2009年9月1日(火)
あさふらけ いまだになんだか わからずで
H。結構仕事多し。
一つ片付けている最中に、次の原稿依頼が舞い込む。断れないし、困った…
かがくりょうほういいんかい。抗がん剤投与ミスを無くすためには、重要な会です。

2009年9月2日(水)
早く切り上げたい外来日。Ume様が早々に不在になった途端、関節炎やら膠原病関連の紹介対診が廻ってくる。うがー これは終わりませんべえ。
何だかんだと4時近くまで。
急いで帰宅、急いで着替え。
taxiで小松空港へ。
空港内ではfree spotがあると聞いていたので、接続を試みるも… 案内係に聞くとプロバイダー契約していないと無理だという。
Check innし、ANAの待合に。何とここではANAのfree spotに繋がるでないの。こういう繋がる場所があるにもかかわらず案内させないのは何故? NTT関連の有料spotを普及させようという陰謀だろう。
福岡へ。博多まで新幹線。駅すぐ近くのホテルで便利。
ネギノリラーメン、餃子、ビール。
疲れた、全身が痛い。

2009年9月3日(木)
第18回日本シェーグレン症候群学会(今回より研究会から格上げ)@九州大学百年講堂。
朝一番より、IgG4+MOLPS/Mikulicz病検討会。Umehara班の立ち上げ、前方視試験の説明。
続いてIgG4関連のシンポジウム。発表でござる。質問もいつもの質問。
昼のランチョンは抜け出して、周辺を散策。暑い! ラーメン屋さんを発見。ラーメン、餃子、ビール。
汗だくで学会場へ戻る。午後からは眠くてしゃーない。
IgG4関連疾患のセッション。座長でござる。いつもの議論。
夜は懇親会@海の中道。配布されたポロシャツに着替え、涼しい風に吹かれながら、玄界灘や福岡の夜景を望む。お酒が入ってもG4の論議は続く。名称をどうするか。

2009年9月4日(金)
午前中はシェーグレン学会へ。セントロメア研究会〜IgG4関連のシンポ/一般演題まで。途中ですがここで中座させていただきます。
福岡空港では時間ギリギリ。JALで羽田経由で小松へ。
一度家へ戻る。着替えて
ホテル金沢へ。中部リウマチ学会の会長招宴。司会で忙しかったけど、料理は美味しかったす。

2009年9月5日(土)
第21回中部リウマチ学会@ホテル金沢。粗相のないように
午前中はA,B,C3会場に目を光らせつつ、IgG4関連セッションで発表。
午後からは、発表は終わったものの、眼を光らせつつ、いろんな人と歓談。元気でした?
A会場最後のセッションで座長。適当に仕切る。
やっとこれで学会終了と思ったら、何と会場内で置き引き事件があった事が発覚。警察も出てきて、結局ホテルの監視カメラ映像を皆でみると、明らかに怪しい人物がウロウロした後にバッグを取っていった瞬間も写っている。しかし画像が不鮮明で、比較的長身で長袖のワイシャツの男?という事までしか分からず、顔は分からない。最後にイヤ〜な後味の事件でした。
有志で打ち上げ。台場→sawaki君とkiku→kawanami, shimoyama, imaiに合流しシャーロックホームズへ。明日もあるので、早く帰りますわ(0時半)

2009年9月6日(日)
朝早めに起きて、内科学会北陸支部第48回生涯教育講演会@金沢医科大学。
トップバッターでの講演。それなりに評判はよろしかったのでしょうか? 人の発表には興味無いので、さっさと帰宅(生涯教育って言われてもなあ〜)
ミハを塾へ。
妻、モモと加賀フルーツランドへ。ブドウ狩り。甘くて美味しいですが、そんなに食べれません。元をとるのは不可能です。

2009年9月7日(月)
朝フラ復活
午前中は医局会その他。11時より学生の検鏡check。
昼は家で出来立てカレーを。
午後K。例のヤな奴は来なかった、ほっとするわ。若いIDAに遭遇し、検査を勧める。
結論のなかなか出ない話し合い。

2009年9月8日(火)
眠〜
井戸端単行本の体裁を直して、病理N先生へ内容が重複しないように、送る。
やっとこさHへ。比較的ヒマで良かった。G4-ISSS用の発表原稿を作成。
病院へ戻り、久しぶりに入院Ptのデータなどcheckした上で、回診。
当直です。
G4前方視研究の一式を皆様にメールで送り続ける。

2009年9月9日(水)
QQの日。きゅきゅ〜っと一杯やりたいとこですが…
外来。絶望的に終わらない。間に病棟PtのICも挟んで、終わったのは17:30です。

2009年9月10日(木)
あさふらで おぼえたふれーず じぇむるばん   (私はワインが好きです)
医局会。
移植症例の検討。温度差があるのは、何故移植にふみきったのかという点。医学的には可能性は限りなく低い、ハイリスクである(指摘の通り1割もないかもしれない)。しかし移植しなければ100%助からない。最終的に移植を行ったにも関わらず患者は死亡。移植まで行い死亡したのではしなかった方が良かったというスタンスの意見が多かったようにも見受けられるが、患者の希望/家族の希望が強い場合にはとことん出来るだけの事は尽くしたという、後悔を残させない配慮だって大事である。医学的科学的な確率論だけが正しいわけではない。
もう一つ違和感があったのは、「患者を死なせたら負け」という発言。人間は必ずいつか死ぬ存在であるという事を忘れた発言としか思えない。救命出来ればそんなにhappyな事はない。しかしどれだけ手を尽くしても、死ぬ時は死ぬのである。患者は死亡しても、残された家族に少しでも満足感(後悔させない)を与える事は重要である。
夕より、石川県医師会の先生方と医科大医局長集団との会議@都ホテル。そもそもの趣旨が最初は分からなかったが、勤務医の環境をなんとか向上させよう、そのためには意見交換をしていこうという大変有り難い趣旨の会である事が判る。アルコールも入り(じぇむるばん)、言いたい事を言う。政権交代したが、医師会として政権/政党にどのような意見を言い、誰を支持していくつもりなのか? 最終的に、医師会に入りなさいという趣旨の会だった事に後で気づく。

2009年9月11日(金)
もやもやした気分の目覚め。
ISSSのPPT, 発表原稿を仕上げ、英文添削へ。
5学年CCSの発表。分かってるんだか 分かってないんだか… もうすぐ標準試験だ頑張れ!(頑張れと言うなとか、励ましてはいけないとか、クソ喰らえである。頑張るべき時は頑張るしかないのである)
2番目の意見。G4。まだ確立していない疾患概念および治療であること。その中でどこまで分かってきて、どかが分かっていないのか。どうすればいいのか。など。
ムンテラ。pcnsl。確立した疾患概念であるが、治療方針は確立していない。再発時にどうすべきか、WBRTを行うべきか。など。
もやもやは晴れないが、もやもやしていても仕方ないので。散髪へm。

2009年9月12日(土)
晴れていればモモの運動会のはずだった が … 朝から雨   …
あさふら。じょせいえせっとろぶるーじゅ は覚えても使うはずがないので じぇぷりふぇれくらばっとぶる を言えるようにする。
運動会が無いので、仕事に行く。幾つかのメール返信。
幾つの病理へのお願い。などなど。時間は経過。
午後からは、モモとラウンドワンへ。少しなんちゃってボーリング、ゴルフ、バスケなどしただけなのだが、早くも筋肉痛の予感。

2009年9月13日(日)
朝の天気は微妙。だが放送で予定通り運動会ありますと。
7時半、体育館の場所取り。グラウンド座席の場所確認&ビニールシートの雨水拭き。
8時20分、ミハを送り(途中で受験票忘れが発覚し、大慌てて戻る…)何とか9時に試験会場へ。
戻って、モモの運動会へ合流。
徒競走 がんば〜れ〜え  …    ヨサコイソーラン頑張るそうです、ハイ頑張ってました!
突然、通り雨。始めは軽く見ていたが、徐々に大粒の土砂降りに。体育館へ避難し、一時中断&昼食ですお弁当は美味しいね。 本当に通り雨だったようで、1時にはカラっと晴れ上がる。
午後の部は1時半より再開。よく頑張りました。お疲れさま。
家でいんぎら〜 田舎へ泊まろう〜笑点〜チビまる子ちゃん〜サザエさん〜カラクリテレビ

2009年9月14日(月)
じぇまららてっと じぇまらじゃんぶ
午前中は書類書きやらsiccaやら
いよいよMacのメモリが足らなくなってきた。HDを買い足さないと。
午後K。微熱や上気道炎症状多数、インフルは1例も陽性に出ないが、用心するに越したことなし。
夕方少しヒマな時間。iTunesでダウンロードした南佳孝を聴く、良い。Kanを聴く、良い。
anniversaryにつき蘭すでケーキを買う。ケーキでバッティングしたが、お互いに覚えていたので良しとしましょう。

2009年9月15日(火)
じゅすい てゅべ いれ えれ …
H。そこそこ多忙。合間にisssの発表用ppt, 原稿の英文添削済みを仕上げる。後は読みの練習だ。
Y電気へ。HD(1TB), ひげそりじどうあらいきの替え液, CD-R。
ぱす検討委員会。最も不真面目な分化会チーフだけに、肩身狭い。
ムンテラ1件。
放科、脳外科、病理とのカンファ。Primary CNS MALTはやはり珍しい。
当直です。

2009年9月16日(水)
外来が 終われず会議も 欠席し

2009年9月17日(木)
医局会
CPC実施委員会。興味深い演題が結構ありそうです。

2009年9月18日(金)
外来は難しい対診が多い。
危機管理委員会。使わなくなった危機をどこで有効利用するか?
基礎疾患のない子供の新型インフル死者が発生した事で、疑いの段階でもタミフルを処方するようにと。

2009年9月19日(土)
朝より名古屋へ。
第10回東海悪性リンパ腫研究会。G4の布教活動です。先にyoshino先生より病理の概説をいただいたので、聴衆の理解も深まったものと思います。私の講演が皆様のお役に少しでもたったのならよいのですが。
その後、懇親会(少しalcholで荒れ模様でしたが)
Marriott Nagoya Associa泊。いいホテル、自腹ではよう泊まりませんわ。
夜景を眺めながら、もう御一献。

2009年9月20日(日)
朝シャンし buffeで食べて check out
朝一番のしらさぎで金沢へ。電車中はほぼ熟睡。
ミハを塾へ。
妻、モモと手取フィッシュランド。普段は場末の寂れた遊園地だが、シルバーウィークだけあって、超混雑。謎のキャラ、テドリンも登場。
ミハの実験に付き合う。予定通りの結果が出たから、後は書き方次第。
臼井義人さん山で滑落死? クレヨンしんちゃんの新作がもう読めなくなるという事。とても残念である、御冥福を。

2009年9月21日(月)敬老の日
朝フラ。一通り 耳では慣れたが 意味不明
少し病院へ。BP40!
ミハと妻をホテル金沢へ(塾の懇談会)
モモと内川スポーツ広場へ。駐車場満杯も、中はさほどでもなし。気持ちのよい秋晴れのはずだが、無風状態に近く暑い。そう長くはおれず。
少しTUTAYAへ。安楽椅子物の推理小説を一冊入手。
ミハ、妻を迎えに行き、そのままるびなへ。秋限定のキノコ&チキンカレー、カボチャのクルチャなど。
ミハの実験まとめ。後は発表原稿頑張って。
ブザー・ビート最終回。予定調和の世界、じゃあバイオリニストとしての立場はどうなったの? そこでそうやって帰れるのなら、何故別れたの? まあ、ブザー・ビートが決まったからいいや。

2009年9月22日(月)国民の休日
朝早めに活動する事に。
前から気になっていた、日本元気劇場へ。以前の加賀時代村とどう違うか? 期待と不安と。吉本芸人のショー:ハローケイスケともう一組若手(少し笑)。忍者ショー;演技等は迫力あり、ただしギャクはおそまつ。途中雨。
しかし何よりも腹立たしいのは、会場全体に流れている、「元気DE SHOW」という駄曲。どんな曲でもづっと繰り返し流さ聞かされるのは堪え難い。ヤマダ電気、あるいはディズニーランドIt's a small worldの例を挙げるまでもなく。僕は音楽を愛しているが、こういう音楽の使い方は音楽に対する冒涜と思う。ディズニーランドはそのアトラクション内だけの問題だが、元気劇場では、このどうしようもない元気でショーと言い続けるだけの、しつこい駄曲をしつこくしつこく流し続けるのである。これだけで気分は最悪。もう二度と行く事はないだろう。一生懸命パフォーマンスをしている劇団の皆様には申し訳ないが、経営者のコンセプトの誤り。戦艦三笠など最後に見たが、もうどうでもよくなっていた。
家に帰り、しばし意識消失(昼寝)
救命病棟24時最終回。救急医療の課題。日本医療全体の課題。それはそれとして… 進藤先生(江口洋介)のような同業者が同じ職場にいたら、さぞや迷惑な事だろう。

2009年9月23日(月)秋分の日
朝起きれなかった。朝フラも 最近とても さぼりぐせ
ミハを送り、発表原稿の校正。中3の文章にしては、まあよろしい。それを簡潔に推敲。あとは喋る練習をしてね。
シルバーウィーク最終日は基本寝てよう日。たまにはこういう日も必要。
夜は当直。

2009年9月24日(木)
医局会。少し荒れる。
ISSSの予行。少し訂正が入る。
快心。回診。
臨床指標検討委員会。こういうものをHPに載せる意義が今ひとつ分からないが、載せるらしい。
ミーティング。複雑。

2009年9月25日(金)
朝一番で小松よりJALで羽田へ。羽田空港→新橋→溜池新王→永田町:砂防会館へ。
難治性疾患克服研究事業に関する説明会。厚労省官僚達による、耐えがたい下手なプレゼンの連続。
奨励研究といいながら、単年度で評価するというので、結構不満が噴出する。
100億円の研究費をいかに分配するか、質疑応答もあるが結局よく分らない。
そもそも、発表者(役人)を紹介するのに様をつけるなと言いたい。上から目線の説明会に辟易。
日帰りは 出来ても辛い 空の旅
「明日なき世界」から「核なき世界」へ。国連で異例の核廃絶決議。

2009年9月26日(土)
何故かとても眠く、朝寝坊。
外来当番です。いろいろ紛糾する。
第5回血液免疫ネットワークin金沢@都ホテル。著明な先生方による、まさに最先端の医学の講演。
懇親会→mistyで二次会。

2009年9月27日(日)
朝はやや寝坊のため、フラ少し。
ミハを塾へ。
モモ、妻とコロナワールドでボーリング。モモは上達。自分でも何故か絶好調でストライク続く。しかし、明日の筋肉痛予想は100%確実。
その後、近辺のモールをぶらぶら。ユニクロで下着を。

2009年9月28日(月)
朝は少しフラ。もう少ししかないが、喋る自信は無いわ。
5学年検鏡check。今回のグループは、この1回しか相手出来ないのでやや丁寧目にお相手。
しばらく居ないというのに、再入院やら転科の方々が結構不穏。元々の入院の方々も不穏。ふぉ〜ん
午後K。
その後、大学へ戻り回診を。

2009年9月29日(火)
朝医局の机の上の書類を片付ける。焼け石に水、だが…。
深刻な話も少し。でも決まってしまった事なら仕方ないのか?
H。そこそこの仕事と。来週の外来を止め忘れていた事が発覚。
幾つかの買い物。国外免許証も。
医局に戻り、某雑誌のインタビューを。血液型と病気の関係について。一切関係ありませんと一刀両断するしかない。
後は家に帰って、明日の準備。えーと、後は何がいるんだっけ??? 本当に明日朝出発出来るの

2009年9月30日(出発当日) 
4時起き。早起きは慣れているのだが。乗り遅れたら大変なので、緊張しているのか妙に早く目覚めてしまうのでした。
4時40分、河南先生、澤木先生とともにtaxiで金沢駅へ。金沢5:38(サンダーバード2)7:55京都8:16(はるか11)関西空港。
空港での時間は余裕がありそうで無い。
関西空港11:50(エールフランス291;12時間20分のフライト)17:15シャルルドゴール21:20(エールフランス7732)22:35ブレスト。
飛行機の中の時間は狭いし、お尻が痛い。そのつど赤ワインかビールを注文し、結構出来上がりながらも、映画(ターミーネーター4)、フランス語の勉強、学会発表の再仕上げ、天使と悪魔を半分まで読む、等々でした。
ここ数カ月の苦労は何だったのというくらいに機内放送のフランス語は分かりません。シルブプレ、マダム、ムッシューくらいしかまともに聞き取れないのでした。先が思いやられます。
 シャルルドゴール空港で菅井先生夫妻、沢田先生、患者会メンバー2人と合流。シャルルドゴール空港での待ち時間、妙に長くてくたびれるのですが、油断していて盗まれたりしないように緊張も保たねばならず、これが余計に疲れさせる。
 Brest空港では澤木先生の荷物が一つ出てこない事件発生。荷物紛失の届け出をして、タクシーの列へ。噂に聞いていたのだが、田舎のためタクシーもなかなか来ない。
ようやく乗ったタクシーはI am chat man taxiとか言ってやたらと滅茶苦茶な英語で話しかけてくる。
聞けばどうも我々の前に札幌の先生達を乗せたとか。普段はほとんど日本人の訪れない町に、急に日本人が押し寄せてきて驚いている様子。
 Le Gens De Mer Hotelへようやく到着。
長い一日がようやく終了。ビールでも飲んで寝よう。しかし部屋には冷蔵庫もなく、近くに自販機もなさそう。ホテルのレストランで交渉しビールをゲット。ついでにインターネットをなんとかしようと、電話プラグを引っこ抜いて繋げてみるもどうもうまくいかない。結局またフロントへ、WIFIの環境で、PCにはなぜかうまく繋がらないのだが、iPod Touchでようやく日本のメール受信。着きましたよ!メールを妻と医局へ。
 ああ、やっと眠れる…