2002年10月の日記

2002.10.1.(火) 
 昨日より朝5時起き開始。朝の1時間を必ず論文執筆のために費やす事にする(いつまで続くやら)。で、day2。
 朝6時、父より電話。祖母(母方)死去。て事は、お通夜は、葬式はいつ?? 喪主がいなくて中々決まらないとの事。モシュモシュ?
 浜野クリニックへ。今日から浜野病院ではなくなり、外来のみのクリニックへ。急性期の重症は診れなくなった。またアイソトープの検査も出来なくなった。できる範囲でやるしかない。
 120。雨の中。
 お通夜は明日、葬式は明後日に決定。と、電話あり。薄情な孫なので、お通夜はパス、葬式だけ参加する事にする。
 戦後最大級の台風の可能性とか。家の前も早くも土嚢が積まれた。水没しませんように。
 散髪。短く短く、更に短く。
 リスクマネージメントに関する病棟会。ムンテラはきつめに。うどんはきつねに。するように!
 その直後、ムンテラ。いつも通りやさしく。
 さまざまな書類書き。

2002.10.2.(水) 
 こちらは台風の被害は殆ど無く、心配していた家の前の洪水も無く胸をなでおろす。
 川端先生がアメリカへ出発当日というのに朝のリサーチミーティングに顔を出される。本当にお気をつけて。
 外来予約いっぱいの日。全部終わったのは16:30。途中僅かな隙間の時間に医局へ戻り。カップ麺を。フタを開けてしまってから、ゲッ! 5分もかかるやつを開けてしまった〜、アセアセ (;^_^A
 夕方ムンテラの約束1件。

2002.10.3.(木) 
 いつも通りに5時に起きるも。本日は論文書きという訳に行かない。バタバタと準備。
 6時に妻&モモと家を出発し(ミハは学校へ)上越へ。車中で朝食おにぎり。実家で喪服に着替え。
 本葬→斎場→初七日法要(え、もう初七日なのか?)。この後、お斎があるらしいのだが、ここまでで失礼させていただく。しかし花代だけで凄い金額。式場はボロ儲け、あざとい商売である。
 内灘-上越、片道2時間の日帰りは辛い。

2002.10.4.(金) 
 次週分の指示だしと様々な書類書きとレセプトで一日終了。
 血免良いとこ一度はおいで@Bistro 紙屋市べゑ→??。行きは良い良い帰りは怖い。10時過ぎから未曾有の雷雨。妻より早よ帰れコールあり。確かに内灘の清湖大橋を超えてからは延々と停電。家に帰っても真っ暗/時々稲光りで少し見える状態。

2002.10.5.(土) 
 仕事はずる休みさせていただいて、ミハの授業参観。親子レクレーションで結構な運動量。腕立て伏せなんて、どれくらいぶりかなあ?
 義姉邸へお招きいただく。鶴が丘のお祭り。ごちになる。
 ミハは夕方より風邪でダウン。

2002.10.6.(日) 
 第21回血免オープンゴルフ@能登ゴルフクラブ。ゴルフは楽しくやるのが一番である。スコアなんてスコアなんて、…。各賞を頂きましてどうも。次回幹事さま、どうぞまた宜しく。
 その後少し、お買いのも(モモはお買い物の事をこう発音します)。食料品。

2002.10.7.(月) 
 教授回診。骨髄。IVH。ムンテラ。あとは何をしていたか記憶になし。
 ミハはコンコン持続だが発熱なし。一方、モモに発熱あり。妻も喉が痛いと。皆、早く良くなってね。

2002.10.8.(火) 
 タジマさん社民党離脱も議員は続けると。比例区で当選したのだからやはり辞職すべきでは。
 日経平均株価がバブル後の最安値を更新。竹中ショックだそうで。日本経済を立て直すべき責任者が軽口を叩いて悪化させては駄目なんでないの。ついでにペイオフ解禁2年延期。何やってんだか。
 浜野クリニック←→浜野西病院、何往復すれば良いのでせう?
 100。この雨にやられて〜
 6年生の担当学生諸君、頑張ってくれたまえよ。鍋。

2002.10.9.(水) 
 外来は予約少なくて楽勝という予測を裏切り、出足が遅かった事もあり、16時までかかる。最後の患者さん「何だかふらふらするんです」と訴えられる。私も心の中で「私も何だかふらふらです」とつぶやく。
 まあ、いろんな選択肢があるんでしょうが、血免に入るというのはどうでしょうか?@たしの木→アイボリーコースト。
 すんなり決まるか?
 やっぱり駄目か?

2002.10.10.(木) 
 朝ボラけ。杉山先生の頑張りで早いのなんの。
 夕方、時間がない時に焦ってやるとろくな結果にならないという事。

2002.10.11.(金) 
 いつもは午後からのBSLまとめを朝。
 次週分の指示だしだけであっという間に電車の時間。
 電車で東京へ。金沢13:23(はくたか11)→16:11越後湯沢16:27(あさひ322)→17:48東京。
 我孫子武丸/牧野修/田中啓文共著「三人のゴ−ストハンタ− 国枝特殊警備ファイル」(集英社)。近年稀にみる面白い本。3人の鬼才がゴーストハンター物という枠で競作。面妖な方法で邪霊を祓う和製エクソシスト、怪僧洞蛙坊。人の妄念を昆虫や獣の形で「見る」ことのできるバイセクシャルの美青年比嘉。すべての怪異現象は科学的・合理的に説明できると主張する元大学教授山県。この3人が様々な怪事件を解決していく。最後は3人の著者なりのマルチ・エンディング。中でも田中啓文さんの書く洞蛙坊の悪霊払いは最高。
 お茶の水まで行き、弟と飲む。毎度の、風→NAPAへ。JAZZ/音の洪水に身を委ねる。

2002.10.12.(土) 
 JCOGリンパ腫グループ第二回合同班会議@国立がんセンター中央病院。喧々諤々。みっちりお勉強。プロトコールスタディはしんどい。
 夕食を東京駅内のとある店で。ビールとミーゴレン(焼そば)を注文。店員さん、どう見ても日本人なのだが、客を席に案内する際に、どこの言葉??を叫ぶ。東南アジアの雰囲気を出しているのでしょうが、いとおかし。
 電車で金沢へ。東京17:12(Maxあさひ327)→18:28越後湯沢18:41(はくたか18)→21:18金沢。
 そのまま家に帰りたかったが、やはり気になり病棟へ。日程調整し直しに。

2002.10.13.(日) 
 朝よりミハのリクエストで福井のエンジェルランドへ。
 良い天気。どっぶり遊ぶ&遊ばせる。お疲れ。
 プラネタリウムの部屋での全天周映画グランドキャニオンは、ドキュメンタリー的な短編。だが、ど迫力の映像で大人は大満足。ミハ&モモは寝てしまったようで。
 夕方に家に戻り、ミハは笛の練習へ、私は病棟へ。

2002.10.14.(月)体育の日 
 バリ島のディスコで大きな爆弾テロ。もはや世界中どこにも安全な場所等無いという事。
 本日は、内川スポーツ広場へ。一緒に遊んで良い運動である。この二日間で結構日焼け。
 夕方に家に戻り、ミハは笛の練習へ、私は病棟へ。

2002.10.15.(火) 
 歴史的な拉致被害者帰国の日。What's next ? ジュンイチローちゃん本当の手腕が評価されるのはこれから。
 70。出だしは快調に飛ぶ。途中からクシャミが出始め止まらなくなる。これ以上は継続不能に。見渡すとブタクサがっ! ブタクサはアレルゲンにならない説もあるが、心理的な面も含め私には十分な脅威。
 夕方より突然の雷雨。最近御天道様おかしいんでないの。
 ケータイ紛失。あれっ? 鳴らしてみる。お客さまがおかけになった電話番号は現在ご利用いただけません…。ゲッ! どっかにケータイ落としてきて、雨で水没したか?? 手帳に電話番号などメモらなくなって久しく、ケータイが無いと非常に困る。皆様私はしばらく音信不通になります、ごきげんよう。しめしめ、これでしばらくは病棟をはじめ呼ばれなくてすむぞ。番号を変更すれば誰からもつかまらない生活がしばし送れるか。…、車の中にありました、結局。あ〜、はかない夢だったか、ケータイのない生活。(本当のステイタス・シンボルは車もパソコンもケータイも持たない事だという:そのこころは、本当にエライ人は自分の秘書がそれらの事を全部代行してくれるから、らしい)
 夜:妻は婦人会で不在。ミハは笛の練習。
 私はモモとお留守番。今日はとっても良い子でした。花丸。

2002.10.16.(水) 
 予約も少なく、新患も多くはなく、13時半に外来終了。いつもこれくらいだったらよいのになあ。
 おかげで午後からの仕事は余裕のよっちゃん。その割には、あまりはかどらなかったが。
 夕方より大学院セミナー、昨年に引き続き東大医科研森茂郎先生の「悪性リンパ腫の病理」。かつては診断のみ、今日は診断→治療に直結する。千差万別の遺伝子異常により発生する各種のリンパ腫。オーダーメイド治療。今あるEBMなんて、診断を大雑把に捉えた上での過渡的なものに過ぎない。馬鹿の一つ覚えみたく、エビデンス/エビデンスとぬかす奴らをアホと呼ぼう。
 ジーコ・ジャパンの記念すべき初試合:ジャマイカ戦。黄金カルテット:中田/中村/小野/稲本。小野のゴールはさすが、But その後はチャンス多くあるも得点には至らず。初戦初勝利ならず。これからどんな夢をこのチームは見せてくれるだろうか。
 イラクではフセイン大統領100%の信認。これをそのまま信用して良いかどうかは分らないが、少なくともアメリカの唱える正義だけが一極的な正義でない事だけは事実。
 アメリカではワシントンDC近郊の連続ライフル射殺犯が市民を恐怖に陥れている。これだってテロじゃないのん。自国の銃規制すらできない、だらしない国アメリカ。そのだらしない国に頭の上がらない日本。
 自分の将来&家族の将来/医局の将来/大学の将来/日本の将来/地球の将来。それも比較的近視眼的な。いろいろ考える。

2002.10.17.(木) 
 朝から何となくいろいろ病棟から呼ばれる。
 昼も何となく様々な書類書きで時間が過ぎていく。
 夕方にBSLの検査データチェック、1時間で終わらせるはずが何故か2時間以上も費やす。
 歳をとる毎に時間が経つのが加速していくとよく言われるが、それは事実だと確信している今日この頃。

2002.10.18.(金) 
 もう帰国した拉致被害者の5人は少しほっておいてあげたらどうなのか。あれこれ質問されても余計な事はしゃべれないのでしょう、きっと。かえって気の毒。
 午前中は次週分の指示出しだけしか出来なかった。
 午後からは何も出来なかった。どーなってんの??
 19時より新潟県人会@ゆき味。昔ほどのパワーはなくなったとはいうものの、新潟県人はやはり酒飲みが多くハイペース。一次会は内灘なのに、例年の如く二次会から、それも12時近くになってから片町に繰り出す事に。13人中2人の脱落者あったのみで、皆で片町へ。帰ってきたのは2時半。当直の杉山先生起こしてしまってごめんなさい。

2002.10.19.(土) 
 朝6時より町内のお祭りの準備。
 カレーライス&コーヒーを胃袋に入れ、さあ始動。眠〜い。
 医局のソファーでしばし意識消失。昼過ぎしばらくまで、この寝不足&二日酔い状態は続く。
 夕方近くになり突然エンジンがかかる。溜まりに溜まった入院サマリー書きについに着手(威張るような事ではないが)。時間のかかりそうな難題を2冊仕上げる。あと9冊はまたいずれ…。
 吉村達也著「鎌倉の琴」殺人事件(トクマ・ノベルズ)。強烈な純文学/私小説批判。太宰治も田山花袋もコテンパンである。思えばどうして国語の授業が面白くなかったか、読書感想文が嫌だったか、こんなふうに明解に解析された事はなかった。僕は子供の頃からヒネていたから、先生が駄目だといった推理小説やSF小説のの読書感想文を書いていったりして当然のように叱られていた。朝比奈耕作の言葉を引用「…年間百冊以上もの小説を読むほんとうの本好きは、読書感想文を毛嫌いするのが当然なんです。そういう感覚のほうが読書家としては健全だからです。 本を読んで感動を覚えることと、読書感想文を書くことは根本的に異なります。小説の面白さにふれたときの素直な感動は、仮にそれを文章に書き留めるとしても、きわめて直感的で飾らないものになるのが自然です…」あの時の国語教師に読ませてやりたい。また、人のプライバシーを勝手に曝け出して、私小説うんぬんと言って騒いでいた、例の芥川賞作家とそのシンパにも。

2002.10.20.(日) 
 昨晩は久しぶりの休肝日。
 しかしその割には、朝から眠くてけだるくて仕方ない。
 ミハは朝からお祭りの笛に出陣。頑張ってちょ〜。
 妻は朝からお祭り料理。
 私はモモとゴロゴロ。
 新しく内灘に出来たスーパー:チューリップへ。サワラの解体ショーなども行っていて、魚介類は噂通り新鮮そう。
 帰ってから、モモ&私は昼寝。しばし。
 夕方より、妻の両親&姉/義兄が来宅。酒盛り。

2002.10.21.(月) 
 倦怠感持続。眠くてしょうがない。
 教授回診後、医局でしばし意識消失。
 骨髄1件。
 16時よりクリニカルパス委員会。いいんかい?
 2003年リウマチ学会の抄録作成。登録しようかと思ったら、会員番号分らず明日に延期。
 早く寝るつもりだったが、結局いつもの23時就寝。

2002.10.22.(火) 
 夜中に目が醒める。尿意。腎濃縮力が低下してきたのだろうか。ヤバ。明日の外来時にでも調べよう。
 浜野クリニックに着いてから、白衣&聴診器一式を忘れた事に気付く。ど偉い大先生の白衣を借りる事に。
 100。寒い。
 散髪。
 そうこうしているうちに新患入院の担当になったのでした。例によって他科より紹介。例によって、他科にありがちな、家族に先にムンテラして、本人には家族の希望で告知してくれるな!というパターン。告知のないインフォームド・コンセントはない。大胆かつ柔軟に対応します。
 溜っていた入院患者サマリーを5冊仕上げる。あと4冊はまた今度という事で。

2002.10.23.(水) 
 昨晩はゼーンゼン眠った気がしない。やっぱ、酒が入らんと熟睡できない困った身体。
 外来。予約も新患も少なくて、ホっと。
 骨髄穿刺1件やって、とても働いた気になる。自己満足。
 自己検診で採血&検尿:高脂血症(T-chol 218mg/dl, TG 418mg/dl !!)、高尿酸血症(7.6mg/dl)、γGTP高値(191 U/l)、好酸球増多(17.5%)といつもの如くだが、Poor control。But 危惧していた糖尿病&腎機能障害は無さそう。さあ、祝杯だ。
 吉村達也著「別れてください」(集英社文庫)。あえて分類するとサスペンスホラーなのだろうか。出だしは男女の不倫→もつれもつれて、とんでもない展開へ。最後はハッピエンドかと思いきや、またとんでもない結末に。おそれいりました。

2002.10.24.(木) 
 かけ声とは裏腹にしばらくさぼっていた、朝の論文書きを再開。英語力がなくて度々つまづく。
 モスクワで約40人の武装グループが観客700人余りを人質に占拠。チェチェン共和国の開放を求めるイスラム武装勢力の計画的犯行との事。
 朝からOpe室へ。内科なのにOpe室へ何故か出入りの多い血免内科。以外とスムーズに事は運ぶ。
 熱発患者さん増加! 要注意!!
 りすくまねえじめんと病棟会。ひやりはっと&いんしでんとれぽおと、医者はなかなか出さないのだけど、しかしこれ以上書くべき書類が増えたらかなわないのは事実。いいわけ。
 2003年度のリウマチ学会演題を2題ひねり出して、Web登録。今度は河南先生&董先生の発表していただく事に勝手に決める。しかし、Web登録というのは、なかなか融通が効かなくてイライラ。
 アメリカ連続銃撃犯逮捕か? とにかく、今度の国際SSで訪れる(予定)頃までには、アメリカ全体が(世界全体が)今より安全になっていて欲しいものだ。

2002.10.25.(金) 
 朝寝坊。……。魚座は最下位だったので、ミハに開運のおまじないクイズを出してもらいそれに答える。10円のお菓子を1円まけてもらいましたが、そのお菓子は美味しかったでしょうか?
 次週分の指示だしだけで、8時から11時までかかる。うーむ…。
 11時に某アポ。
 13時よりBSLまとめ。
 良い天気なので、その後ドロン〜
 夕方、妻に金沢駅まで送ってもらう。黒百合でちょいと一杯ひっかけた後、電車で直江津へ。実家へ。
 両親と、とある事を肴に盛り上がる。

2002.10.26.(土) 
 おふくろ、朝からステーキ出すなよ。濃ゆすぎ。
 この日の実家の外来は大忙し。
 おやじ、昼に蕎麦茹でてくれたのはいいけど、のびきってるぜ。
 午後からもなんだか忙しい。客商売なので忙しい方が望ましいのだが、お茶飲む暇すらなし。
 電車で金沢へ。
 我孫子武丸著「まほろ市の殺人 夏 夏に散る花」(祥伝社文庫)。幻想都市の四季で春夏秋冬と4人の作家が競作。他の作家の分は機会があったら読もう。この夏に散る花、一気に1時間ほどで読めてしまう中編だが、ほろ苦い後味を残す秀作。成熟した精神と成長出来ない身体の悲劇。
 ミハはお祭りの打ち上げ!?で町内の連合会の方々にルネスへ連れていってもらい、夕方には既に疲れて寝ている。一方、モモは何故か絶好調でしゃべりっぱなし。妻&モモと3人で鍋。
 我々が寝る頃、ミハは起きてお腹空いたといって、深夜1時に食事。

2002.10.27.(日) 
 昨日もフルに働いて、本日も日当直だったりして、自分自身に勤労感謝を捧げよう。自画自賛/自業自得。
 医局の共有Macで行っていた様々な仕事を、個人持ちのMac-G4に移行させようと思ったが、一筋縄ではいかない。特に、Fetchの最新版をダウンロードすると、そこで固まってしまう。時間喰い虫。結局、古いバージョンのFetchにする事で全て解決。バージョンアップすると必ずしも便利になるわけではないコンピューターソフト(むしろ不便になる事の方が多いと思うのは僕だけだろうか?)。
 9月末日締め切りの金沢医科大学30周年記念誌「わがクラス」を重い腰をあげてようやく仕上げる。字数を合わせる元気もないので、あとは編集部にお任せする。
 外来分のレセプト仕上げ。
 入院患者サマリー3冊仕上げ。まだ、2冊残ってる!
 野口悠紀雄著「超」整理日誌:時間旅行の愉しみ(新潮文庫)。氏の「更なる」を排除しようというスローガンとは裏腹に、ジュンイチローちゃんを始め、「更なる」の大安売り状態の近頃。私的には、ま、そんなに目くじらを立てなくてもと思うも。
 野口悠紀雄著「超」整理日誌7:日本にも夢はあるはず(ダイヤモンド社)。まずタイトルに惹かれた。それでなくとも、近ごろの大橋巨泉を始め、「日本は終わった、未来はない」と簡単に言い切ってしまう、文化人の態度にアタマにきていたから、実にタイムリーなタイトル。「豊かになれば夢はない」という考えは間違いだった、どんな社会にも夢はあるのだ…、と野口さんが書いてくれた事に感謝。ついでに、9.11.テロについても、宗教的/文化的な解釈ではなく、経済学的な解釈:貧しいから自殺テロが起こるのだという解説をしてくれた事にも感謝。
 モスクワの武装グループ立てこもり事件は予想を上回る悲惨な結果。750人以上を救出できたとはいえ、人質の死亡者は射殺された2人以外は115人が突撃の際に使用された特殊ガスによる死亡。ジアゼパムもしくはBZガス?が噴霧されたとの説がある。

2002.10.28.(月) 
 一晩中暴風雨が吹き荒れ、夜間に停電→復帰→プリンターが再起動して音をたてて睡眠妨害。あられも降る寒い夜。寝不足。
 気合いを入れなおして、新しい一週間の始まり。
 教授回診後カツカレー。満腹になり眠くなる。あれっ?
 私の担当患者様数名がそろって熱発で、やる事山積み。
 15時ムンテラ。16時病院連絡会。17時半ムンテラ。と、予定されていた行事をこなすだけで時間は経過。
 帰りも暴風雨一部みぞれ混じり。道行く人々も、冬の装い。
 家に帰るとヒーターとホットカーペットが出ている。

2002.10.29.(火) 
 今朝も引き続き寒波に見舞われる。寒くてなかなか布団から抜けだせない。
 浜野クリニックに行く途中、道ばたにうっすらと雪が。
 くしゃみが止まらない。困った。
 100。暴風雨のなか一過性の晴天。突き抜ける快音。
 医科大に戻るとまた忙し。病棟業務→医療安全対策委員会→病棟業務。急遽IVHカテ挿入。

2002.10.30.(水) 
 寒さ続く。また朝寝坊。かけ声とは裏腹に論文はちっとも進まず。。。゛(ノ><)ノ
 外来はぼちぼち。寒い中を皆様ようこそお越しくださいました。
 夕方、重症の患者さま御永眠される。厳粛にお見送りを。
 ミハがくしゃみ鼻水。明日、マラソン大会(1Km)だが大丈夫か??

2002.10.31.(木) 
 ミハは大丈夫と言い張って学校へ。くれぐれも無理すんなよ〜。
 日本シリーズは巨人破竹の4連勝。クソ面白くない結果。巨人が強すぎるのは誰もが認める事。しかしだからこそ7戦目まで戦った後に、やっぱり強かったという演出にすれば良いはずだ。力任せに打ち続けるから本来7戦分の経済効果が上がるべきものを4戦分で終わらせてしまう勿体無い結果になる。スポーツは実力勝負の世界であって八百長は出来ないといえばそれまでだが、本当に強いチームは日本全体の景気の活性化まで考えて、更に横綱相撲(野球?)を達成すべきである。松井ももうこんな日本のプロ野球に未練はないだろう。さっさと大リーグに行くべきだ。
 日朝国交正常化交渉決裂。最も可哀想なのは5人の帰国した拉致被害者であって、この人達および北朝鮮にいる家族にとっては、今度は逆に日本に拉致されたという感情すらあるだろう。大多数の日本人にとって北朝鮮は今回の拉致問題でけしからんという感情を持ちこそすれ、それは最近このニュースがあって始めて湧いた感情であり、それまでは北朝鮮が日本人を拉致しているという噂を聞いた事がある程度で、どうせ人事だったはず。一方の北朝鮮の国民は幼い頃から日本の侵略戦争による暗い歴史を徹底的に教え込まれ、一般庶民にとっても強い反日感情はあたりまえの世の中なのだ。今、日本で北朝鮮に対する世論が高ぶっている以上に、北朝鮮では再度反日感情が高ぶっているだろうと考えると、そら恐ろしい。
 科研費申請の事務点検締め切りが明日! 今から急遽作成を。
 医局会でとある懸案事項提案。だが皆様より良い返事はいただけず。代案を検討。まだ可能性はある。頑張れDr.Dong。
 内灘にケーブルTV開設される事になったので申し込み。もう少しで自宅でケーブルTV&高速インターネット可能になる予定。
 ミハは結局マラソンも完走し、水泳教室にも行ったと。心配する必要なかった。