2009年10月の日記
2009年10月1日(木)
朝はホテルの朝食。この辺で、見事に原住民のフランス語は聞き取れない事に愕然。
さて今回のホテル海に近いロケーションで、学会場(Le Quartz)からは離れている。直線
距離は近いのだが、高低差があり会場よりかなり低い位置にあるため、左右のどちらかから回り込んで行かなければならず、着くまでに汗をかく。
今回のISSSはとにかく日本人の参加者が多い。いつもの日本の学会研究会で合うメンバーが多いので、学会場ではすぐになごむ。
少し開会より遅れて到着し、既に会は始まっていて、病院論のセッションで座長には菅井先生の姿が見える。昨晩一緒に遅くに到着したので、早朝早々でお疲れの様子。
ランチは学会場のレストランで、これが結構美味しい。さあ、今から頑張ろうぜ!
午後一番のセッションで、札幌医大の高橋先生によるIgG4関連疾患に対する総説講演。30分の口演後に30分のディベートタイムあり。聴衆の興味関心を多大に惹き付け、多数の質問。我々日本からのIgG4グループは会場前列に陣取り、援護射撃を。大成功だったでしょう。一方、日本以外の臨床医にとってこの疾患の認知度が未だ低くて、的外れの質問も多かった事は確か。
その後、自分の出番。僅か10分の口演分を完璧に覚えきれない自分が情けないが、一部は原稿を読みながら進める。さて、私のセッションの座長はイタリア人、インド人、ブラジル人で、この人たちの英語が訛っていて?よう聞き取れない。困ったと思っているところで、討議開始。質問者の声がまた小さく、Could you speak up? と言うも、その直後だけマイクの近くで喋ったものの徐々に声はフェイドアウトして殆ど聞き取れない。それを座長のインド人が勝手に翻訳するのだが、僅かに聞き取れている質問者の意図と違うような気がする。適当に返答したが、通じていたのだろうか?? 何はともあれ、役目を終える。
こうして今回のIgG4の布教活動は無事?!成功裡に終わり、後は皆でディナーを食べながら反省会(という名の飲み会)。皆高揚していて、盛り上がっている。タイタニックの室内楽が乗客の避難していく中で演奏し続け、最後にそのリーダーが言う一言「君たちとこうして演奏できた事を誇りに思う」という場面があの映画の中では一番好きだが、僕自身も感極まって思う「君たちと一緒の時代に研究でき新しい疾患概念を世界に発信できた事を誇りに思う。」
さて、今回はMont St-Michelへ行こうと出発前から決めていて、いざとなったらレンタカーで一人でも行くつもりでいたのだが、誰を誘っても気のりしない様子。一人での長旅も流石に危ないので諦めかけていたところに、夕食後急に同行希望者集まる。友杉先生、佐伯先生(長岡日赤)、松井先生(富山大学)の4人で話が急にまとまり、Brest駅へ行き切符を購入。自販機だが結構難しい。いろいろあって、朝5時台の電車で出発し、午後2時台の電車で帰るプランに。
学会の企画したダンスショーがあったのだが、本日の自分の発表が終わった事と、切符を購入した事で満足し、ショーはパスしホテルへ。ホテルは海の近くで歩いて10分という噂であったが、高低差があり左右どちらかから回り込むように移動せねばならず、結局20分くらいを要する。外国の夜暗くなってから一人で見知らぬ所を歩くのは、非常に怖い。
ようやくホテルに着いて、本日も下のレストランでビールと水(evian)をゲット。evianはやたらと巨大な瓶(2l?)しかないという。まあいいや。

2009年10月2日(金)
就寝したはずが、深夜より急に外が騒がしくなり、眠れなくなる。外で叫んだり喚いたり歌ったりしている。
朝は4時にあきらめて起きる。準備を整えて、4時20分発。外ではまだ酔っ払い(もしくはラリっている?)若者たちがたむろしている。非常に怖い思いをしながら、駅へ。
Brest駅で、佐伯先生(長岡赤十字病院)、松井先生(富山大学)、友杉先生(金沢医科大学)と落ち合う。朝食の自販機マドレーヌを買い、さあ乗車。Rennes駅まで子1時間の旅。
TGVかと思いきや、Terという電車でした。電車内の4人掛けの席に陣取り、4人で学術的な話題&下世話な話題。各駅ではちゃんとWIFIが繋がる。この辺はJRも見習ってほしいものだ。
Rennes駅ではうまく連結するバスが出ていない(早すぎる)事が分かり、タクシーでMont St-Michelへ。このタクシーは非常に寡黙なタクシー(フランス語の通じない日本人なんて相手にしてらんないという事だろうけど)
Mont St-Michel到着。それだけでまずは感激。
ここは8世紀の初め、アヴァランシュの司教聖オベールが夢の中で大天使St-Michelのお告げを聞いて建てた修道院。<br> その後は長い歴史の中で要塞としての役目、牢獄としての役目を果たした時代もあるという。建築物そのものが巨大な芸術作品であり、行く先々の景観が絵になる。
歴史の重みを十分に実感した後、ここの名物の巨大オムレツ(24ユーロ)を。メレンゲが泡立ててふっくら焼き上げられ、シフォンケーキのような食感。4人で赤ワインとともに堪能。
予定通りの時間12:30に迎えのタクシーに乗り込み帰路Rennes駅→Brest駅。再び、学術的&下世話のchat time。
一度ホテルへ戻り、本日は学会の企画する懇親会としてのディナー。バスでChateauへ。
バグパイブを含む鼓笛隊の少年達のお迎え。Chateau内の見学ツアーからスタートし、ここはここで見ごたえあるのだが、既に寝不足&披露&アルコールが蓄積している。ようやくディナーが始まったのが8時すぎ、そこからちんたらと進行し、親父2人のギター&若い女性2人のコーラスの、替え歌大会(シェーグレンの人これ聞いて怒らないのかしら?)。11時近くなったので、そろそろ失礼。
ホテルまで歩いて帰る。

2009年10月3日(土)
朝大寝坊。それでも何とか学会場へ辿り着く。本日の最大の関心事は、次回はどこ?って事。はっきり言及されなかったのだが、結局ギリシャのアテネらしい。今度はギリシャ語か?
沢田先生、藤本さん、患者会メンバー2人と、学会に付随したアトラクションとしてバスに乗り、Oceanopolis Brestという水族館へ。水族館は今や日本の水族館が様々な趣向を凝らして入場者を楽しませる努力をしているが、ここは昔からこうして展示していますというだけ。
その後、菅井先生夫妻、沢田先生、藤本さん、患者会メンバー2人でディナー。フランス語のメニューはさっぱり分らない。美味しかったけど、出てくるペースがゆっくりすぎてついていけない。こちらの人は、ディナーはゆっくり会話しながら楽しみましょうという文化らしいが、日本では速攻で食べてさっさと風呂入って寝るという習慣なもので、根本的に違うのだなと改めて認識。ラディシオン・シルブプレ(お勘定お願いします)と言ってから、ちんたらちんたらと結局30分以上も超過。もう早く帰って眠りたいだけなのに…
TVでは中川元大臣が亡くなったとニュースで流している。が、おフランス語で、それ以上の情報さっぱり分らず。

2009年10月4日(日)
朝5時にタクシーに乗りBrest空港6:30→7:50シャルルドゴール空港(パリ)へ到着。タクシーでNormandy Hotelへ着き、まず荷物だけ預ける。
本日はとりあえず皆でPalais du Louvre(ルーブル美術館)へ。第一日曜日は無料開放日らしく、早朝から大混雑。広すぎる上に、人ごみに酔ってしまって(大都会には住めない体質)、主なもの;サモトラケのニケ、モナリザ、エロスの接吻で目覚めるブシュケ、ミロのビーナスあたりを見たのでこれでいい事にして外に出る。それにしても中の美術品の数々は勿論素晴らしいのだろうが、あれだけ宗教画が続くとその宗教的背景の分らない者にとっては、食傷気味となる。むしろこのルーブル美術館そのものの壮大な景観に見とれる。
Arc de Trimphe du Carrousel(カルーゼル凱旋門)はナポレオンが作らせたものの、その小ささに落胆したというものだが、十分に美しい。
Jardin des Tuileries(チュルイリー公園)を歩くと、パリ市民が様々な形でくつろいでいる。天気良く空気が乾燥しているところに、風が強いものだから、強烈な砂埃。その中をゆっくり散策。
公園の西側にある、Muse de l'Orangerie(オランジュリー美術館)はモネの睡蓮Nympheasの展示してあるところで、ここは小ぢんまりとしていて良い。モネの睡蓮のほか、ピカソの若かりし時代の作品など、丁度良いくらいの展示量で楽しめた。
そこからの帰路、チェルイリー公園で偶然にも佐伯先生、松井先生と遭遇。今回は仕事も遊びも大成功の旅でしたね。今後も一緒に頑張りましょうと言って別れる。
Hotelへ一度戻り、仮眠というか短時間の熟睡。
夜は、河南先生、澤木先生、藤本さんと近くのレストランへ。僕はラビオリを注文し、それなりに美味しかったが、飽きる。更に、もう1件、ビールを。

2009年10月5日(月)→10月6日(火)
朝6時に起きて、少し仕事を。その後、慌てて荷物を詰める。
とりあえず、check outし皆で集合。
Myバス店より、バスでパリ半日観光コース。非常に忙しい観光で、右に●●、左に○○とあちこち説明を受けるもついていけない。喋りすぎるガイドに酔ってしまう。
エッフェル塔下で記念撮影。生憎の雨でさっさとバスに戻る。更に市内観光は続く。更に雨足は強まる。
モンマルトル地区では、サクレ・クール聖堂→テルトル広場他、ユトリロや、ダリや、様々な有名な芸術家などが生活してきた町。雰囲気はあるのだが、雨が強くてねえ。これはこれで楽しむ事にしよう。
半日観光コースが終わり、お決まりの免税品店に連れ込まれる。日本でも買える物を、わざわざ海外の免税品店で買うという感覚が私には全く理解できないので、さっさと避難する。その後は、各自別れて自由行動。
3時にノルマンディホテルへ再度集合。タクシーでシャルルドゴール空港へ。ここでまた時間があるので、自分用にチーズを買う。DVT予防の弾力ストッキングを見つけたので試しに購入。パリ観光で靴下がビショ濡れなので履き替える。
いろんな先生にまたここで再会。
シャルルドゴール19:20→14:10成田。
周りが皆眠っている間、「天使と悪魔」を読み終える。なーるほど、とストーリーを理解した後、機内放送で放映している映画「天使と悪魔」を見る。これだけの長編を2時間程度にまとめるために、かなり内容は修正されている。性的な描写は殆ど割愛されているし、最後の司教の運命も異なる。
結局ほとんど眠らないうちに成田に到着。成田からバスで羽田。
羽田で、澤木先生、河南先生と打ち上げの乾杯。もう少しです。
羽田18:00→19:00小松。荷物もあるので、皆で折半してタクシーで帰宅。

久しぶりの我が家。ごはん、焼き魚、肉じゃが、刺身など純和風定食を作ってくれた妻に感謝。本当に美味しいです。

2009年10月7日(水)
朝普通に目覚める。時差ボケは無いのか?
しかし帰国後いきなり外来。先週休んだ皺寄せで、超いっぱい。幸い新患や対診が少なかったからしのげたものの、16時までかかる。
病棟回診しる元気は起こらず、明日に廻す。
超大型の台風18号が来ているという。車を小学校に避難させて、家に籠る事にする。

2009年10月8日(木)
朝になっても台風18号の気配はさほど感じられず。今から日本列島横断なので、お互いに無事でねと言い残し出勤。妻は、白山が守ってくれるから大丈夫と言う。
1週間留守の間に、病棟入院患者数が増えていて、それなりに重症も多く、皆様ご苦労様でした。
回診でとりあえず、皆様の顔をみてほっとする。今後の治療方針については、少し考える症例が多い。
結局、石川県では台風の大きな被害はなかったようで、白山信仰もうなずける。

2009年10月9日(金)
朝5時に起き、IgG4超コアメール会議を発信。更に、IgG4前方視研究の倫理委員会承認状況ならびに症例登録状況の報告を発信する。
外来担当日ではないのだが、結構外来業務あり。
学生検鏡check
ムンテラ1件。
学会中の写真を整理。
医局の研究助手募集の広告を新聞に出したところ多数の応募あり。履歴書を拝見するだけで、実に多数のそして様々な経歴の方々が申し込んでくれている。この中で一人しか雇えないのが申し訳ないという気すらする。
疲れて帰宅。つまらぬ事で、ミハと口喧嘩。まあこちらも大人気なかったかもしれない。早くにやたらと眠くなり、さっさと就寝。ところが寝付けず。MMMM

2009年10月10日(土)
朝予定の時間に起きれず。今頃になって、時差ボケ? 爺さボケ!
少しだけ医局へ。科研費書類をダウンロードしようと試みるも、土日のこの時間は対応していないという。何たることかと、朝から憤る。
金大へ。輸血・細胞治療学会北陸支部例会の幹部会→評議委員会→総会。輸血部の副部長の肩書もあるのだが、やはり輸血というジャンルは特殊であり、聞いても理解できない事も多い。勉強不足を実感する。
ついでに、少し内職(溜まっている依頼原稿を少し書きすすめる)。
その後、富久寿司で稲田先生、塩原先生を囲み御一献。異型輸血をいかに説得して受け入れてもらうか等、ガイドラインの整備が重要というお話等。

2009年10月11日(日)
秋晴れの日曜日。なのに暗〜いのよ。何故ってね、日直なの。しかもよ、聞いて〜、停電だって言うじゃない。これじゃ仕事もできないわ。
病棟もばたつく。
医局では仕事ができないので、血液センター(輸血部)にお邪魔し、仕事を。停電のせいでインターネットが繋がらず、科研費関連の仕事はできない。仕方なく、書き物仕事を少しづつ進める。
昼飯を買おうと地下の売店まで行っても全て閉まっている。それどころか、自販機まで全て止まっている。家からおにぎり持ってきて良かった。しかし飲み物をどうするべえ。
16時ようやく停電から復旧。

2009年10月12日(月)体育の日
秋晴れは続く。
ミハを塾へ。
妻、モモと大和へ。久しぶりだが、相変わらず駐車場が一杯でなかなか入れない。こういう事が続くと郊外型のスーパーへ客が流れていってしまうんだろうな。
モモの夏休み廃品利用工作が展示されているからで、よく頑張りました(誰が…?)
デパ地下で食料品など買い込む。

2009年10月13日(火)
H。先週は急にお休みして申し訳ありませんでした。
散髪す。
さて気合いを入れて、科研費作成。
義父入院。お願いするしかない。
某、期待の新薬の説明会(八や)

2009年10月14日(水)
本日も 目一杯の外来 水曜日。
科研費 かけん日

2009年10月15日(木)
朝方に何とか文科省の科研費申請を書き提出。どうせまたチェックされ、戻ってくるのだけれど…
大和が大胆なリストラで、新潟県の3店舗(上越も含む)を閉店すると。高田の町中も益々寂れてしまうなあ。
義父が輸血を嫌がっている、家族の血なら貰うと言っている… 日本の輸血は世界一の品質ですよ&近しい家族の血を入れると身体の中で喧嘩してしまって危険なので献血製剤の方が安全ですよ、を説明。分かってもらえたかなあ?

2009年10月16日(金)
朝よりG4のJRへのreviewを仕上げsubmitする。
金曜日の外来は予約少ないのに、何故か時間はすぐに経過。
5学年CCSまとめ。

2009年10月17日(土)
午前中外来当番。少なくてほっとします。
午後より金大へ。北陸血栓研究会@金大宝ホール。内職しつつ研究会も聴く。
夜は雷と雨。

2009年10月18日(日)
朝より土砂降り。
モモはお祭りの笛、可哀想に寒がっている。午前中雨の中に獅子舞某振りも廻ってくる。某振りの男の子達もびしょ濡れ、可哀想に、しかし伝統芸能だから少しくらいの雨で中止する訳にはいかないのでしょう。
昼よりようやく晴れ上がる。
小浜神社へ、お祓い。少し出店をみる。

2009年10月19日(月)
朝より臨免総説を書き進める。
K。臨床しながら、臨免総説
ケアベアって知ってる? 毛アブラ? … じゃあ、スージーズーって知ってる? 寿司酢?…… すっかりモモにあきれられてしまいました。

2009年10月20日(火)
H。臨床しながら、臨免総説のabstractを仕上げる。
Swine Fluのワクチン接種。
モモ夜になって、突然の歯痛。さっさと寝なさい。

2009年10月21日(水)
朝より科研費直し。再度提出。
奇跡的に予約の少ない外来日。
Swine Fluの優先接種者をどう決めるか、喧々諤々。

2009年10月22日(木)
朝から医局会。
教授が居ないので、代行の回診。
swine flu waccinの優先接種対象者リストの作成。約3時間の浪費。
夜、空を見上げる。天気も素晴らしく良くて天然プラネタリウム。流れ星来ないかな〜としばらく夜空を見上げ続ける。流れ星は来なかった、替わりにくしゃみが出た。
下口唇にアフタ出現し、痛いっす。

2009年10月23日(金)
朝起きてから慌てて出発準備。忘れ物何かありそうな気がする…
一つだけ忘れ物あり、医局へ寄ってから、車で金沢駅へ。
8時4分サンダーバードで京都へ。
駅でアクタスを買い、読んでぶっとぶ。インタビューを受けて伝えたかった事は殆ど省かれ、どうでもいい事、書いてほしくない事が歪曲され誇張され書かれている。これだったら先日送ってきた校正原稿は何だったのか? 先日のものよりも更にヒドくなっている。もうマスコミは信用しない。血液型うらないを会話のネたにするくらいは許容範囲内とは言ったが、大いに結構とは一言も言っていない。大半の部分で否定的な見解を述べたはずなのに…
第71回日血@京都国際会館。
コーポレイトセミナー Dr.Zinzaniのzavalinの話。昼食後のため迂闊にもggg
Symposium3: Recent progress in pathogenesis and treatment for T/NK-cell malignancies.
Dr.Elaine Jaffe.
Dr.Ohoshima, Tukamoto, Yamagichi, 先生達の話。あのくらい英語が喋れたらいいなな。
Dr.ZinzaniのT細胞性リンパ腫に対する新薬の話。Alemtuzumab (anti-CD52), ontak, CHOP-EG; CHOP + Eto+ Gem,
Bortezomib,Aplidin,Lenelidomide,RAD001 ,Anti-CD4 (Humax-CD4, zanolimumab)- Z-CHOP?, Gem+Bor, Pra+Bor, Pra+ Gem, HDAC combinationなどなど。
夜は、皆で、お数やいしかわへ。ここは昨年の血液学会の際も皆で利用した店。比較的リーズナブルな料金でおいしい。ビール→焼酎。

2009.10.24.(土)
朝少し二日酔いか頭いたい。いつもの事だ。シャワーを浴びて目を覚ます。
学会場へ。本日は興味ある口演がない。プログラム編成をなんとかしてほしいものだ。医科大出身者で他施設で血液を診ている先生が結構いる。それぞれ頑張ってもらえればうれしい。
G4関連のポスターが3つほどあるので、それぞれのところに行き、指導的助言&協力の依頼。
昼は学会場を抜け出し、豆ふ家。おぼろ豆腐定食を。体にしみこむ、やさしい味です。
そのまま清水の舞台より飛び降りたつもりで、清水寺へ。結構歩き、疲労蓄積。
学会場へ戻り、ポスターを。

2009.10.25.(日)
朝目覚めてから本日のpptを一部作り直す。今回は血液学会だ。聴衆の興味に合わせないと。G4はpolyclonal hypergammopathyであるという視点から、最後の数枚を作り直す。
発表→質問もいつもの想定範囲内で滞り無く終了。
その後は節外性リンパ腫のセッション/T細胞性リンパ腫のセッションに参加。
サンダーバードで金沢へ。駅でミハと合流し車で久しぶりの我が家。

2009.10.26.(月)
臨免誌の総説を仕上げprofへ送る。少々持論を展開しすぎて、顰蹙を買う要素満杯なもので。
続いて中リ、JOHNSの原稿を順次書き進める。今月末は原稿絞めきりがてんこ盛りです。
新型インフル優先接種対象者向けの案内文書というのも作る。ただしこれは、優先接種対象であっても、供給量が足らなければ本当に接種出来るかどうかわからないという現状から、やたらと言い訳がましい文章が並ぶ。
それにしても今回の優先順位には納得がいかない。有病者も勿論優先すべきだが、もっと優先すべきは若者(子供達)ではないのか? 自らの責任でヘビースモーカーでCOPDになったとか、暴飲暴食で肥満からDMになったとかを優先すべきではない。後から入ってきて子供達に接種できるのは輸入ワクチンのみという事態、もしくは接種すら出来ないという事態になるようだと、どうかしている。
K。本日は明らかなインフルはなし。ただし、productive coughの激しい若者はいた。

2009.10.27.(火)
H。小丸山公園の前で工事のせいで、少し遅刻。しかも予約含めて一杯の外来。でも比較的スムーズに流れました。
医科大へ戻り、いくつかムンテラ。
内科系セミナーは臨床腫瘍学の担当で、緩和医療の話題。

2009.10.28.(水)
朝は某review論文を読み感想をメール。
外来、何故か本日も予約少なく余裕あり。
夕方は、kannsenntaisakuiinnkai, sinngata-innfluenza-taiksakukaigi またもや喧々諤々になったのでした(一部は私が原因ですが)
当直しながら、JOHNSの依頼原稿を仕上げる。

2009.10.29.(木)
新型インフル最優先接種リストを仕上げる。あとは案内状の発送だけだが、発送するのも大変な労力になる事が予測される。
医局会。それはIVLです。
教授回診。
ムンテラ1件。
リサーチ・カンファレンス。N君のmicro-arrayの話。
ムンテラ1件。

2009.10.30.(金)
朝何故か3時半に目覚める。再び眠るのも勿体ないので、そのまま活動開始。
英語の勉強を再開。しばらくobama演説集を聴く。こういうふうに迫力のあるスピーチはどうしたら出来るのだろう。
11月末締め切りのivl総説の表紙だけ書き、満足する。
外来。それなりに対診多し。
5'CCS症例発表。たどたどしいも、一生懸命さは伝わる。
Sunさんとリサーチの相談。水が悪いんじゃあないのという結論に到達する。
その後机の上を整理…全然片付きませんが…あ、一つ委員会忘れてた…

2009.10.31.(土)
今朝は寝坊でした。慌てて1泊分の準備を。今回はPC持たずに行こう。
一度医局に寄ってから、miki先生, iwao先生と小松空港へ。浜松町→有楽町。
お昼は何を、昨年立ち寄ったガード下のまんぷく亭。ハヤシライス。
帝国ホテルへcheck in 。一瞬昼寝。
Zシンポジウムへ。リンパ腫をやっている人は殆ど参加していそうな、今時珍しいバブリーな会。
情報交換会の後はラウンジへ。seto先生、utsumomiya先生、hashimoto先生、hyo先生、sakamaki先生と我々のメンバーで。両巨頭の話はタメになったでしょうか?