2001年9月の日記:No More War !

2001.9.1.(土)
 当然の如く、本日も多忙。患者さんも一部重症化傾向あり。
 明日の、内科学会地方会の準備。

2001.9.2.(日)
 当科で主催の内科学会北陸地方会at 金沢医科大学。スライド係と、血液関係の演題4題の座長を担当。
 夕方より、症例報告を発表してくれた岡田君と学会を手伝ってくれた学生さん達の慰労という目的の飲み会。う〜、また飲み過ぎ…。

2001.9.3.(月)
 二日酔いでござんす。頭いた。
殆ど使い物にならない体をひきずって、一日働く。BSLの学生の相手もしたし、骨髄穿刺だってした。しかし、眠い。もうだめ。

2001.9.4.(火)
 昨晩より大雨が七尾地方では降ったらしい。浜野病院へ行くと、会う人会う人「来るの大変だったでしょ?」と言う。「全然!」
 Mr.Children「優しい歌」(トイズファクトリー)。久しぶりの新曲は、タイトルとは裏腹な力強いポップ・チューン。カップリングに「花」の新バージョンも入っていて、とてもお得。
 夕方、妻、モモと共にミハの小学校の夏休みの作品展を見に行く。自由研究はいろんなのがあって楽しい。最もうけたのが、「中佐の家系図」というもの。中佐という八百屋さんが内灘町にあるのだけれど、そこの男の子が自分の家系図を模造紙 (ところで新潟県人会では模造紙の事を「太陽紙」と言うのだが新潟県以外ではそう呼ばれない事が以前話題になった:太陽紙というのは新潟の方言?らしい) いっぱいに書いたもの。「調べ出したらきりがなかった。」という最後の考察と結論がまた面白い。
 医科大に戻る。W先生の御依頼でIVH挿入1件。
 ケイゾンのトレーディング・ダービー。2001年6月に終了した第7回トレダビ最終順位は117,486人中『106,002位』という低成績であった。2001年7月より始まった第8回トレダビ、8.31.の時点でのランキングは129,632人中『1,537位』という予想外の好成績である。種明かし:第7回は一生懸命(架空とはいえ)種々の株を売買してみた。一方、今回第8回は多忙のため一切売買できなかったため、架空の現金 100,000,000円は一切減らず、この好成績になったという訳。つまり、いかに現在の株価が全面安か、現時点では株を売買したりしない方が資産運用としては賢明か、が実感できた。でも、夢がないなあ〜。
 うぎゃあ。またレセプトだあ〜。

2001.9.5.(水)
 昨日のうちにレセプト終わらず、朝より再開しやっと終わる。
 外来は先週お休みしたおかげで、予約いっぱい。15時半に終了。
 今をおいてIVHを入れるタイミングはないという患者さんにIVH挿入。やや手間取って、アセアセ。

2001.9.6.(木)
 朝、重症の患者さんが急変し御永眠される。御冥福を御祈り申し上げます。
 夕方、今まで比較的安定していた患者さんが、突然、強い腰痛、発熱、低酸素血症を呈しバタバタ。なんとか、落ち着いてくれて、ほっとする。
 そういえば、今朝のめざましテレビの占いカウントダウンでは魚座が最下位だったなあ(基本的に占いの類いは一切信じていませんが、お遊びとしては否定もしません)などと思ったりもする。
 また、経費を水増し請求して何億という金をだましとった外務省課長補佐が逮捕された。いい加減にせえよ。こういうやつは、国民の税金を無駄遣いし、国民に税金を払う意欲や義務感をなくし、国民の勤労意欲を低下させ、日本経済を停滞させるという意味で、第一級の犯罪者である。無期懲役くらいにはすべきである、…と思う。
 細野真宏著「経済のニュースがよくわかる本 銀行・郵貯・生命保険編」(小学館)。分かっているつもりで実は理解不十分な事を実に分りやすく説明してくれるこのシリーズ。確かに「自己責任」が問われる時代だから、知らなかったでは済まされない事が、沢山あるようである。特に、郵政三事業の民営化が何故必要かは重要な問題である事が理解できた。民営化に反対するような政党や政治家は支持しないようにしよう。

2001.9.7.(金)
 朝からどうも咽頭痛、咳、全身倦怠感あり。夏風邪かしら?
 来週分の指示出し。骨髄穿刺1件。BSL学生相手の画像チェック。なんだか、時間だけが過ぎていく。
 夕方、妻よりケータイへ問い合わせあり、「まだ…?」「なにが〜?」「今日、上越行く日じゃないの?」「えっ…、そうだっけ…」。慌てて仕事を終わらせる。
 家へ戻ると、ミハに「忘れてたんでしょ、お母さんに聞いたよ」と叱られる。「いやあ、忙しくてさ〜、……」
 夕方18時出発で、上越の実家へ。運転しながらも鼻水ズルズル。だるい。

2001.9.8.(土)
 一晩寝てもまだだるい。熱はないが、咽頭痛、咳、鼻水、全身倦怠感は持続。
 実家の外来は空いていて、経営者:親父には悪いけど、こんな風邪で体調悪い時には、仕事が暇でありがたい。
 父と将棋。2戦2勝。病んでいる方が邪念が入らず、頭が冴えていたりして。
 午後14時出発し、金沢へ戻る。眠くて、だるいけど、何とか辿り着く。
 タクシーで金沢駅前、ヴィサージュへ。第35回リンパ増殖性疾患検討会。全6演題。学会と違って、時間無制限なので発表者は大変。また、イヂワルな質問をする長老先生がいて、困った困った。後半3演題の司会を担当。司会は一応存在するのだが、皆さん勝手に発言するので、毎度の事ながらなかなか収拾つかない。困った困った。毎回ゲストにおいでいただく、愛知県がんセンターの中村先生の明解な解説にお助けを頂く。
 研究会後は、全日空ホテル最上階のラウンジで、中村先生と長老の先生方を囲んで、ちょっと一杯。風邪のせいで、味も香りも殆ど分からず。その後通常なら、更に繰り出すのだが、流石に本日はこれが限界。おとなしく帰ってすぐ寝る。

2001.9.9.(日)
 よ〜く寝った*すけね〜、楽になれば良いんだけどね。太陽紙! おまんた! (以上、一応新潟弁ですが、新潟は縦長のため、上越〜下越でかなり方言も異なります。が…、太陽紙は何故か共通! 他の県でも太陽紙という表現をする場所があれば、御一報ください)
 朝気がつくと、コメットさんはもう終わった時間、慌ててミハを起こしてニャンダー仮面だにゃん。
 まだ、風邪気味で全身倦怠感はあるが、咽頭痛や咳、鼻水は消失。日当直なので、医局でずっと寝ている事にする。呼ばれませんように。あえてエアコンを付けず、汗をかきながら寝続ける。
 幸い、病棟もまあまあ落ち着いているので、ひたすら寝続ける。

2001.9.10.(月)
 よ〜く、寝ったので、8割方体調は回復。*「寝った」と発音すると、新潟県人以外の人たちは「ネッチャ、ネッチャと練った」事を想像するらしい。
 末梢血幹細胞移植採取のための末梢静脈路確保に苦労する。一汗。
 夕方、近医より電話有り。白血球数著減していて発熱40℃ある患者さんを送ります。断るわけにもいかず、どーぞどーぞ。患者さんの到着を待ち、すわ! 一大事とばかり、緊急で採血し、骨髄穿刺まで行う。このあと、ちょっとしたオチがつくのだが…………。
 どっと疲れて家路へ。風邪はまだ完全に回復した訳ではなさそうで、倦怠感とともに消化器症状:吐き気が出現。
 台風15号が襲ってきそうなので、車をとりあえず高いところまで、避難させる。

2001.9.11.(火)
 台風15号は石川県地方には殆ど被害なく通り過ぎていったようである。関東地方ではかなりの被害が出たようで、御見舞いを申し上げます。
 台風のさなかに七尾:浜野病院までドライブするも、風も雨も大した事なし、唯一自分の体調だけが今一で、まだ倦怠感/咽頭痛が軽度続いている。ダル〜イ。
 散髪しに行く。床屋さんにも、疲れた顔してるじ〜、と言われる。病み上がりのもので…。
 NY世界貿易センタービルに2機の飛行機が衝突/炎上:何だ何だ? 2機ともなると、単なる事故というよりは、何らかの自爆テロ行為なのだろうか?

2001.9.12.(水)
 とんでもない同時多発テロだったようで。夜中もTVを見続けてしまいすっかり予定外の夜更かし。さすがに翌朝の事を考えて寝た。
 が、睡眠に入った直後に、病棟からの電話で起こされる。重症患者さんが、手当ての甲斐なく朝方に亡くなられる。御冥福を御祈り申し上げます。
 おかげで、限り無く睡眠ゼロに近し。
 朝のニュースもアメリカのテロ一色。テロは勿論憎むべきだが、アメリカも普段から世界の警察面して、中東情勢等に首を突っ込みすぎるから、こういう報復劇を仕掛けられるのではないだろうか。
 外来は、ダラダラ〜と終われず、17時を廻ってやっと終了。外来患者さん相手に、喋り続けているうちに再び咽頭痛がぶりかえし、声が嗄れてくる。鏡で舌を見ると、真っ白&ちょっと黄色ががっていて、少なくとも健康な舌の色ではない。帰って寝よ。

2001.9.13.(木)
 9割5分くらいは体調回復したものの、今だにけだるい。てきなくて、てきなくて…。
 夕方より医局で、レジのオカダ先生御苦労様会。よく頑張りました、花○。サトウ先生の差し入れの〆張り鶴が美味しくて、また飲み過ぎてしまう。家に千鳥足で帰ってから、気持ち悪くなる。 
 アメリカの立場としては報復攻撃を仕掛けるのは分からなくもないが、やられたらやりかえすでは子供の喧嘩と大差ない。日本も簡単にアメリカに協力するなどと表明しない方が懸命だと思うのだが。何しろ宗教でマインドコントロールされた相手に通常の良識は通じない事は、一連のオウム事件でも明らかなわけで、今回は更に国家規模だから余計怖い。軍事的に協力すれば、日本だって報復の対象にされうる。

2001.9.14.(金)
 朝のTVではこんな時によく登場する軍事評論家の人が、早くアメリカに協力を表明しないと同盟国として見なしてもらえなくなる等と発言している。そもそも軍事評論家というのは、普段何をしている人たちなのだろうか? むしろ戦争が起こってくれた方が、仕事が増えて内心は喜ぶような人達ではないのか。(まあ、医者だって病気の人がいないと食べていけない職業ともいえるが……)
 救いだったのは、森田実さんが軍事よりも経済面などで協力できる事は沢山あると発言してくれた事で、森田さんの発言を支持したい。軍事評論家や小泉首相のようなアメリカ寄りの立場にはなりたくない。
 二日酔いで脱水気味の体を引きづって、本日も始動開始。
 次週分の指示出し。クリーンルーム用のアイソレーターのデモ。BSLのまとめチェック。国際シェーグレンシンポのための話し合い。
 昨年はすっかり忘れていた、アニバーサリー。10年目は忘れずに帰る。10年もよくもったなあ〜。

2001.9.15.(土)
 朝早起きして、ミハの運動会の観覧席の場所とり。雨が降りそうで降らなそうな微妙な天気。
 アメリカは報復攻撃を行う事を議会で可決した模様。アメリカという国の性質上そうなる事は目に見えていたが、報復しても新たな憎しみ、新たなテロを生み出すだけだという事が分からないのだろうか。アメリカは自国のみが正義であると思い込んでいる、非常に危険な国である。アラブ諸国の民衆が(子供も老人も)今回のテロ成功に喜び湧いている場面が写し出されていたが、それだけあの周辺の国々の人々はアメリカの自分勝手な論理による攻撃で今まで苦しめられ続けてきたという事ではないのか。今回のテロは無関係な民衆も大量に巻き込んだという点では憎むべき行為だが、アメリカが今まで行ってきた空爆攻撃だって同様な行為だとは思わないのだろうか。テロ関連の施設だけを限定的に攻撃できていた、そして今後も悪人だけをやっつけられるという保証はどこにもない。無関係な民衆がこれからも殺されていくのを、ただTVで見ているしかないのだろうか。
 部屋の中で、臥位から起き上がろうとした際に、古傷の右膝関節に激烈な痛みが。何が起こったかは不明だが、真直ぐに伸展しようとすると痛みが走る。しかたなく、湿布して更にサポーターを巻く。
 9時から予定通り、運動会は開始。痛い足をひきずってミハの小学校へ。
 運動会はほぼ滞りなく終了……、と思ったら閉会式中に、急に大雨が降り出す。
 幸い右膝痛は軽減したので、ヤボ用のため少し病院へ。できるだけ、休日には病院へ行かない主義にしているんですけど、時には仕方ない場合もありまして。

2001.9.16.(日)
 10時より内灘大橋(通称サンセットブリッジ内灘)開通式。10時から始まるかと思いきや、延々と来賓の祝辞が続く。悪いけど、祝辞はどーでもええっちゅうの、早く終わらせてちょんまげ。10時半を廻ってからようやく、テープカット&くす玉割り、3世代続く夫婦3組みから始まる渡り初め、各町内伝統の獅子舞や神輿などが続く。その間、モモはグズって大変。午前中いっぱいかかり、顔だけ日焼けしてしまった。
 その後、アルプラで買い物。疲れたべえ。

2001.9.17.(月)
 午前中は通常通り回診。午後からは、ムンテラ大魔王3件。しゃべりっぱなしで、疲れましたです。
 アメリカの市場も再開したらしいが、ダウ平均株価$9000台に。それに連動して、日経平均株価も9000円台に。テロの影響が様々なところに出始めている。
 おもわぬ影響は我々の職種にも影響し、アイソトープの検査も核種によっては、延期/中止せざるをえないものが出てきた。
 ウサマ・ビンラディンのそっくりさんが殺されたというアホなニュースも入ってくる。アラブ系人民への無意味な人種差別攻撃もかなりあるらしい。かわいそすぎ。
 吉村達也著「横濱の風」殺人事件(トクマ・ノベルズ)。吉村達也が少年犯罪を描くとこうなった。Popteenという少女向け雑誌にも短編を連載している氏ならではの切り口。「なんで普段ケータイを持たない人間に、ケータイの使い方を正しく指示できるわけ?」という少年の問いかけに共感。ガッコの先生に読んで欲しいですね、この本。最後に、救いが有りほっとできる。
 CORNELIUS「Point of View Point」(Trattoria/POLYSTAR)。約4年振りに復帰の小山田圭吾の新曲。リズムトラックがメインのコラージュみたいで、よく分かりましぇん。もっと彼には、持ち前のポップセンスを生かした曲でミルキーヴォイスを聞かせてほしい。こんなのは石野卓球にまかせとけばもっと高性能なのを作ってくれるので、不用。いっその事、姿をくらましたままの小沢健二とともにフリッパーズ・ギター再結成なんて…、駄目だろうなあ、きっと。

2001.9.18.(火)
 浜野病院に行く日にしては、珍しく良いお天気。
 同時多発テロから早くも1週間。くどいようだが、アメリカの報復攻撃に対して、後方支援などしようもんなら、日本だって危ない。原発が狙われたり、生物化学兵器が使われたりしない事を祈る。この際余計な事とは思うが、原発ってのは資源に乏しい日本における重要な電気供給源であるという理屈は分かるが、そこを狙うテロとか直下型大地震がないとも限らない訳で、大手を振って賛成する訳にはいかないなあ。
 なまけている訳ではないと思うのだが、書き忘れている書類系統が溜ってきている。ごく一部を処理するだけの時間しかなく、また明日以後へ持ち越し。「明日できる事、どうして今日やるの〜」という歌を口ずさみつつ…。

2001.9.19.(水)
 外来はダラダラ16時まで続く。循環器、呼吸器がらみの患者さんが多かったような。
 ある人からある事でお叱りをうける。非はこちら側にあるので、ゴメンナサイする。こんな時、以前なら大分こたえてしまって自己批判の泥沼で落ち込むところだが、「修正はすれども反省はせず」主義に切り替えたので、OKである。パラレルワールドは存在しない事を認識しただけで、随分と生き方も楽になれるものである。
 家に帰ると、ミハが初めて自転車に乗れたとの事でお祝い。9月19日をミハの自転車記念日と制定する。でも、怪我や事故に気をつけてね。

2001.9.20.(木)
 朝から紹介入院がありバタバタ。入院患者さん達も何故か一斉に変化しつつあり、その対処でバタバタ。他科に入院してはいるものの、当科的な疾患の患者さん達の検査や指示出しで更にバタバタ。一体全体何から手をつけて仕事をこなしていったら良いのか、駆けずり回っているだけ。一つづつ、目の前の仕事から片付けよう。
 小泉首相の発表した今回のテロ報復に対する日本側の対応7項目発表。各方面からの反発もありながら、それなりに無難な線でまとめたという感じ。アメリカの報復がどのような形で行われるのかまだ分からない現在、アメリカ側が小泉首相の発表したような事を必要とするのかどうかも分からない等と、アメリカの新聞では叩かれている。一方、タリバン側はビンラディン氏の自発的な出国を要請。これは事実上時間稼ぎととられても仕方ない発表で、結局アメリカによる報復攻撃→戦争は避けられそうにない。全てのテロの芽を摘むんだとブッシュさんは意気込んでいるが、出来っこないってそんな事。報復が報復をよび、更に犠牲者の数が増えていくだけ。全ての戦争は自分側を正義、相手側を悪と決めつけて、お互いに聖戦として結果的に多くの民衆が意味なく殺されていった歴史を認識できていないのだろう。日本がアメリカとタリバンの仲介役を買うという様な国際貢献は出来ないのだろうか。最良のシナリオと最悪のシナリオ。どちらかというと、最悪の方に向かいつつある。

2001.9.21.(金)
 バタバタバタバタ…。
 上越の実家に行かねばならぬ日だが、仕事に終わる気配なかなか見えず。
 中途半端だが、完全に片付ける事を諦めて、夕方6時過ぎにようやく出発。ま、2時間も運転すれば着きますので大丈夫ですけど。

2001.9.22.(土)
 変則的に実家の診療は午前中で切り上げさせてもらう。比較的天候も良いせいか、外来も空いている。   
 車で金沢へ戻る。
 第3回金沢CPT-11研究会 at 金沢全日空ホテル。世話人会より出席。しかし、CPT-11(イリノテカン)は血液領域では悪性リンパ腫に保険適応があるとはいえ、どうあがいても悪性リンパ腫ではFirst lineの治療になりえない薬剤で、演題も殆どが消化器癌系統なので私は門外漢。廻りを見渡しても、殆どが消化器外科系の先生方。心細。
 その後は、思わぬメンバーでカラオケ盛り上がり。しかし、飲みあわせ(!)が悪かったのか、気持ち悪くなり家に帰ってからゲロゲロ。

2001.9.23.(日)
 朝になってもまだ気持ち悪い。毎度の自業自得。
 こんな良い天気の日は北陸では1年に何回あるのやら!という晴天なので、どこかへ出かけなければならない。以前も行った、内川スポーツ広場へ。ここの素晴らしいところ:(1)広い芝生の広場がある、(2)いくつかの乗り物などは有料だが各々100円と安価である、(3)施設の係員の人達の愛想が非常に良い。子供を連れていって遊ばせるにはお勧めです。
 夕方より、妻の実家でお祭り。獅子舞などを見る。その後、夕食を御馳走になっている最中に、急にモモがギャーっと泣く。何か変なものを食べたか?と、義母あちゃんが指を突っ込むと緑色のペースト状のものが+。おー可哀想に、辛かっただろうね。9月23日をモモのワサビ記念日と制定する。
 流石の二日酔いで、お酒は見たくもない。せっかくの御馳走なのに、申し訳ありませんでした。

2001.9.24.(月)
 また良い天気、Part II。
 少しだけ病院に行って、少しだけ仕事。
 ミハのリクエストにより手取フィッシュランドへ。地方の遊園地だからこんなもんか。全てにおいてちゃっちい感じがするのである。
 やや本格的に金魚を飼う事に決め、水槽と金魚(赤リュウキン2尾、赤白リュウキン2尾、黒出目金1尾、赤ワキン2尾)を購入。私のお気に入りは、黒出目だがエサはこいつばっかりが食べている感じ、他のお友達にも分けてあげてくだちゃいね〜。
 黒猫リッツは御高齢のせいか、金魚には目もくれず。 
 巨人がヤクルトに3連勝したくらいで、ミラクルアゲイン等と言っているキャスターがいる。勝って当然のメンバーを集めているのだから、今まで負けていたのが不思議だっただけで、勝つ事自体はミラクルでもなんでもない。それにしても、勝ち数順??に並べている現在の順位表は見づらい。なんで、マジックの付いている1位のヤクルトが巨人の下に書かれるのか。少しでも巨人の優位性を目立たせたいという、魂胆でもあるのかと勘ぐりたくなる。

2001.9.25.(火)
 良い天気が続きますね、この頃。浜野病院までのドライブも快適でした。
 医科大へ戻ると、またバタバタ。
 小泉総理ついに、というか、やっとアメリカ入り。演説は英語で、質問への返答は日本語で。どこかの番組で誰かが言っていたが、テロ組織側は近いうちに再度のテロを仕掛けてくる可能性あり、その際は現在警戒が厳重なアメリカでは困難だろうから、比較的警戒の甘いどこかの国に起こすのではないかと。ありえる。アメリカに協調も重要かもしれないが、日本国内は大丈夫かしらん?

2001.9.26.(水)
 外来の予約が比較的少ない日だったので早く終われる事を期待していたのだが、世の中うまくできていて、新患が次々まわってくる。なんとか入院患者総数を増やさないように、土俵際でうっちゃりたかったのだけれど…。
 以前発生した、ある薬剤の有害事象報告書きなどをしていて、時間はどんどん過ぎていく。
 代打逆転満塁サヨナラホームラン。マンガみたい。ついでに、ツーアウトからで、場外まで付けば完璧だったのに、惜しい。

2001.9.27.(木)
 骨髄標本のカウント4件:溜めるな! 
 一人退院、一人入院。未整理カルテ・サマリーだけ増えていく。
 今週中にデッドラインの書類が…。明日しよう、できるかしら…。
 遂に、マイケル・ジョ−ダン復帰が決定。そもそも何で引退したのか分からんが、ともかく目出たい。今のアメリカには少しでも明るいニュースが必要だろう。
 アメリカが日本に求めているのは、自衛隊による後方支援より、少しでも早い日本経済/世界経済の復興に尽力する事ではないだろうか。テロ対策は大事だとは思うが、アメリカの軍隊の後方に自衛隊の船が居たって邪魔なだけだったりして。

2001.9.28.(金)
 第8回国際シェ−グレン症候群シンポジウムの助成金を、石川県、金沢市、金沢医科大学、橘勝会より戴くための要望書書き。それぞれ、書くべき項目は似ているものの、少しづつフォーマットが異なっていて、時間のみ費やす。イライラ。
 骨髄穿刺2件。BSL学生のお相手。次週分の指示出し。
 明日から、東京へ出かけるとなると、その前に終わらせなければならない事多し。

2001.9.29.(土)
 午前中駆け足で仕事を済ます。予診、腰椎穿刺、IVHカテ挿入、一通りの回診。あとは、皆さん宜しくねっと言い残し、タクシーで金沢駅へ。いつもなら自分の車で駅まで向かうのだが、よりによって朝からバッテリーがあがってしまって、動かない。
 金沢13:12(はくたか11)→16:15越後湯沢16:27(あさひ322)→17:48東京。
 読もうと思って何冊か本を持ってきたのだが、缶ビールを飲みながら週間現代をめくっているうちに、不覚にも熟睡してしまい、1冊も読めず。
 丸ノ内線で銀座へ、銀座線で溜池山王へ。暗くなっていて分かりづらいが、マロウドイン赤坂というホテルへチェックイン。
 弟とメヒコリンド(港区赤坂2-20-7)というメキシコ料理屋へ。いろいろ盛り合わせた、デラックス・タコスを注文。久しぶりに食べるタコスはうまい。辛い。気に入ったので、トルティーヤとサルサを持ち帰る。アメリカで食べたらメキシコ料理はチープなのだが、日本だと結構なお値段になってしまうが、仕方ないか。マルガリータを飲み過ぎて、結構酔っぱらう。
 ふらふらになったまま、2人でカラオケ・ボックスに行き、更に生ビールを注文。ふらふらになって、ホテルでバタンキュー。何しに、東京へ来たんだっけ?

2001.9.30.(日)
 朝から二日酔い。頭イタイ。今や日本では発売中止になってしまった、セデスG(フェナセチン)を飲む。やっぱ、頭痛にはこれが一番効くなあ。
 日本都市センターへ。なんだかこの近辺は日本の中枢で、限り無くテロに狙われやすそうで、やな感じ。
 社団法人日本内科学会認定医制度第29会認定内科専門医資格認定試験(長い! 要するに内科専門医の試験)を受けに東京まで来たのでした。前回の認定医の試験の時は妙な余裕で試験をさっさと終わらせて会場から途中退席できたのだが…、今回はチョー難しい。難問奇問の連続、こんな事まで知らんとあかんのかいなというような問題が次々。3時限あって、1時限目と2時限目は時間ギリギリまで費やしてしまう。問題は3時限目で早く退席できる事を見込んで、16時半までの試験の予定だが16時52分発の電車を予約してしまっている。ピンチ。という理由もあって、3時限目はろくに考えもせずに早く終わらせる事だけを目標に試験を受ける。今回は、できた自信全くなし。しかし、あれだけ苦労して症例のサマリー書きして落ちたら、トホホである。どうなることやら。早く終わらせるという目標だけは3時限目は達成し、15時50分に他の誰よりも試験会場を退席する。早く終わったからって、出来ているとは限りませんけどね。周囲の受験生をビビらせる/焦らせるという効果だけはあったように自負している(こんな自負は何の役にも立たないが…)。
 正直、できなかった〜と、打ちひしがれて新幹線に乗り込む。ま、過ぎた事は諦めよう。
 東京16:52(あさひ353)→18:12越後湯沢18:41(はくたか16)→21:11金沢。
 宮部みゆき著「RPG」(集英社文庫)。ネット上の疑似家族という発想はグー。最後の方まで読んでやっと納得。なるほどと思わせる手腕はさすがと言うべきなのだろうが、前半がやや冗長すぎのうえ、なかなか登場人物を把握しきれなかった。