2002年2月の日記

2002.2.1.(金)
 マキコちゃんの後任をオガタさんにという方向で人事を進めている様子。オガタさんは確かに有能だが、いかんせん御歳だし、大臣というのはムリでは? もうちょっと、厚かましいタイプの人でないと勤まらない気もする。
 国際SSシンポまでいよいよ3ヶ月ちょっと。気分はあせるが、頭はカラ廻り。
 いろいろあった予定を、順調にこなしてはいるのだが…。
 こちらの都合と患者さん達の都合は別なので、病棟方面はまた別にいろいろ騒いでいる、らしい…。
 結局、新外相には川口さんに決定。乱れに乱れた外務省と外交を、なんとかお願いしますね。

2002.2.2.(土)
 やけに、2並びの日。夫婦の日とも言うらしい。
 血液疾患とサイトカイン研究会@ホリデイ・イン金沢。一般演題が7題でこれだけで結構なお疲れモード。フルヤ君のデビュー戦は、内輪からの思わぬ突っ込みはあったものの、無難な線。特別講演は京都大学の垣塚彰教授の「APLの発症と分子機構」というタイトルではあったが、前半のAPLの話は落語で言う枕みたいなもの。むしろ後半の神経変性疾患の研究が凄い。神経変性疾患は基本的に何かがたまって空胞変性が起こるとの事で、VCPという蛋白を調節する事で、多くの神経変性疾患の治療に繋げようとされている。非常にアカデミックなお話でした。
 その後はフルヤ君のご苦労様会へと続く。延々と続く。続くったら続く。

2002.2.3.(日)
 ゆのくにの森という加賀伝統文化アメニティへ行ってみる。TVではよく宣伝しているので知ってはいたが、始めてである。今度の国際シェーグレンの同伴者ツアーに確か組み込まれていたはずなので、探索の意味もある。様々な加賀の伝統文化を体験できる。ミハはドラ焼き作り/オルゴール作り/和紙のコースター作りと体験し、結構楽しんでいた。外国人にも受けそうである。ただし、いろいろやると結構お金がかかるのが、玉に傷。

2002.2.4.(月)
 全国的にこの季節にしては暖かい日。金沢もそれにもれず、病棟など暑いくらい。
 フルヤ君がいなくなって、イシダ先生も病欠で、その分も含めた患者さん達のケアで、あっという間に一日お終い。骨髄穿刺1件、髄注1件。
 染太郎さん死去。10日前まで舞台にあがっていたという。恐るべし芸人魂。御冥福をお祈り申し上げます。

2002.2.5.(火)
 浜野病院の外来で少し面白くない出来事があったが、それはそこで区切りをつけて引きづらない事にする。
 医科大に戻り、国際SSでの発表にむけて、SS+悪性リンパ腫合併症例の病理検体の番号一覧を作製。
 こればっかりやっていられないよ。またまた戻ってきた個人調書の手直し。あとは図書館へ行って調べないと分からないところを残して中断。
 患者さんを一通り回診。今は比較的患者さん達の状態が安定していてくれる事が救いである。
 月始めの恒例:山ほどのレスプト書き。深夜1時までかかる。
 まだ、やるべき事が残っているのだが、目がしょぼしょぼで眠くてたまらないので、本日ここまで。また明日。
 染乃助さんは染太郎さんを「おめでとうございま〜す!」で送った。さすが。

2002.2.6.(水)
 朝5時に起きて、多発性骨髄腫に対するTMの輸入を施設のIRBに通すためのプロトコール作り。書くべき事が多すぎて終わりが見えない。また、中途で中断してしまう仕事が増えてしまう。困った。........
 何とか、個人調書だけを仕上げて再々提出。もう戻って来ませんように…
 家に帰って、フォアローゼスお湯割りを飲みながらTM関連の本を読み直す。

2002.2.7.(木)
 朝5時に起きて仕事するのをしばらく自分に課す事にきめる(3日坊主にならなければ良いが)。N Eng J Medの難治性骨髄腫患者に対するTMの論文を読む。
 医局へ行き、骨髄腫に対するTMの輸入使用のために、IRB審査していただくためのプロトコール作り。医局会で皆様に検討していただく。
 その後、某肉体労働的仕事。
 医局会の後に、リサーチのミーティング。
 病棟へ顔を出すと、患者さん達がいろいろと大変になっている。できる事だけする。あとは、良くなりますようにと、祈る。

2002.2.8.(金)
 朝から国際SSシンポの登録演題のミススペルなどのチェック。約150演題の登録があり、これを皆で分担して一人あたり30演題分はチェックしなくてはならない。結構沢山のミスを見つけてしまい、困った困った。
 病棟で山ほどの次週分の指示だし。11人分もあると、それだけで時間がどんどん費やされる。
 サリドマイドのIRB申請プロトコールを最終仕上げして、治験審査科へ提出。
 上越の実家へ車で向かう。やけに、車が途中から揺れ出す。今日は風が強いのだなあと思っていた。が、しかし、高速道路脇の吹き流しは全くなびいておらず、風速も1mと表示されている。上越インターに近付いて揺れは更にひどくなる。インターでおりて、タイヤ等点検するも大きな異常は見当たらない。足廻り、サスかホイールバランスでもいかれたのかな??
 更に先日退院したばかりの患者さんが睡眠剤を多量に服用してしまったとの報告入る。何という日だ。

2002.2.9.(土)
 朝5時に起きるという日課は、正しく3日坊主で終了。起きれずに6時になってしまった。意志が弱いねえ。
 車を修理に出そうと見てみると、、、愕然、運転席側のタイヤが完全にパンクしている。なんだ、やっぱりタイヤだったのね。
 実家の外来は、スローな出だしだが、昼近くなって混雑。寒いから早い時間には皆様出れないのでしょう。
 タイヤを修理してもらって、何とスムーズな走りなのでしょう。と、金沢へ戻る。久しぶりに秋吉へ。ビールを飲みたいのをぐっと我慢して、ウーロン茶で焼き鳥。なにしろ、昔この店の帰りに酒気帯びでつかまった前科があるのでした。(--!)

2002.2.10.(日)
 朝5時起き再開。論文を2つ読む。
 里谷多英選手、銅メダルおめでとう。凄いねえ。
 卵ごはん&岩海苔&コーヒー&バナナをかき込んで、家族が寝ている間に病院へ。出来るだけの処置を、指示を出して。
 家族でプラント3へ。買い物という名目もあるのだが、マックに付属しているボールプールでミハ/モモを発散させようという狙いである。しかし、モモはうまく進めずにボールに沈んでしまう。ミハもどこかのお友達とぶつかったらしく、泣いて出てくる。殆ど当初の目的は達成できず。
 しゃあないので、季節外れの手取フィッシュランドへ車を飛ばす。いくつかの乗りものは冬期のため動いておらず、閑散としている。そして、非常に寒い。なんとかミハ/モモを発散させる。帰りの車の中で2人ともグッスリ。
 メガバリューで熟睡している2人を起こさないように寝かせたまま、妻と急いで買い物。夕食はチャンポンメンを鍋でする事に。
 オキノ書店へ。ミハのみ起きる。私とミハだけ買い物。ミハはまた怪傑ゾロリ。あなたも、好きねえ。
 車中で良く寝たものだから、ミハ/モモ共に夜更かししてなかなか就寝せず。ま、いいか。明日も休みだし。

2002.2.11.(月)
 朝5時に起きたが、すぐに寝直して6時半に起きる。意志が弱いのではなく、臨機応変なのだ…という事にしよう。
 雪が結構降り積もっている。
 一家総出で、雪かき。ではなくて、雪を掻き集めて、ソリ用の滑り台/カマクラ/雪だるま作り。良い運動である。
 本日は、病院へは行かないでおこうと思っていたが、どーーしても行かざるを得ない出来事が起こり、午後3時より医科大へ。
 いろいろいろいろ。
 疲れたし、早く寝るわ。

2002.2.12.(火)
 昨日作成したカマクラは昨日中の好天気で溶けてしまい跡形もなし。その後に新たな雪が降り積もる。祇園精舎の鐘の声〜。
 浜野病院へ行こうと思ったら、ガス欠間近でスタンドへ。ところが、すみません今日は軽油故障してダメなんですう、って。ゲ!
 仕方なく、医科大へ少し立ち寄り、本日対診予定の患者さんの対診依頼書を書いていたら、コンピューターがフリーズ。ゲゲ!
 浜野病院への途中で給油し、ホッ。
 浜野から医科大へ戻ってから、リサーチの打ち合わせ。
 入院患者さんの処置。
 なんだかんだで、ゲゲゲ! もう1時半じゃないの。明日は、5時起き無理だなあ。

2002.2.13.(水)
 と言いつつも、体内時計で5時半に起きる(5時ぴったりでないところが御愛嬌)。
 清水宏保選手銀メダルおめでとう。この人の場合、銀くらいでは嬉しくなさそうなところが偉い。国民中に金を期待されるというのも、相当なプレッシャーだろう。
 外来は予約は少なく、とりあえず14時頃には終わる。
 が、その後何をした訳でもないのに、あっという間に夜になっている。最近、時間の流れが早くなった気がする。
 久しぶりにデジカメの画像の整理。

2002.2.14.(木)
 細胞を購入するための色々な手続き。
 医局会→研修医の先生の症例検討。その他、諸々。
 義理をありがとうございます。謝謝。
 愛もありがとうございます。謝謝。
 ミハは駒廻しに夢中。モモは積み木遊びに夢中。
 あちこちのスーパーで牛肉の生産地など偽りの表示をしている事が明らかに。こちとら素人には見分けがつくはずもないし、信用しかないのだが、世の中何を信じてよいものやら。

2002.2.15.(金)
 いつもの如く、何もできずに一日終わる。主に病棟業務のみ。どうするべえ。
 注文したPCRプライマーやら細胞のカタログやら届く。実験する時間を作れるかどうかが大問題。

2002.2.16.(土)
 日中より全身倦怠感と眠気強し。
 本田選手4位。岡崎選手6位。入賞おめでとう。
 米が英と臨界前核実験。これだからアメリカは信用できない。他国には軍備を拡張するなと言うくせに。ジュンイチローちゃんのコメントも非核団体とアメリカの両方に波風を立てないようにという、どっちつかずのもので腹立たしい。
 第18回北陸造血器腫瘍懇話会@ホリデイイン金沢。富山医科薬科大第一病理の高野康雄先生のSurvivinのお話。高野先生には申し訳ないが、自らの体調の問題で睡魔との格闘。
 その後は例によって、飲み会へ突入。お酒が入ると、睡魔はどこかへ行ってしまうのが摩訶不思議。

2002.2.17.(日)
 案の定、寝不足と二日酔い状態のまま。
 御経塚サティへボーリング。このところ、妻には勝ったためしなし。(∋_∈)じきにミハにも負けそう。
 21時半頃、一家揃って就寝。

2002.2.18.(月)
 まだ眠いが一週間の始まり。
 ジョージちゃんとジュンイチローちゃんは焼き鳥で会食らしい。僕らの食べる焼き鳥とは違うのだろうな。しかし、アメリカに言われっぱなしの日本の外交はどうにかならないのか。あんまりアメリカ番長の風見鶏してると、イラ・イラ・北○鮮に狙われちゃうぞ。
 ショートトラックの寺尾選手の失格判定、フィギアの2チームを金にするという判断。オリンピックもこのところ、その欺瞞に満ちた態度に興味半減。単純に速さのみを競う競技ならビデオなどで判定を確認すればよいし、審判の主観の入る競技ならばできるだけ多くの審査員に点数を付けさせてあまりに平均からかけ離れた点数は除外すればよいし。簡単な改定がなぜできないのか。賞を貰えた人、貰えなかった人そして何よりも我々観客を馬鹿にしているとしか思えない。
 千と千尋がベルリン映画祭で金熊賞。宮崎アニメの水準はそこらのハリウッド映画なんかより太古の昔より圧倒的に優れていたのだから当然である。遅すぎたくらいだ。
 今日こそは早く帰って早く寝ようと意気込んで!帰宅。しかし、なんだかんだで就寝は23時。いつもと全く変わらず。
 ミハがコンコン、クシャンの風邪気味。私の眠いのも風邪かなあ?

2002.2.19.(火)
 ミハはいよいよ本格的な風邪症状+。私のは単なる眠り病のようで。
 全国的に冬型。石川県もそれにもれず、波浪警報発動中。浜野病院までの経路:能登有料道路もシャレにならないくらいの風。真直ぐ走るのがこんなに難しいとは。
 散髪。ついでに最近滅きり白髪が増えてきたので、染めてもらう。個人的には(ハデな)色をつけるのも悪くはないと思っていたのだが、説明不足かしっかりと周囲の黒色に合わせて染めていただいて、殆ど違和感の無い(冒険心もない)仕上がりに。色をつけるのは、また次回の楽しみにとっておこう。
 もうこの仕事は止めにしたい:個人調書が、またまたまたまた戻って来て、それに小一時間費やす。大学院改組のために、評価を受けるために必要な書類であると頭では分かっているつもりだが、……、どう考えても、本来の大学の教員の必須の仕事とは思えない。きっとどこかの政治家の天下りした何とか財団みたいな所が、お役所仕事的な書類を沢山作らせて、指定の書式に沿わないとあーでもないこーでもないと文句をつけて、あーーヤダヤダ。やってらんないぜ。
 大体このMS Wordという腐ったPCソフトがいけない。画面を少しだけスクロールしようと思っても、あっという間に一番端まで往ってしまうとこなんざ、喧嘩を売っているとしか思えない。\(`O´θ/ 使い勝手最悪のソフトで、これを標準とするような世界なら、一度滅びた方がよい。というのが、大方のMac userの感想ではないだろうか。
 金ちゃん論文の校正。おまえん家、案外普通だなあ。

2002.2.20.(水)
 比較的予約の少ない外来の日。風邪が流行ってきているせいで、そこそこ繁盛す。
 ジョージちゃん韓国に行って、例の発言のせいで非難轟々。あたりまえだよ。他人の事を悪の根源みたいに言えばね。
 NGO問題でマキコちゃん&ムネオちゃんの参考人招致。マキコちゃん、ジュンイチロー君に噛みつく。随分と鬱憤が溜っていたのだろうな。ムネオちゃんはやや影薄し、頑張れムネオちゃん。最強の悪役の座とムネオハウスを保守せよ。
 新潟大学付属病院で、国内初の多剤耐性緑膿菌感染発生。怖いねえ。
 ミハの調子がまだまだなので、一家揃って早寝。

2002.2.21.(木)
 朝サリドマイド関係の論文読み直し。
 妙に良い天気で、暖かい。
 午後より、国際SSシンポ関連の話し合い。まだまだ問題は山積み。
 夕方より、TM for 骨髄腫のIRB審査。同意文書および依頼書を整備するようにとの御指導をいただく。至極ごもっとも。また、宿題が増えてしまった。(;^_^A

2002.2.22.(金)
 なんだかまた、えらい2並びの日ですなあ。
 「スカートを踏むヒト」ジュンイチロー君は60にして女性と別れる難しさを知ったそうな。ヨシロー君は知っている限りの諺?を並べたてて喜んでいるし、近頃のセージはワイドショーと思って見ればなかなか笑えてよろしい。こんなヒト達に日本の未来が託されていると思うと、悲しくもあり恐ろしくもあるが。
 ショートトラックでまた困った判定。韓国の金が失格し、アメリカのオーノが金メダル。あれを失格にしていたら、この競技は成り立たないだろう。(-"-#)  韓国のコーチが日本語でコメントしていたのは何故?
 次週分の指示だし、その他諸々。
 夕方より車で上越の実家へ。

2002.2.23.(土)
 実家の外来。風邪がぼちぼち。インフルエンザ抗原を調べるキットで何人か調べるも一人も陽性者なし。金沢でも今の所は私が調べると陽性に出ないが、実家では父が30人くらい調べて1人陽性に出たと。インフルエンザの流行はその程度?
 私よりも、父の方がよいと、面と向かっておっしゃられる患者様が1人おいでて。どうぞ、父の診療日にまたおいでくださいませ。
 父曰く、「健康のために1日1時間1階の診察室を歩き廻っている」と。「他人が見たら、室内を延々と歩き回っているのは不審に思うのでは?」と問うと、「ただ歩くだけでは飽きてしまうので、椅子を担いだりして歩いている」と。「益々、無気味!」。「私も見習おうか」と言うと、「目障りになるから止めて」と妻に即却下される。
 両親と一家で揃って、実家の向かえの回転寿司へ。土曜日のせいか大繁盛。しかし、やはりネタは金沢の方がよいなあ。
 車で金沢へ戻り、いんぎらっとしようと思ったら、ケータイ鳴る。長い間危篤状態であった私の担当患者さんが息をひきとったと。急いで医科大病院へ。御冥福をお祈り申し上げます。御見送りをすませて、帰宅。
 風呂に入って寝ようと思ったがどうも寝つけず、吉村達也さんの「京都魔界伝説の女」を読み直し始める。100冊もののシリーズと予告されていたのに1冊目のこの本以後なかなか次が出なくて、2年ぶりに2冊目がようやく来月発売予定。あまりに時間が経ち先の内容を忘れてしまったので。しかし、分厚いため1/10程度読んだところで、また明日以後へ。

2002.2.24.(日)
 比較的良い天気。だけど日当直。こんな日に溜りに溜った仕事を順にかたずけなければ。
 某新薬のケース・カード書き3件。同種PBSCTドナー・フォローアップ調査書き2件。
 ちょっと一息。BSアサヒでワールドプロレス特別編。佐々木健介 VS リック・スタイナー、ジャイアント・シルバ VS 安田忠夫のみ見る。シルバはあの巨体でプランチャをするのだ。ビックリ。
 病棟に呼ばれ、静脈路確保に一苦労。`s(・'・;)
 医局に戻ってくると、パンクラスをやっていて、ついつい見てしまう。しかしどうもアルティメット・スタイルというのはマウント・ポジションになってしまうと膠着してしまう事が多くて、好きになれない。
 病棟が比較的落ち着いているので、少しだけ家へ戻り、夕食→ミハ/モモを入浴させて、再び医局へ。
 某製薬メーカーの勉強会での講演用の資料作り。

2002.2.25.(月)
 午前中、教授回診。午後は骨髄穿刺2件など。
 夕方より、某メーカーの勉強会。こんな講演でお役に立てましたでしょうか?
 その後、少し…

2002.2.26.(火)
 私が浜野病院に行く日なのに、珍しく雨雪なし。一日中、曇り。
 体がなまったので、帰りに少し打ちっぱなしなど行くも、70球ほど打っただけで疲れ、手のひらの皮が剥けて来たので止め。軟弱なり。
 医科大へ戻り、外来分のレセプトなど。

2002.2.27.(水)
 モモの夜泣きが凄くて、やや寝不足状態。更に昨日の軟弱な打ちっぱなし後の筋肉痛。
 外来は予約少なく、14時には終了。たまには、こういう事もないと。
 小沢健二「Eclectic」(TOSHIBA-EMI)。ウイスパー・ヴォイスの劇ヤバ洗脳ポップR&B。小沢健二の凄さは分かる人にしか分からない。一度はまってしまうともう後戻りできない。以前のキャッチーなメロは姿を潜め、残念ながらあまり売れるとは思えないが。聞き込むほどに洗脳され、未知の世界が広がる極上の仕上がり。
 吉村達也著「京都魔界伝説の女」(カッパノベルズ)。分厚いこの本をやっと読み終える。魔界都市:京都&香港を舞台にした、超能力者をめぐり起こる事件。光と影。善と悪。早く次作を読みたい。

2002.2.28.(木)
 2月ももう終わりかあ。
 仕事で一汗(主に働いていたのは研修医のマスヤ先生とイシダ先生で、見ていただけといえばそれまでだが…)で、それ以後疲れて眠いのなんの。
 また、明日から頑張ります、ハイ。