2001年10月の日記;No More Anthrax !  No More Prion !

2001.10.1.(月)
 回診後は何をしていたか、余り覚えていない。昼食に過って牛肉を食べてしまったが、まさかCJDがそんなに早く発症する訳もなし、単なる天然ボケか? 
 アメリカにE-mailを送ってもなかなか繋がらないのか、Host unknown (Name server: scripss.edu.: host not found)というメッセージが出てくる、しつこく同じメールを送っていたら3回めにしてやっと送れた。これもテロの影響?

2001.10.2.(火)
 風の強い日。海からの風にあおられながら、浜野病院までのドライブ。結構、怖い。
 夕方より病院へ戻り当直。明日、看護部主催の勉強会でお話しなければならないので、その資料作りを…と、思っていたら、例によって病棟患者さん達が騒ぎ始めて、なかなか医局へ戻れず。
 おかげで、寝不足。

2001.10.3.(水)
 外来はスローペースで、なかなか終わりが見えず。
 17時半より、看護部主催の勉強会で「化学療法について」という、かなり漠然としたタイトルの講演を行う。お役にたてただろうか?
 目の前にやるべき仕事が溜ってきて、To Do リストを作っては、ため息。
 農水相をはじめとした自民党の方々が、牛肉の安全性をアピールするために試食会??? 既に狂牛病と診断された牛の肉骨粉を何の対策もとらずに市場に出回らせてしまってから、日本の牛肉や牛乳は安全ですって言われてもとても信用できない。酪農業者や肉骨粉業者等への配慮としても、政府がまとめて買い取ったり消却処分にかかる費用を負担するなどの補償をまず行うべきなのに、現時点では補償のホの字も出ていないらしい。プリオンは感染から発症までに何年もの時間がかかる訳だから、あなたがたのようなお年寄り(失礼!)は問題がないかもしれないが、我々やその子供の世代が発症してしまっては困るのだ。折しも、エルク(ヘラジカ)のプリオン病がアメリカで発見され(種のバリアーはプリオンにはアテにならないという事実が改めて確認され)、各国で非常事態宣言が出たらしいが、日本は相変わらず何の対応策なし。全て後手後手に廻る日本の悪い風習。安全だとアピールするくらいなら、しかるべき処置をきちんと行ってからにしてほしい。

2001.10.4.(木)
 近日中に予定の、とある強力な治療計画についてのプロトコール原案を作成。
 医局会。とてもショックな出来事があったが、落ち込んでいる暇もない。仕事仕事!
 保険関係の監査に対する対策という事で、およそ意味が有るとはとは思えない業務をしばらく行う。
 その後、先月分のレセプト書き。たっぷり。
 新患入院というか他科からの転科一人。
 入院患者さんの家族が何か(?)に腹をたてて、病棟で大暴れ?したとの事。他の入院患者さんや看護婦さん達(勿論我々も)の安全を確保するために、事情聴取を行う必要がある。こちらに落ち度は全く無さそうなうえ、この人に関しては今回が始めての事ではないので、今後二度と起こらないような対処が必要。どうも余分な仕事が増えて困る。
 そろそろ寝ようかと思った矢先、モモが熱くなっていた電磁調理器に触れてしまい手に火傷。水疱が出来ているのでII°であろうと思うが、今からの人生に万が一の障害が残っては困るので、こっそりと形成外科の先生に電話し、対処法を伺う。痛がっていて只でさえ寝つきが悪いのに、益々眠らない。かわいちょ〜でちゅね〜。
 「ここが変だよ日本人」。霊能力者スペシャルなんて、どうでもよろしい。それよりも何故、今、アメリカの同時多発テロに関する討論だけで、スペシャル番組を作らないのか。アメリカ人だけど外見上は日焼けした日本人という風貌のケヴィン何とかという人の、今回の事件に関する意見を聞きたかった。この人、常にやたらとトゲのある言い方で、アメリカは世界の警察?理論を偉そうに話す人なので、その他の特にアフガニスタンを始めとしたイスラム教信者の人達とのディベートを聞きたかった。それなのに最後の数十分だけの緊急特集とかで終わらせないで欲しいなあ。最後にたけしが言った「アメリカにはテロくらいでしか反撃できない状況になってしまっている、だけど絶対いけない事なんだよな」という一言が救いではある。

2001.10.5.(金)
 モモを朝受診させるために、救急外来でいろいろと戦術を練る。手のひらの皮の厚いところなので大丈夫でしょうとの事で、しばらく消毒/ゲンタシン軟膏/包帯にて処置することになった。
 入退院患者の一覧表を、訳あって作り直す。
 次週分の指示だし。BSL学生さんのお相手。
 実家へは電車で行こう。金沢17:01(北越7)→19:01直江津。
 文芸春秋10月緊急増刊号「これは戦争だ」日米総力編集を、ビールを飲みながら読んでいるうちに、あっという間に直江津へ着いてしまう。

2001.10.6.(土)
 実家の外来をまたもや変則的に半日で終了。一般的な風邪ひきや腹痛、高血圧/高脂血症はやはり多いが、徐々に膠原病/血液疾患の患者さんも増えつつある。
 直江津12:29(はくたか8)→14:09金沢。
 我孫子武丸著「人形はライブハウスで推理する」(講談社ノベルズ)。実に久しぶりの我孫子武丸さんの新作。腹話術の人形が名探偵で、話を聞いたりするだけで事件を解決してしまう一種の安楽椅子探偵物シリースの短編集。ほのぼのとした作品が多くて、とても良い。もう一方のドタバタ速水三兄弟のシリーズも新作を出してくれないだろうか。
 早く着き過ぎて困った。時間を潰すために、100番街の本屋さんで本を買い込む。
 喫茶店で本を読む。
 高橋豊著「がん休眠療法」(講談社+α新書)。金沢大学がん研究所腫瘍外科助教授の一般の人向けに書かれた、従来のがん治療の「縮小なくして延命効果なし」という常識に対するアンチテーゼ。従来、無効では治療効果なしとされていたが、腫瘍の増大を抑えるだけで一定の延命効果が得られる、そして従来の強力な治療よりもQOLを保った生活が送れるという、まさに目からうろこの理論。血液腫瘍(急性白血病や悪性リンパ腫)は腫瘍の増殖速度が早いから、むしろ強力な治療で寛解/治癒も期待できるわけだが、不応性だったり再発をくり返して治療抵抗性になる患者さんも残念ながら多い。そういう患者さんには実際今までもこれを行っていた訳だが(VP16少量経口持続療法など)、こうして「がんの時間学」として理論立てられると、非常に分りやすい。一冊読み終わると丁度17時。
 第10回金沢造血器腫瘍研究会 at ホリデイ・イン金沢。特別講演は大阪大学医学部病態生体情報学教授の杉山治夫先生の「WT1ペプチドを用いた癌の免疫療法」。白血病のほとんどに高発現しており、多くの固形癌にも発現しているというWT1に関する全てをお話頂いた。第1相試験がまもなく始まるらしい。CR+PRの縮小効果で判断されると厳しいであろうが、まさしく少し前に読んだ休眠療法としてであればかなり期待できるだろうと思う。

2001.10.7.(日)
 良い天気の日曜日。But、日当直だよん。
 朝から私的には嬉しいニュースが日刊スポーツに:シンガー・ソングライター小沢健二(33)が来年、4年ぶりに音楽活動を再開することが4日、分かった。この日、東京・赤坂BLITZで行われた東芝EMIの音楽イベント「MUSIC TALKS」で発表された。小沢は98年1月発売のシングル「春にして君を想う」を最後に、充電期間に入っていた。来年春に、新アルバムを発売する予定で、現在ニューヨークでレコーディングしている。以下、省略。
 しかし4年間も何やっとったん? 小山田コーネリアスも4年ぶりだし、おまえらつるんで遊んどったんちゃうか? と勘ぐりたくなりますが、遂に/やっと/今度こそ/本当の復活情報のようなので、とても嬉し。
 今日は、溜った仕事を片付けるぞと意気込む。
 溜っていた入院患者サマリーを10症例分仕上げる:溜めすぎ! 研修医の先生達にサマリーを早よ書けと言えないねえ〜、これじゃ。
 治療プロトコール作成の仕上げ。
 サッカー:日本 VS ナイジェリアをつい見始めてしまい、これ以上の仕事は手につかず。先日のセネガル戦が成す術も無く負けてしまっただけに、今日の試合は見ごたえあり。個々人の身体能力はどう見てもナイジェリアが上。しかし日本チームもその間隙をぬって結構シュートまで出せたので、見ていて力が入る。
 どうも当直すると夜更かししてしまう。

2001.10.8.(月)
 朝、また病棟でいろいろあって呼ばれる。
 医局へ戻ってTVをつけると、風雲急を告げている。米英空軍によるアフガニスタン攻撃開始。一方、タリバン側は最後の血の一滴まで戦うと宣言している。遂に畏れていた事態に進展。また報復のテロが始まるであろう。どこにいても安全は確保できない世界。テロは勿論悪であるが、自分達の立場を正義と公言してはばからないブッシュ/アメリカも信用できない。
 どこ行く〜う? 本日は石川動物園へ。天気予報は今一だったのですが、でも暑かったので一家皆半袖で行きましたが、これが大正解。なんかムシ暑くない、この頃。これぞ、天気読み! 
 動物園に居る間、そして車中でもやたら元気だったのに、家に帰ってからモモが熱発。でも、元気なんだよね。
 ミハは突然お勉強に熱が入り、漢字の勉強に勤しんでいる。がんばってね。

2001.10.9.(火)
 一人退院/一人入院。一人分のサマリーを書く。
 モモは本日も超元気で本当に昨日熱あったの? 本日は熱なさそうだし、他に症状なさそうだし、知恵熱という事にしておく。
 「さよなら、小津先生」という田村正和主演のドラマが始まり、何故か、つい見てしまう。転落したヤリ手銀行員が荒れた学校の先生になるという話。何故か、ハマりそう。困った、やるべき仕事が目の前に溜っているのに。思い込みかもしれないけど、いつもクールな役が多い田村正和の泣くシーンって始めてみた気がしました。次回から、バスケのシーンも出てきそうで、困った困った。
 何故か、突然試験問題の作成依頼があり、作成する。試験て、作る側と解く側どちらが楽かなあ。
 自治体関係の助成金の要望書作り直し。それにしても、今回のテロ/空曝で来年5月の学会参加者がどの程度減ってしまうのか、これも心配の種。

2001.10.10.(水)
 炭疽菌(Bacillus anthracis)もテロの可能性ありそうとのニュースあり、少しだけ炭疽菌感染症についてお勉強。皮膚型、気道型、胃腸型と症状も様々で、いずれの型も重篤になると死に至る怖い病気のようだ。鑑別疾患としてこういう特殊な感染症がまず頭に浮かぶかどうかが、鍵であろう。Penicillinが有効らしいが、今回の菌は研究室で何らかの遺伝子操作が行われた可能性もありとの事で、油断はできない。
 学会のSecond circular作りが先日から遅々として進まない。どんどん遅れていく感じ。大丈夫かなあ。
 外来は本日予約少なく、いつもこんなだったら楽なのにという感じ。
 ミハがまた漢字のお勉強頑張っているので、私もその横で英語の論文を読むことにする。モモはいつも通り暴れている。

2001.10.11.(木)
 朝4時に起きて、昨日の論文読みの続き。基本的に早起きは全く苦にならない(ジジイとよく言われる)。が、飲みに行っている時以外は!、遅くまで起きていられない。完全な朝型人間なのだ。
 医科大がとある事(良いニュースではない)で、全国ニュースにでてしまった。とばっちりが来なければ良いのだが…。
 手術室で骨髄採取術。手術室へ入って、手洗いし術衣をつけるだけで疲れる。外科系の先生方は大変だなあ。術野がライトのせいでやたら暑くて汗だくになる。外科系の先生方は大変だなあ。その点、内科は楽ですよ〜、なんちゃって。説得力ないかなあ。
 病棟業務などで時間は潰れる。夕方にも骨髄穿刺2件。一日中、骨髄採取やっている感じですね。
 家へ帰って、本日はミハ/モモとも早く寝て、自分も眠ければ早く寝れば良いのに、何故か私的には夜更かし(12時就寝)してしまう。
 炭疽菌3人目の感染者が出たらしい。注意!

2001.10.12.(金)
 朝から他科よりコンサルトされた患者さんのカルテを書くだけで、何故か一時間余り費やす。
 入院患者さんの便より特殊な菌が検出されてしまい、それの対策を調べるのにまた小一時間。食中毒の原因菌としては比較的よく検出される菌だという事が分かるも、テロじゃないだろうな等と心配になる。
 午後から、外科へ依頼した腹腔鏡下摘脾術という神業のような手術を見学。外科の先生って凄い。
 狂牛病の新たな感染牛発見→一転してシロ。何やってんだか。ELISAでは擬陽性が多くて、ウエスタンブロットで確認したら陰性だったという事らしい。しかし、今回疑惑のあった牛の肉も既に市場に出回っている事が判明し、「安全と確認された肉だけが市場に出る」と言っていた農林水産大臣/厚生労働大臣等の行政側の責任は重い。今回の件で分かった事は、「行政の発表した事は信用できない」「過去の薬害エイズ事件やヨーロッパの狂牛病問題等の教訓が全く生かされていない」こと。食肉加工業者、肉屋、焼肉店などの牛肉に関わる職業で生活している人たちの生活や、遠い生来に発症しうるCJDに対して、どう責任をとるのか。

2001.10.13.(土)
 今度はニューヨークで新たな炭疽菌感染者発見。郵便で送りつけられた粉から感染したということだから、人事ではない。
 夕方よりシェーグレン症候群研究会 at 金沢都ホテル。今までに有効な治療薬のなかったシェーグレン症候群に始めて登場した塩酸セビメリンという新薬の発売を記念して開かれた会。前半はシンポジウムとして北陸を代表するシェーグレンの5人の専門家が発表しディスカッション。後半は東京大学医学部社会予防医学教授の松島綱治先生の特別講演「ケモカインと免疫疾患」。マウスに肝臓の肉芽腫性病変を作るモデルを使って、樹状細胞/PALT(potal vein associated lymphoid tissue)/Th1 & Th2/ケモカインなどなど勉強にはなるが、少々難しすぎるお話でした。そもそもケモカインて一体いくつあるの?って言う感じ。
 松島先生はその昔、当科に在籍されていた事がありスガイ教授とも仲が良いので、その後、少し。

2001.10.14.(日)
 秋晴れの日曜日。
 車で加賀方面へドライブ。
 日本折り紙博物館:折り紙で様々な物が趣向をこらして作ってある。特に、世界最小の折り鶴は顕微鏡で見てもやっと分かるくらいに小さい、とんでもない代物である。世に中には色々な専門家がいるものだ。
 更にドライブして、加賀フルーツランドへ。ここは季節によってイチゴ/ブドウ/リンゴ狩りができる場所。今の季節はブドウ&リンゴが狩りの対象で、本日はリンゴを選択。陽光という種類のリンゴで、もちろん美味しい。だが、リンゴ狩りOKの木に成っているリンゴ殆どが傷んでいるか虫喰い状態で、奇麗なのは皆先にとられてしまった後という感じ。手の届かない高い所になら奇麗なリンゴもあるのだが…。食べ放題といってもそんなに、食べられる訳もなし。その後、芝生の広場でミハ/モモを遊ばせる。結構、日焼けしたかも。
 その後更にお買い物で、疲れたべえ。

2001.10.15.(月)
 このところ連日、実に良い天気。しかし、TVでは暗いニュースばっかりでいやになる。
 炭疽菌感染者がまた増えてしまったらしいが、炭疽菌はヒト→ヒトがないから、大勢死ぬ事はないだろう。生物テロで怖いのは天然痘だが、出てこない事を祈る。生物兵器テロの可能性が高い感染症についてはこちら。
 NY世界貿易センタービルの廃墟前には多くの花束やメッセージが寄せられているらしいが、その中に日本語で「今日は本当に楽しい日でした」と書かれているのが、TVで放映されていた。サイテーな日本人?もいるものである。
 家へ帰ると今度は、妻が発熱。モモがなかなか寝ないので、休むに休めないので気の毒。しかし、こんな時に父親(男という生き物)はなかなか力になれない。

2001.10.16.(火)
 秋晴れも昨日までで終わってしまったようで、一転していつもの北陸の天気に逆戻り。
 アメリカでは炭疽菌感染が広がって、ついに7ヶ月の男児まで感染し発症したらしい。気の毒。世界的にも白い粉の恐怖が広がり、日本でも白い粉の入った不審な郵便物が発見されたが、炭疽菌は検出されなかった、とか。こんなときに便乗する模倣犯/愉快犯というのは本当に腹立たしい。
 憂鬱な天気に、憂鬱なニュースばかり。仕事のやる気も起こらず、英語の勉強だけする。
 マリナーズ、インディアンズとのディビジョン・シリーズとの最終戦勝利で、地区優勝へ。これが唯一明るいニュース。次はヤンキースとの一騎討ち。頑張れイチロー、頑張れ大魔人。
 「さよなら、小津先生」を見てから寝る。

2001.10.17.(水)
 よく寝たはずなのに、朝から何故かけだるい。
 外来は始まる前から予約いっぱいで遅くなる事が予想されていた。が……、予想をはるかに上回る多忙。なんとか均衡を保っていた患者さん達で残念ながら悪い方向へ一歩踏み出してしまった方々が続出。新患も多く、終わったのは17時半。この時間までくると、今更お昼御飯を食べる気にもなれず。どこかの雑誌に書かれていたが、「先生のようにいつも忙しくて走り回っている人に、私のQOLを語ってほしくありません」と患者さんに言われたというのも、実に納得できる話である。
 病棟業務を大至急片付けて、有志の飲み会へ。一日一客(最大7人まで)しか受け付けない、居酒屋?へ。話を聞けば聞くほど、道楽で仕事をしているとしか思えない。私の外来も、こういうスタイルでやってみようかしら;予約のみ! 一日7人まで! いいなあ、理想的 (^^;)

2001.10.18.(木)
 モモが昨日より、真っ赤なほっぺになってしまった。リンゴ病?? その後、妻が近くの小児科へ連れていき、リンゴ病でしょうとの御墨付きをいただく。また、妻の発熱もモモからのパルボウイルス感染をもらった可能性大。2人とも変な後遺症が出ない事だけ祈る。
 新型CJD(狂牛病)疑いの若い患者さんが、発見されたと報道あり。まだ結論は出ていないようだが、こういうニュースを見る度に日本政府の、無策/危機管理能力の無さに改めて腹が立つ。
 寝不足(自業自得)で、眠いでござんす。いくつかのペーパーワークを片付けただけで、仕事をした気になり本日の営業は終了。

2001.10.19.(金)
 またまた幾つかのペーパーワーク。JCOG-LSG登録症例の追跡調査:これが結構ストレスだったりして。
 難治性の患者さんに対する治療プロトコール案作成。
 次週分の指示だし。大量療法を含む治療の予定があると、指示だしだけでも結構な作業になる。
 ケータイを新しく変えたのはいいが、未だに使いこなせない。説明書も厚くて読む気が起こらない(推理小説なら分厚くても読めるのだけれど)。メールが送られてきても、見るのがやっと。ケータイからメールを送り返そうなどとは夢にも思わない。HPを運営している事を、人からはよく感心される(バカにされる?)が、私に言わせればケータイでメールを送れる人の方が驚異的なのだが。
 家へ帰ると、今度はミハがコンコン、ゼコゼコ、ゲロゲロ。早く良くなってね、お大事に。

2001.10.20.(土)
 今週は担当の患者さん2人に退院していただいて、やっと少し楽になると思ったのもつかの間。一気に新患入院2人あり。しかも、来週からはまた入院予定のラッシュなので、オーマイガッ。
 日本全国秋晴れの良い天気だったはずだけど、病院内にずっと居るので関係ないね。
 今日から、大根布地区は小濱神社のお祭りでい。

2001.10.21.(日)
 朝少しだけ病院へ行って一通り回診。
 8時すぎから、町内の獅子舞が廻ってくる予定なので、慌てて家へ帰る。間に合った。
 昼前に、小濱神社へ。まあ、出店が並んでいて、子供が喜ぶというだけのもの。こんな時しか、ワタアメは食べる機会がないが。
 ミハがまだ風邪気味で調子悪そうなので、一家皆で寝て曜日。ゴロゴロ。

2001.10.22.(月)
 朝から爆発するような。でもまあ、新人類というのか。自分の若い頃もそう言われたのであろうし。しかし、まあ、なんというか、……。
 イライラしていると、精神衛生上よろしく無い。ので、気分を切り替える。
 新患入院2人。別に、このくらい忙しくないもんね。と、自分に言い聞かせる。

2001.10.23.(火)
 Jamiroquai「A funk odyssey」(Epic Records)。前作のCanned Heatのような超ドポップな曲はないが、実に歯切れの良い充実した曲が並んでいて、最近はドライブ中はこればっかり。ギターのカッティングがカッコよい。何故かボサノバ調の曲もアルバム全体の減り張りとなってよい。そしてやはり何と言ってもジェイ・ケイの声の響きが心地よい。
 散髪。また短く短く。床屋さんに近辺の紅葉の見どころ情報を教えてもらう。そして何故か床屋さんから採れたての巨大なサツマ芋をいただく。
 病院へ戻り、ペーパーワーク(コンピューターワークというべきか)。
 例のTV番組を見ようと思ったが、日本シリーズのため1時間も遅くなる。日本のプロ野球に興味をもてないので、そのせいで他の番組が遅らされると、どうも面白くない。いろいろなスポーツや娯楽があり、しかし試合が長引いたために他の番組に影響を与えるのはプロ野球だけである。世の中、プロ野球ファンだけじゃないんだぞ!
 それはともかく、マリナーズは残念でした。オフシーズンは短期決戦だから、運もあるかもね。これも実力のうちと言ってしまえばそれまで。
 ニュースでは、山林に大量の牛肉が捨てられていたとか、銀行強盗が入って合計2000円!(1000円札+1円玉1000個)を盗っていったとか、悲しくなる様な事ばかり。どちらも悪い事には違いないけど、犯人に同情したくなってしまうのは、何故?
 妻の四肢に掻痒感の強い皮疹が出現。我が家では依然として、リンゴ病テロが終息せず。

2001.10.24.(水)
 朝のTVでは農水相がまたアホな発言。狂牛病に対する根本的な対策をとらずに、国民を危険に陥れた第一級戦犯なのに、所詮は人事としか考えていない事がとってもよく分かる。国民が狂牛病CJDを発病する頃には、とっくに辞めていて責任を取らされないから、人事なんでしょうね。
 外来が長引いて16時までかかる。しかも、本日はLymphomaもしくはその疑いの新患が4人もいて、いずれも入院精査加療が必要だが、当科の入院ベッド満床でやりくりが大変。結局、検査はできるだけ外来で行って、少しでも時間を稼ぎ入院患者さんが退院するのを待つしかない。
 17時から、大学院セミナー at 金沢医科大学C41講義室。東京大学医科学研究所の森茂郎教授の「悪性リンパ腫の診断における新しい考え方」。最先端の話をとても明解にお話いただく。私にとって、Bcl-6関連の転座について、づっと謎だった部分が解明されて収穫大。金沢医科大学の大学院生達はこういうお話を聞けて幸せである。「おい、そこのお前、寝てんじゃねえ! 起きんかい、このタコ!」
 妻の皮疹が改善したと思ったら、今度は関節痛らしい。モモはとっくに元気になって暴れまくるものだから、安静をと指示しても無理な相談か。

2001.10.25.(木)
 入院予定の患者さんの入るところが、別6にも11階Aにもない。フリーベッドで探していただく。トホホ。明日も予定あるけど、当分この状態が続きそう。
 医局会。長い間、止めておいた英語論文の抄読。国際シェーグレン症候群シンポジウムに向けての策略でもある。
 妻の関節痛は続く。RS3PE症候群のような(そこまで浮腫はつよくないが)関節炎。それでも、家事をこなすところが偉い。床屋さんで頂いた、巨大サツマイモも美味しいスイートポテトに変身している。

2001.10.26.(金)
 病棟業務が立て込んでいる時に限って、消防の見回りはあるは、床のワックスかけはあるは、てんやわんや。
 骨髄の検査も、いつもと違う病棟で行うと勝手が違って、倍時間を費やす。
 なんだかんだで、17時過ぎまでかかり、それから車で上越の実家へ。ビールの廻りも早い気がする。

2001.10.27.(土)
 実家の診療まで何故か満員御礼。昼を過ぎても終わらず。
 14時くらいに上越を発って、金沢へ戻る。
 第1回北陸再生医療研究会at 金沢東急ホテル。研究会が多すぎますね、今日この頃。特別講演2題で、前半が協和発酵東京研究所再生医療グループの桜田一洋先生の「体性細胞を用いた再生医療の可能性-神経幹細胞と多能性体性幹細胞」。第1回目の研究会の最初を飾るに相応しい、再生医療に関する総論的なお話。後半が、金沢大学がん研究所細胞制御研究部門・細胞分化研究分野教授の高倉伸幸先生の「造血幹細胞の可塑性-血管再生医療への展開」。血管が造血幹細胞から再生して伸びていく。共に、最先端の話題。どんどん進歩している。そうだ、造血幹細胞は何にでも化けられるのだ。これを読んでいる君、血液免疫内科に入りなさい!
 その後、某学生さん2人を呼んで飲みに繰り出すのだが。2人とも何故か突然、丸坊主頭で来るものだから、ヤクザの出所祝いみたいで困る。研修医のカイト君といい、最近は丸坊主が流行っているのか? 目立ってしょうがないので、離れて歩いてくれないか、君たち。

2001.10.28.(日)
 二日酔いでも容赦なく日曜日の朝はやってくる。6時半にコメットさんが始まるよ〜ん。ミハさま、起きてくださいまし。起こすだけ起こして、横でグーグー。
 少しだけ、病院へ行き病棟を回診する。
 宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」を一家で見に行く。魑魅魍魎が一杯出てきて楽しい。絵は相変わらず緻密で、日本のアニメの水準は凄い。だがストーリー的にはどうってことない。私にとっては、ナウシカを超える宮崎作品、アニメ作品はまだない。

2001.10.29.(月)
 何が何やら。もう、頭はあまり働いていない。体が勝手に動く。とにかく働いている事は確かである。一つづつ、片付けていこう。人にお願いできる事はお願いしよう。

2001.10.30.(火)
 早めに起きて病院へ。眠っている細胞を起こす仕事をする。その細胞が無事に患者さんの体に入った事を確認。
 それから、いつもの火曜日、浜野病院へ。老人寝たきり専門の浜野西病院がオープンしたて。既存の浜野病院と、新病院の距離が車で移動しなければならぬほど離れていて、何だかとっても不便な気がする。勿論、新しい病院はバリアフリーで、奇麗で、素晴らしいのだけれど。いっそのこと、皆新しい方に統一、出来ない理由があるんでしょうねえ。
 帰り道、能登有料道路は、白バイが大量発生。注意。
 医科大に戻り、いくつかのペーパーワーク。
 国際シェーグレン症候群シンポジウムのHPを久しぶりにアップデート。今後は業者に任せる事にしたので、業者の作成したHPにリンクを張るのがメインの仕事。これで、私がもう国際SSのHPを変更する事はあまりないであろう。
 そもそも、国際SSのHPと金沢医科大学83年入学同期生のHPを作成する必要がほぼ同時に生じたため、その練習として作ってみたのが、自分のHPを始めたきっかけである。今や、国際SSは私の手を離れ、83は立ち上げたもののあまり利用者がおらず開店休業に近い状態で、個人のHPの運営(といっても主に日記だけ)がメインになってしまった。思わぬ人に読まれていたりするのも、いとおかし。と思う事にしよう。
 メキシコでは、アメリカで品切れで高価な炭疽菌によく効く、あの抗生剤が安売りされていて、アメリカ人が買いにくるらしい。テロ対策専門の商売をしているお店もあるとか。商魂逞しいというのか。

2001.10.31.(水)
 外来は予約が少なかった割には、だらだらと終われず、結局16時までかかる。その後病棟へ行き、骨髄穿刺(ちょっと普通とは違う方法)と、IVHカテ挿入1件。それから、入院患者さん達を回診。でもって、ギョギョッとする事もあったりして。
 間近に迫った学会の準備をしなければならないのだが、臨床業務で既にヘトヘトで、また明日があるさ。