2002年9月の日記

2002.9.1.(日) 
 ミハにとっては夏休み最後の日。楽しい思い出いっぱいできたでしょうか?
 私にとっては、日当直。しかも二日酔い。天井グルグル廻っております。またやってしも〜た! 反省! と嘆いていたら、山田先生に「先生は反省しないんじゃなかったですか?」と嗜められる。ソーナンス。しかし、つらいものはつらい。トホホ…
 薬の市販後調査票3冊、副作用報告1冊。
 ワールドプロレス特別版、笑点の大喜利。
 薬の連続調査。サマリーの確定保存。病棟日誌の整理。
 日曜洋画劇場「ノイズ」。事故から奇跡的に生還した宇宙飛行士の夫が以前と違う!、妻が恐怖に怯えるSFサスペンス。ストーリーはなんだかこんなものなんでしょうか? 最後はよーわからんかったぞ。シャーリズ・セロンは綺麗だから、それでいいや。
 なんでも金沢は37.5℃とこの夏一番の暑さだったそうで。
 寝よ。

2002.9.2.(月) 
 ヤスオちゃん長野県知事に再選。開票率0%の時点で当確が出る秒殺だったそうで。不信任案を出した県議会側は窮地に立たされるのでしょう。
 本日も暑い日でしたね。
 大塚先生が去っていかれてその分の患者さんと、新患が入って、一気に担当患者数10人に。重症がいなければなんとかなるが…
 帰れる日は帰ろう。

2002.9.3.(火) 
 こちらとしては正しい診断の基に正しい治療を行った。少なくとも間違った事をしたつもりはない。しかし、それで御家族が納得されない場合もある。どれだけ説明しても、納得してくださらない場合もある。今回はそんなケース。説明が足らなかったと言われれば、そうういった部分もあるのかもしれない。真摯に受け止めよう。よそへ移る自由も勿論ある。貴重な経験をさせていただいた。あとは、新天地での御回復をお祈りするのみ。

2002.9.4.(水) 
 昨日の肉体的&精神的ダメージの残るなかでの外来。こんな日に限って、新患が多数。15:30までかかって終了。
 病棟へ行くと待ち構えていたように、患者さん&看護婦さん(看護師という言葉はかえって差別している気がして嫌いだ!)から様々な注文が。順番にさせていただきます。
 医局へ戻り、8ISSS収支報告一部やり直し。
 レセプト。高額の方が多く時間を費やす。

2002.9.5.(木) 
 時間的にはよく寝たつもりだが、身体が鉛のように重い。ダメージ抜けきれず。
 収支報告やり直し仕上げ。レセプト仕上げ。

2002.9.6.(金) 
 朝久しぶりに早起きして、学会準備。だが、シークエンスの検索に手間取り時間を浪費。
 担当患者数が多いので、次週分の指示だしだけで午前中いっぱいかかってしまう。
 その後、外来に呼ばれ、再度病棟に呼ばれ、学会準備はいつになったら出来ることやら。
 宇多田ヒカル結婚。19歳。ごけっこんなことで。
 車で上越へ。

2002.9.7.(土) 
 人数は少ないが結構ヘビーな実家の外来。紹介状書くのも、医科大とは訳が違う。
 夕方、近医入院中の祖父母を見舞いに。祖母は既に危篤状態。あとは尊厳死で。
 夕食は結局ミハのリクエストで近所の回転寿司へ。…

2002.9.8.(日) 
 朝早起きして、車で新潟市まで約2時間のドライブ。私は新潟県人でありながら新潟の辺境に生まれ育ったため、新潟市内の事は全く分らないのです。
 ディズニ−・オン・アイス新潟公演@新潟市産業振興センター。今回はジャングル・アドベンチャーと題して、前半はジャングル・ブック、後半はターザンとライオン・キング。ミハ&モモが喜んでくれればそれで良い。
 12時半に新潟中央インター出発→米山インターでガス欠寸前の人間&車に給油→金沢には16時半頃着。あ〜〜疲れた。
 しかしここで休む訳にはいかない。トボトボと医局へ。学会準備。
 相変わらず、心は晴れない。ある事をひきづってしまっている。ついでに何だか喉もいがらっぽい。もしや…

2002.9.9.(月) 
 もしや…と思ったが、明らかな風邪症状なし。しかし、喘息発作頻発。β刺激剤、ステロイドの吸入剤がしばらく離せない。
 朝から学会準備再開。適当に予行できる程度にまで作ったが、まだまだ詰めが足りない。
 教授回診。相談。ムンテラ。指示だし。学会準備。学会予行。
 ミハが捕まえて、学校で飼っていたクサガメ:通称カメゾウが誰かに盗まれいなくなった。ミハはとても悲しんでいる。心無い事をするヤツもいるものである。

2002.9.10.(火) 
 本人の気持ち、家族の希望全てを満足させる事は大変困難な問題。
 100
 散髪。とにかく短く短く。
 8ISSS収支報告終了。5月の学会の会計が9月までかかるなんて。やっと終わった  \(^O^)/
 9/11の1年後、テロをアメリカ/ブッシュは予め知っていたのではないかという告発本/ニュースステーションでもそんな内容。予測できる要素はあっただろう。しかし、防げたかどうかは誰も分らない。テロリスト達は普通の国民としてアメリカ社会に溶け込んでいたという。テロを起こすまでは何の前歴もなかった者もいたようだ。逮捕できる容疑なし。ではどうやって防げたか?
 ジーオーグループ名誉会長の大神実容疑者逮捕。これだけ大勢を騙せるというのは、ある意味で才能もあったのだろう。限り無くナルシスティックな5億円かけた映画というのを一度見てみたい気も少しだけする。きっと、すぐ飽きるだろうけど。

2002.9.11.(水) 
 am3:30に起こされたので、そのまま学会準備再開。なんとか完成させる。もーいいや、これで。
 外来、今日は多かったんでないの。
 病棟、皆様を一通り廻るだけで精一杯。なんとか良くなりますように。
 クリニカル・パス実施委員会。2年ほど前にパスを苦労して作成した割には、結局誰も使ってくれなくて挫折した経験あるだけに複雑な想い。電カル/オーダーリングと連動しないようなパスは結局のところ、余計な仕事が増えるだけで、ムリ/ムダ/ムラの解消には繋がらないと思う。電カルに連動させるためには、億単位のお金がかかるそうで、当分無理らしい。しかし、診療報酬包括化に向けて来年までには導入しなければならないらしい。仕事を増やすだけにならないように、医療チームとしての連繋を高める方向で、努力してみるべきなのか。
 9/11 attackから一年。3000人もの人が亡くなったテロの報復として仕掛けたアフガニスタンへの攻撃で1000人以上の誤爆による一般人の犠牲者が出た。タリバン政権が崩壊し人々の自由は戻ったが、人々の反米感情も高まった。更にイラク・フセインへの攻撃も始めようとしている米ブッシュ。そんなものに追随しないで、日本独自の路線でなんとかならないものだろうか。

2002.9.12.(木) 
 バタバタバタバタの一日。
 学会の発表の見直しをしようと思っていたが断念。
 明日からいなくなるので申し送りを書くのに小一時間。

2002.9.13.(金) 
 朝より横浜へ。金沢9:58(はくたか7)→12:44越後湯沢12:55(あさひ316)→14:08東京→横浜→桜木町。
 吉村達也著「有馬温泉殺人事件」(講談社文庫)。名旅館の女将が奇妙な死体で発見された。容疑者多数で、後半は志垣警部が容疑者を一同に集めて謎解きを行う推理小説の王道路線。久しぶりのいやもしかしてかつてない傑作。
 まずはホテルへチェックイン。横浜桜木町ワシントンホテル。 
 第44回臨床血液学会@パシフィコ横浜。Registrationをすませポスターを閲覧。その後は記念コンサート。諏訪内晶子さんらによる小演奏。基本的にクラシック音楽は全く興味ない。ついでに純文学も興味ない。音楽も文学ももっと下世話というかサブカルチャーなものが私の守備範囲なのだが、諏訪内さんの演奏は素晴らしかった。フォトジェニックな美しさだけではなくて、鬼気迫る妖艶さがあった。
 その後は突然前触れもなくアリマー!先生にどっか連れてってと電話し、ドン先生&アリマー!先生&私の3人で牛鍋屋さん荒井屋へ。懐かしい味がした。その後はドン先生をホテルに送り、アリマー!先生とバー:PILGRIM 19th CLUBへ。
 ホテルへ帰ってから気持ち悪くなりました。

2002.9.14.(土) 
 なんとか起きてポスターを貼りに学会会場へ。
 昼は少し抜け出して石川町中華街へ。横浜へ来たら行く事にしている(と言っても2回目ですけど)お粥屋さん謝甜記へ。とっても混んでいたので謝甜記貳号店へ。いつも注文する(と言っても2回目ですけど)貝柱粥を。疲れた身体と胃袋と肝臓にやさしい。
 都会にくると歩く距離が増えて疲労蓄積。で、中国式足つぼマッサージへ。ここは元気のつぼ、ここは肝臓、ここは腎臓、ここは小腸…などと解説しながらもんでくれるのでした、ア、イタタタタタ。
 学会場へ戻り、少し講演を聞く。ATL&AIDS。などなど。ポスターの前に立つ。プレゼンテーションが無いと、どうも手持ち豚さ。違った手持ち無沙汰。
 その後は皆様は中華街へ。私は電車で金沢へ戻る。東京20:08(あさひ5)→21:24越後湯沢21:24(はくたか22)→23:56金沢。家に着いたのは深夜0:30。

2002.9.15.(日) 
 一家揃って金沢→大阪へ。難波オリエンタルホテル。
 心斎橋まで行き、2002年度の83同窓会@銀平南店。毎年同じような顔ぶれですが、継続が大事と思います。二次会はシシリアの赤い風というような名前の店だったような気がする。既に満腹なのに次から次へと料理が出てくる。もう御勘弁くだせえ。

2002.9.16.(月) 
 USJへ。スヌーピ・プレイランドー→アニマル・アクターズ・ステージ→ジョーズ→ジュラシック・パーク・ザ・ライド→ウオーターワールド→バック・トウ・ザ・フューチャー・ザ・ライド→スヌーピー。かなりクタクタ。ミハは乗り物系で満足。モモはキャラクター(特にスヌーピー)で満足。してくれたかな?
 荷物が増えたので、鞄ごと宅急便で自宅へ郵送。これが後にとんでもない悲劇を引き起こす事になろうとは、この時点では知る由もなし。
 電車で金沢へ戻る。
 あ、郵送した鞄の中に、車&家の鍵入れっぱなしだった! 家は妻の鍵で入れるが、車はスペアーキーなし。金沢駅の時計駐車場にしばらく止めておくしかない。困った!!

2002.9.17.(火) 
 本日は休業。
 しかし、患者さん重症という報があり、おちおち寝ている訳にもいかず、午後から病院へ。
 それがなくとも、本日写真撮影の予約。2件、別々の依頼で写真撮影。上手に写してくれたまえ、頼むよ。
 ジュンイチローちゃん歴史的な訪朝。ジュンちゃん/キムちゃん会談で、拉致を朝鮮側が初めて認め、5人生存/8人死亡が判明。死亡していた方およびその御家族にはお気の毒としか言い様がないが、拉致を初めて認めさせた?という点では大きな進歩。

2002.9.18.(水) 
 それでも森田実さんに言わせれば大失敗らしくて、8人もの日本人が死亡していると伝えられた時点で、今回は協調を保留にしてもっと強い立場で交渉すべきであった、と。ここで例えば1ヶ月交渉が遅れたからといって国際平和には何の影響もないのだから、焦って国交を回復させる必要はなかったという事らしい。ま、そう言われればそんな気もしてしまう。
 外来は予約も新患も少なくて、いつもこんな時間(12:30)に終われれば良いのに。余裕を持って病棟業務もこなす事ができた。IVH 挿入1件。
 郵送した鞄がようやく家に届いて鍵が戻ってきたので、金沢駅の時計駐車場へ車をとりに行く。いくらかかるか心配だったが、6100円で済んでほっとする。
 家に帰って、ビールを一杯。いんぎらっとしていると、13階よりコールあり。今日、別館6階より転棟になった患者さんの指示が出ていないんですけど…。…、そうでした、今から指示だしに行きます。という訳で病院へ戻るハメに。(・_・、)"
 家へ戻ってから金沢医科大学創立30周年記念誌「わがクラス」のために依頼された原稿を執筆。深夜1時までかかって文章は、ほぼ完成。しかし当時の写真の発掘を試みるもどこからも出てこない。卒業アルバムでなんとか代用するか。

2002.9.19.(木) 
 めずらしく私的には夜更かししてしまったため、やたら眠い。
 北国新聞の癌基金に応募したものが通って、新聞に顔写真が出てしまう。悪い事をして載った訳ではないのだが、どうも晒しものになった気分で落ち着かない。あちこちで、オメデトウと言われる。日頃の皆様の御支援のおかげでございます。今後も益々精進したいと存じます。
 「わがクラス」原稿を推敲。あまり代わり映えしないが。引き続いて同じ記念誌に載るバスケットボール部の分の原稿執筆。どちらも過去を引きづって重たい文章になってしまったが、まあ良しとしよう。

2002.9.20.(金) 
 タマちゃんに次ぎウタちゃんらしい。平和なニュースである。温暖化してきたという事でしょうか。
 相変わらず病棟方面は多忙。只今、11人の患者様方の主治医。
 忙しさに拍車をかけるように、教育用電子カルテシステムの変革。
 しかるに、学生がこのデータをくださいと要求してきたきたデータだけを見せて診断させろという事。
 て事は、学生が要求してこなければ診断に必要なデータも見れないという事。
 ルーズに管理している我々が逆に非難されるようだ。でも、全てのデータを見せておいて、こんな検査もあり?というのも一つの方針だとも思うが、コアカリキュラムでは駄目なんだそうな。PBL→CCSと連動させるということらしい。
 んな無茶な。理想と現実のギャップ。理想は分る、理想は。でも自分が学生だった時の事を思い浮かべると、理想だけではどうなのか、疑問。
 もう一つ、教員は学生の相手を無制限にすべきであるという理想。しかし現実は、臨床/教育/研究全てに労力をそそがなければならない。臨床が忙しいからというのでは駄目らしい。臨床が忙しいと言うのはお前達の奢りだと、某シヨウカキナイカツツミ助教授は言う。それなら入院ベッド数を減らせ、臨床の仕事を減らせと言う。
 しかし目の前に危険な患者さんが居る。それを無視して教育に時間を注ぎ込めというのか? うちのキャパシティーを超えているから、どっか他所の病院へ行ってくれというべきなのか。残念ながら私にはそれは出来ない。

2002.9.21.(土) 
 左肺が溺れていたところを呼吸器内科の先生方に助けていただきました。
 めぐぴょんさんも本が読めるようになったとの事で良かったです。
 およそ100。
 夕方よりバスケ部OB会。一次会はBistro 紙屋市べゑ。19時より23時近くまで延々と続く。二次会は倫敦屋。とにかく延々と続く。流石にしんどくなってこっそり抜け出すも、寝たのはam2時過ぎ。

2002.9.22.(日) 
 ミハを東京ミュウミュウのために6時半に起こして、その横で再度仮眠。
 朝食をとってから、車で能登カントリークラブへ。OB会のゴルフコンペ。二日酔いで頭痛の中(言い訳しても駄目!)、スコアは超悲惨。ハーフ頃まで頭痛は続く。ラウンド終了し入浴では終わらない。その後医科大体育館へ集合し、バスケのユニフォームに着替えさせられ、フリースロー大会。20本投げて8本しか入らず。ゴルフ→フリースローと通じて合計¥13,000の罰金を支払う事に。その後、上田先生宅へ集合し、再度アルコール負荷。延々とam3時近くまで続く。

2002.9.23.(月) 
 秋分の日。秋晴れ。
 朝病棟に呼ばれるも、医科大には近くて遠い上田家から脱出できず。一通りの事は当直シモヤマ先生にお世話になる。あとは厳粛にお見送りと思ったら、御家族が思わぬ事でモメ始めすったもんだ、てんやわんや。
 少しだけミハ&モモを連れて海賊公園へ。
 妻の実家にお呼ばれし、お祭りの獅子舞を見た後に、酒盛り。だが、流石にアルコールが体に入っていかない。すぐダウン。

2002.9.24.(火) 
 私にとっては浜野病院最後の日(来週からは浜野クリニックになる)。
 先日の惜別を込めて、120。
 イリョウ暗然対策委イイン?会。これをやらねばならない理由は分っているが、なんだか立て前だけで好きになれん。
 ナース4の最終回を見ようと思ってたら、巨人の優勝が決まる試合だという事で、巨人VS阪神が終わらない。ヤクルトが負け巨人の優勝が既に決まっても、巨人は勝って自力優勝を決めたい、阪神は意地でも優勝を決めさせたくない。意地と意地のぶつかり合い。巨人優位のゲームを今岡、濱中が一発で盛りかえす。そして最後は…、満塁からのパスボールであまりにもあっけない阪神のサヨナラ勝ち。原監督の胴上げのはずが、阪神ファンが六甲おろしで盛り上がっていて、始らない。まあ、良い試合だったから多少は許すとしても…。
 結局ナース4が始ったのは、150分遅れの23時半。これってあんまりじゃないかしら。世の中野球ファンばかりではないのに。

2002.9.25.(水) 
 結局深夜までナース4を見てしまって、更に寝込んだ後にも病棟から何度か起こされ、寝不足。半分は自業自得。
 外来。患者さんの数減らないなあ。更にまた入院予備群も数例。
 いろんなところで少しづつ書く書類が増えたり、手間が増えたりする。確かに一つ一つは大きな増加ではないかもしれない。しかし塵も積もって、仕事だけが増えてくる傾向にある。しかも、どーだって良いような事の手間だけ増えている気がする。もーしらん。

2002.9.26.(木) 
 医局会は討議事項が多くて長引く。
 夕方より、川端先生御留学おめでとうございます頑張ってくださいうらやましいなあ僕もまた行きたいなあ機会があれば遊びに行きますのでどうぞよろしく体に気をつけてくださいテロにも注意してくださいそして1年後には絶対帰ってきてくださいもうちょっと留学延期ってのはなしですよ会@はねや→二次会クッキー→三次会Momo。Momoから出て、これからどこ行くう〜とワイワイやっていたら、御近所の方に、あなたたち何時だと思っているの!と叱られたのでした。ごめんなさい。
 祖母が危篤で、もう間もなくという電話が入ったような。

2002.9.27.(金) 
 いやあ、またやってしまいました。アタマ痛。
 祖母は時間の問題らしいので、喪服を箪笥より引っぱりだして着てみるも、ウエストがパッツンパッツンなので諦める。妻の御家族よりお借りする。
 15時より北國がん基金の助成金授与式@北國新聞社。ありがとうござい。
 武蔵のFreshness burgerでドライブ中の夕食を購入し、タクシーで医科大へ戻る。
 祖母の調子によってはいつ金沢へ戻って来れるか分らないので、教授回診用の週間サマリー書き。なんせ患者さん総数が多いので、時間かかるのです。
 18時すぎに内灘を出て、上越の実家へ。Freshness burgerをかじりながら。運転しながら食べると、液成分が口の周りに付きまくり、クマネコ状態(クマネコというのは標準語ではないと思うので、きっと知る人ぞ知る金沢弁なのだろう)。
 祖母はずっと低空飛行状態らしい。

2002.9.28.(土) 
 朝は大雨。外来は当然空きまくり、かと思ったら以外と沢山の患者さんが。
 夕方より一家で祖母の入院する病院へ。何と! 挿管してレスピレーターにまでのっているではないか。90歳過ぎのターミナルな状態なのに、やり過ぎではないだろうか。尊厳死をお願いしたいが、私や父が喪主ではないのであまり強くは言えないとの事。まあそうだが、しかし…。
 血圧は測れないが、尿量もそれなりにあるし、いつまでこの状態が続くか全く分らない。
 仕方無しに、金沢へ戻る事に。両親を含めスカイラークGASTOで夕食をとってから、車で金沢へ。

2002.9.29.(日) 
 ミハを東京ミュウミュウで起こして、その横で論文の準備開始。いくつか草案を。
 ボングーまで朝食パンを買いに。ガーリックトーストをミハとシェアして食べたら、妻に臭いと言われました。
 石川県立中央児童会館へ。ミハの夏休み廃品利用工作が金賞をいただき飾られているので見にいく。他の作品も来年の参考に。いろいろなアイデアあり。フムフム。無料のプラネタリウム。星の世界に浸り、いつの間にか熟睡してしまいました。
 昼は狸へ。うっ、喰い過ぎたあ
 Men's shop 青木へ。結局いつまた必要になるかも分らないので、礼服を購入する事に。ウエストが(#^_^#)
 内灘へ戻り恐竜公園へ。色んな方々に出会いました。
 夕方より当直です。やることいっぱい。

2002.9.30.(月) 
 午前中は教授回診。13時、クリニカルパスに関する病棟会。14時、骨髄穿刺。15時、病理野島教授とリサーチの話し合い。16時、病院連絡会。
 ミハはお祭りの笛の練習開始。ピ〜ラリラ〜リラピ〜ラリラ。