゾクする。これって、恋の予感、それとも風邪の悪寒? おそらく後者。トホホ。
 家の廻りに変質者出没。縞々シャツの男が下半身を露出し、白いおしっこ!をピュピュッと出すところを、ミハ達が目撃。この一報が妻より、携帯メールに入り、即座に警察に通報せよと返信メールを……、打とうと思ったが、たったの一文を打つだけで、30分くらい浪費してしまう。電話した方が早いわ、これじゃ。
 東京17:12(あさひ327)→18:28越後湯沢18:41(はくたか16)→21:11金沢。

2001.11.11.(日)
 朝少し医局へ行き、学会準備追い込み。
 一家で、白帆台公園へ。内灘大橋を超えて急に開けつつある分譲地にある、こぢんまりとした公園。モモ向き。
 昼は、んまい屋というお好み焼き屋さんへ。もんじゃ焼きが美味しい。
 何故かその後、手取フィッシュランドへ。
 へとへとになってから、また病院へ。患者さんの回診と、学会準備仕上げ。

2001.11.12.(月)
 午前中の仕事が予想外に手間取る。最後に学会発表は文献的考察を加える予定だったが、……。
 午後から、電車で神戸へ。金沢13:53(サンダーバード28)→16:32大坂→JR神戸線で三宮→ポートライナーで中埠頭駅下車。ホテル・パールシティ神戸、奇麗なホテル。シャンプーとリンスが別々で、よしよし。
 Ahmed Rashid著/坂井定雄・伊藤力司訳「タリバン」(講談社)。パキスタン人ジャーナリストで、BBCやCNNのレギュラー解説者の書いた、実際の多数のタリバン幹部や軍事政治指導者、兵士や一般市民にインタビューをもとに書き上げられたルポルタージュ。英文をそのまま訳した感じで、読み辛いのが難点だが貴重な本。タリバンの突然の登場から数々の虐殺行為まで克明に描かれている。同時多発テロ以前の本なので現在の様な形でタリバン政権が崩壊するとは、この作者すら予想できなかっただろうな。
 今回の風邪は熱も出ない割に、ダラダラと倦怠感/咽頭痛/鼻閉感が持続する。
 千代(何故か?お好み焼き&広東料理という組み合わせ、だけどとっても美味しい、料理の鉄人に出演経験あり、石田ひかりをプライベートで発見)→ラ・ソネ(JAZZ Bar、ドラマーが渋い、ボーカルのお姉さん綺麗で歌もうまい)。
 なんと、アメリカでまた航空機墜落。テロか? アメリカ政府の発表では事故説に傾いているらしいが、この時期にこの場所でテロ以外の可能性を考えろという方が無理というもの。

2001.11.13.(火)
 日本臨床血液学会初日。発表あり。
 東天閣(北京料理、とっても由緒正しそうな立派な建物)→トム・キャンティ(Bar、マスターのバッジが年期を感じさせる)。
 北部同盟がカブール制圧。また虐殺行為が繰り返されないように祈るのみ。

2001.11.14.(水)
 日本臨床血液学会2日目。早くもだれてしまう。
 市民広場前からポートライナーで三宮へ。
 神戸三宮センター街で少し買い物。神戸はオシャレな印象がありますなあ。JR神戸線で大阪へ。予定より一本早い電車に間に合い、それに変更。大坂13:42(サンダーバード25)→16:20金沢。
 吉村達也著「心霊写真-氷室想介のサイコ・カルテ」(カッパノベルズ)。殺人事件の加害者はその直前まで精神的な被害者であったというモチーフの短編集。個人レベルで起きる殺人も、国家間の戦争も、国際テロリズムも、すべては強者の無神経が引き起こすものであることを、私たちは今こそ明確に自覚しなければならないのです、というエピローグの一言に収束される。
 少し、病院へ。皆様、御留守番御苦労様でございました様。

2001.11.15.(木)
 この未亡人はね、実は男なの。マジッ?
 今週からナカニシ先生が研修で加わり、人手が増えて楽になるはずだったが。
 チョ〜〜重症の新患入院あり。なかなか楽にはなりませんなあ。
 ダラダラ感冒、まだ完治せず。
 例のAccidentの後遺症も終わらず。 どうも、最近はグチッぽいなあ、いかんいかん。

2001.11.16.(金)
 骨髄1件、IVHカテ入れ直し1件。次週分の指示だし。BSLの画像チェック。その他もろもろ病棟業務。
 鼻と喉の奥に痰が貼付いたような、感冒症状一向に改善無し。
 金沢17:30(はくたか17)→直江津19:24。

2001.11.17.(土)
 実家の外来は開店休業というくらい暇。半日しか仕事できない日は超忙しかったりするのに、患者様/お客様の流れというものは分らない。
 カワバタ先生より、電話でまたまた病棟が大変な事になっている旨連絡あり。留守番のカワバタ先生/ナカニシ先生頑張ってくださいませ。
 直江津17:20→19:15金沢。
 こっそり医科大へ行き、電子カルテでバタバタ具合をチェック。帰ろうと思ったらナカニシ先生に見つかる。君の将来のためには、こういう症例/こういう辛い経験も必要だよ、ワハハと言い残し帰宅。
 家へ帰ると、相変わらずモモが大活躍。ボキャブラリーも増えてきて、たまに相手するのは楽しいのだが。

2001.11.18.(日)
 朝ミハを例の如くTVのために起こし、少しだけ医科大へ。一通り回診。
 一家で、那谷寺へ紅葉狩りに。
 これだけで、ミハの欲求不満を満足させられる訳なく、ルネスのボーリングセンターへ。スコアは滅茶苦茶。
 あー疲れた。天気は曇りがちだが、今日こそは早く寝よう。何故なら…

2001.11.19.(月)
 am2:20にケータイのバイブモードでアラームセット。時間がきて、眠い目をこすりながら窓から空を見上げる。星が沢山見えている。私は起こさなくて良いわと言っていた妻も起き、外へ出て夜空を見上げる。あー、流れたっ! 始めて見る、しし座流星群に大感激。星に願いをというわけで、(神も仏も信じない人間が流れ星だけ信じて良いのか、ハイすいません)、いろいろ考える。「ウサマ・ビン・ラディンらアルカイダのグループがこれ以上の報復テロを繰り返しませんように、そして米英もこれ以上の空爆を繰り返してテロとは無関係のアフガン難民達を苦しめませんように!」というのは長すぎるので、「家内安全」のみにしておく(セコイ?)。流石に寒いので20分ほど観察後家に入る。この余韻で一杯やりたかったのだが、妻に寝なさい!と嗜められ諦めて寝る。目を閉じても星が流れている。
 おかげで、寝不足状態で、また新しい1週間が始まる。
 驚いた事に廻りの人に、だれも流星群を見たという人おらず。ロマンがないなあ、みんな。

2001.11.20.(火)
 良い天気で、浜野病因までのドライブも御機嫌。紅葉も美しい。
 新患入院があっても、余裕のよっちゃんです。
 夕方より、2001年ボジョレーヌーボ試飲会 @ 医局。いつもは解禁日にしていたのですが、今年は皆様の都合で少々遅く。学生さんも大勢参加してくれて大盛況。これが皆、血液免疫内科の医局員だったらいいのにねえ。ワインとビール、セーブしたつもり(ホンマかいな?)だけど、結構酔っぱらい。

2001.11.21.(水)
 二日酔いの脱水症状と戦いながらの外来。予約は結構あったものの、15時には終了。ホッ。
 狂牛病2頭目が発見。いくら安全宣言しようとも、これで日本の消費者の牛肉離れは今まで以上に進むだろう。酪農業、食肉加工業、肉屋などの経営不振/倒産も増えるだろう。この、おとしまえは誰がつけるのか? 少なくとも次の選挙では「牛肉を食べる会」などというアホな会に出席した議員には、絶対投票しないぞ。

2001.11.22.(木)
 深夜に急患入院があったようで、当直キン先生御苦労さんでした。
 外来の代行を依頼されていたのだが、某病院よりS内科を介して、紹介患者受診。これが、後に波瀾を引き起こす結果になるとは…。普通に対応し、ある検査に関してG科へ紹介し、患者さんの便宜を考え今後の治療は浜野病院で行う事とした。ところが、…、夕方頃、紹介してきた某病院の院長なる人から電話が入る。紹介したG科の外来で長い事待たされて、患者が疲れ果ててしまった、もっと患者の状態を考えて対処しろ! という内容。「怒っている訳じゃないんだけどね、…」と言いながらも、十分に口調は怒っている。しかし、こちらちしては何度も病院にお越しいただくのは申し訳ないので、できるだけ1回の受診で多くの検査を受けられる様に便宜を図ったつもりなのである。そして、その件を外来で説明した際には患者さん/家族ともに納得したはずなのである(文句があるならその時に言うべきである)。まあ、患者さんや家族に文句を言われるのは、ある程度仕方ないが、紹介してきた先の先生に失礼な事をした訳ではないのに、なぜ叱られなければならないのか? 不条理だ、あまりに不条理だ!
 本日、良いニュースも1つ。苦労した甲斐があって、内科専門医試験に合格したとの報が入る。今年の最大の目標が達成できて、この上なく嬉しい。今後とも皆様方の御指導御鞭撻を宜しくお願い申し上げます。

2001.11.23.(金)
 第20回血液免疫内科オープンゴルフコンペ@能登カントリークラブ。この時期に雨が降ったら寒くてチョー最低だが、幸いにも朝からこの時期には珍しい晴天。フェアウエイの芝は紅葉していて、一方でグリーンの芝は緑のままで、このコントラストが美しい。気分は最高、スコアは……××。それにしても、ハーフの休憩時間が1時間10分もあり、長過ぎる。やる事ないので、結局ビールで出来上がってしまう。日本のゴルフは本当に不健全なスポーツ?である。一緒にラウンドした某MRさんなど、ビール大ジョッキ1杯+焼酎ロック5杯! ハーフでこんなに飲む人を始めてみた。
 その後、一家で上越の実家へ。既に筋肉痛で、眠い。

2001.11.24.(土)
 実家の外来診療。天気もいいので、ボチボチでんなあ。
 一家揃って、インフルエンザのワクチン接種。ミハ、モモとも泣きながらもよく頑張りました。○○
 夕方より、実家の忘年会。回転寿司→カラオケボックス。
 
2001.11.25.(日)
 天気予報では晴天は本日まで。
 両親と一家で妙高サンシャインランドという遊園地へ。両親は何十年ぶりかの遊園地らしい。妙高山をバックに周囲の紅葉も素晴らしい。遊園地そのものは冬囲いを始めており、なんと営業は本日で今期終了との事。どうって事のない遊園地だが、ミハ、モモとも楽しんだ様子。
 昼飯まで両親と一緒して、そこで別れて金沢までドライブ。
 トイザラス→王様の本屋→東京ストアーとはしご。

2001.11.26.(月)
 やはり天気予報があたり、いきなりサムウ〜クなってきた。
 インフルエンザの予防接種した部位の周辺が重だるい。
 伊藤慎一監修「危機からの脱出方法」(KKベストセラーズ)。本屋でなんとなく衝動買いしてしまった本。実際に役立ちそうな事も多いのだが、一方で「宇宙遊泳中の危険への対処法」「タランチュラが首筋を這っていたら」など殆どありえない事を真剣に考えてあって笑える。
 ミハの四肢および顔面に皮疹出現;リンゴ病?
 早く眠くなり就寝。

2001.11.27.(火)
 日本列島全体が冷え込んだ日。なんだか体はだるいし、寒気もする。
 浜野病院へ行って仕事をしていても、体が言う事をきかない。
 気分転換に散髪。
 ミハは小児科でリンゴ病でしょうと御墨付き!をもらってきたが、皮疹が出現しているので、もう感染性なく学校へ行っても良いとの事。
 私自身まだ、だるい。更に寒気もする。本当に気温が低下し、アラレまで降って寒いのであるが、どうもおかしい。
 病棟の体温計で体温測定。ゲッ、37.6℃。ああ…、これを見たら目眩が……
鑑別診断:
1)インフルエンザの予防接種の有害事象
2)リンゴ病(パルボウイルス感染症)
3)単なる感冒
 こんな事やってないで、早く寝よ。明日、外来なので自分で調べよう。

2001.11.28.(水)
 電気ヒーターをガンガンにつけて寝て、若干体は楽になったような。
 外来。15時に終了。こんな日は新患が少なくて良かった。
 自分の採血data:WBC 13870/μl (Neut 69.7%, Lymp 15.4%, Mono 5.0%, Eos 7.9%, Baso 0.8%), CRP 3.9mg/dl。他大きな異常データなし。胸部X-Pでは明らかな肺炎無し。
 軽い上気道炎症状あり、何らかの細菌感染と思われ、抗生剤の内服開始。
 夕食は食事会だったりする。金沢スカイホテル17階の中国四川料理の鳳凰。美味しいっす。体調が良ければもっと美味しかったかも。いつもなら、この後更に繰り出すのだが、流石に本日はおとなしくしておく。

2001.11.29.(木)
 7割5分ほどは体調回復。
 仕事もそれなりにこなす。
 早く帰宅。
 中尊寺ゆつこ著「ていうか経済ってムズカシイじゃないですか」(日本経済新聞社)。漫画家の中尊寺ゆつこさんが日経夕刊に連載した漫画。難しい経済用語と最近の流行語?を分かりやすく?書いてあるような…?

2001.11.30.(金)
 体調は8割程度かな。こんな日に病院職員の健康診断。異常データ続出で要精査になりそう。
 IVHカテ1件(不調でごめんなさい)、骨髄穿刺1件。
 なんとか業務を終わらせ、出来るだけ早く帰宅。
 本日は、ミハ様の御生誕7周年。ハム太郎の形のケーキでHappy birthday! 今後も、大きな病気や怪我をしないで、すくすく育ってね。
 生傷の絶えない、ミハ&モモ。ミハは転んで両膝擦過傷、モモは階段の中ほどから落ち顔面打撲でアイタタタ。くれぐれも大きな怪我は気をつけてくださいね、ホントに。
 ジョージ・ハリスン死去。控えめな性格でビートルズ時代はジョンやポールの陰で思うように曲を発表できなかった…、と新聞には書いてあったがそれは違う。ジョンやポールのような多作でかつ良い曲を作れるタイプではなく、寡作だが良い曲を作るヒトだった。「While my guitar gently weeps」「Something」「My sweet road」これだけで、十分。御冥福をお祈りします。
 狂牛病3頭目!!! No more Prion!