2002年3月の日記

2002.3.1.(金)

 シェーグレン症候群の本の翻訳の仕事(組織委員全員で分担)に朝からとりかかる。
 日中は病棟業務(自分の担当患者さんが減ったので以前より随分と楽なはずなのだが)、骨髄穿刺など。
 医局へ戻り、シェーグレン本翻訳で丸一日費やす。出来上がりを印刷し読み直すと、いかにも英文を直訳しました日本語になっているので、これを日本語に超訳しなければならない。英語→日本語よりも日本語→日本語の方が時間がかかるのがいとおかし。
 アニータさんは銀幕デビューが決まっただけでなく、自伝を出版する事になったらしい。一方、千田容疑者からは8億ではなく6億しか貰っていないし、千田容疑者は嘘つきだ等々。確かにアニータさん自身は罪を犯した事にはならないのだろう。しかし、日本国民とくに青森の人の神経を逆撫でしている事は確かだ。ところで日本のニュースがアニータさんの事を紹介する際に必ず「プール付きの豪邸で…」というが、プール付きというのは日本人感覚からは豪邸かもしれないが、海外では普通の一軒家なら付いていてもなんの違和感もない。プール付き=豪邸のイメージは、ウサギ小屋に住む日本人ならではのものだろう。

2002.3.2.(土)
 朝から雲一つない晴天。北陸にもたまにはこんな日があるのですね。少し前までは天気が良い日の朝は放射冷却で車のフロントガラスが凍っていたのだが、今朝は大丈夫。暖かくなった。春はもうすぐそこだ。
 久しぶりに新患入院患者さんの担当になったので、いろいろ仕事あり。不明熱精査。不明熱患者を検索して診断をつけていくというのは、難解な推理小説の謎解きのようなもので、正しく内科医の醍醐味ともいえるのだが、命に関わる疾患も多く潜んでいるので、こちらも必死である。何とか早期に診断を決定し、早期に治療に入りたい。
 先月Pendingを命じられた、TMによる多発性骨髄腫の治療プロトコール作り直し。これに関しては広く御意見を頂きたいので、Web公開します。御忌憚のない御意見をお願いします。
 朝は晴天だっったのに、気がつくとどんよりと曇っている(ガスっている?)。これだから北陸の天気は分からない。

2002.3.3.(日)
 ひなまちゅり。みっくちゅじゅーちゅ。
 今日も朝からよい天気。だからどこかに連れていかなくては。
 金沢サティのマクドで食料を調達し、富山のファミリーパークへ行こう→→→ところが、がああああん、ファミリーパークは冬季でまだ休園中。せっかくここまで来たのにいい。どーしましょ。仕方なしに、もう少し走って、太閤山ランドへ。以前行った時は今一の印象があったのだが、広いし、なんとか一日時間を潰すのには良かった。ミハ/モモもまあまあ発散してくれた様子。

2002.3.4.(月)
 相変わらず良い天気。春ですねえ。
 しかし結局一日中、病院の外に出れず。午前中は教授回診。午後からは、骨髄穿刺2件。国際シェーグレンの打ち合わせ。リサーチの話し合い。
 TVタックル。医療費の問題。和田なんとかという、医者を止めた事を売り物にしている??医者(この人って神経質そうで、個人的にはお付き合いしたくないタイプ)は、大学病院の専門科/縦割りが悪いと。論文を書くのが悪いそうである。レセプトの不正請求と。根本的な問題を間違っていると思う。一般の人たちは、医者が儲けていると思っているみたい。そんなに楽な仕事ではないのですがねえ。救命医の不足に救命救急制度の不整備という。こんなふうに医師を悪者扱いして、訴えればよいというような風潮ばかりを作るから、逆に、医者側は訴えられないように、書類ばかり同意書ばかり作って自己責任を問う作戦に出ざるをえないわけで、悪循環。
 寝ようと思ったら、月初め恒例の悪夢、レセプト到着。こんなに苦労して書いている事を悪者扱い去れたのでは、やってられないぜ。

2002.3.5.(火)
 37歳になりました。足して丁度10になるという区切りのよい年齢(?)なので。いろいろと誓いを。中身はナイショ。
 この歳になってまず行った仕事は、入院患者さんのレセプトを仕上げる事でした。
 天気悪し。浜野病院。車の中で中国語会話のCD。発音難しすぎ。
 130球。今度は爪痛し。
 医科大へ戻りルーチンワーク。
 帰ると、ゴチソウが待っていました。ありがとう。

2002.3.6.(水)
 BBCニュース。チーズはどこ?の原書。を、しばらく朝の日課にする。
 外来の予約いっぱい。更に紹介などで新患もいっぱい。しかも難しい患者さんばかり。17時、終わる頃にはヘロヘロ。今更、昼食を食べる気にはなれず。医局の、チョコ、ケーキを胃袋に少し入れて血糖値を上げる。
 それから病棟を回診。
 気持ちは焦れど仕事は進まず。へろへろ君でした。

2002.3.7.(木)
 朝から肉体労働。疲れた。
 夕方、内科外来運営委員会。ちゅかれた。

2002.3.8.(金)
 モモ2歳に。しかし、朝から機嫌悪し。泣き喚き。少しは大人になりなさい。
 寒いと思ったら、朝雪がちらついている。
 株価が急上昇し、トリプル高に。このまま、景気が回復してくれれば良いのだが。
 またなんとなく重症の方が転科してきそう。いろいろと策略を練る。
 車で上越の実家へ。ルシェルブルーというお店でケーキ(ハム太郎の形)を買って、実家でモモの誕生日お祝い。

 (最近はこんな可愛いケーキを特注で作ってくれるのです)
 酔っぱらい、親父と少し口論す。

2002.3.9.(土)
 全国的に良い天気。実家の外来は風邪ひきボチボチ。3時頃に早めに切り上げさせてもらう。
 車で金沢へ戻り。
 消内のウラシマ先生他の送別会へ。私は知る人ぞ知る消内の裏切り者なので、かつての大先輩の先生方に久しぶりにお会いできよかった。

2002.3.10.(日)
 今一つの天気でお外で遊ぶにはちょっと。
 金沢サティへ行き、ディズニー映画「Monster's Inc.」を。ほろっとさせる部分と、ジェットコースター的な要素もあり良い。モモもサリーとマイクの名前を覚えて、「怖くないもん!」って。

2002.3.11.(月)
 依頼されたとはいえ、生まれてはじめて2歳の子供に骨髄生検をしてしまいました。モモと変わらない小さな子に、痛い事をして泣かれるのって…、身につまされます。セデーションもなかなか効かず、泣いていました。小児科の先生は大変だなあ。
 皆でよってたかって、ムネオちゃんをイヂメル会@衆議院。ビデオに録画しようと思っていたのに朝から忙しくて、録画し忘れ。しかし、一日中ニュースでやっているから、まあいいか。キヨミちゃんも頑張っていたが、時間が短すぎてイヂメきれなかった様子。

2002.3.12.(火)
 森田実さん曰く、今回の証人喚問は評価できるとの事。「北方4島は不要発言が明るみに出て日本国家への背信行為が明らかになった」「恫喝的な態度を反省すると言いながらも、最後に恫喝的な態度を見せてしまった」という点で評価できるらしい。なるほど、森田さんの解説は本当に分かりやすい。
 浜野病院までのドライブも良い天気で気持ちよい。イタリア語会話のCDをかけていく。中国語やイタリア語をマスターしようと思っている訳ではない(英語さえままならないのに、そんなに甘くはない!)のだけど、英語のテープを聞くのにちょっとアキたので。
 70球で止めておく。
 急いで医科大へ戻る。私の担当患者さんの調子が悪いらしいので。
 国際シェーグレンのプログラム&アブストラクツ集原稿の校正。結構、細かな間違いあり。
 あちこちからのE-mailからの返事書き。あっという間に、もう寝る時間です。
 特選JAZZ「Ella Fitzgerald」。ジャズはそんなに詳しくない。というか、よく知らん。けど、これは格好良い。誰もが知っているようなスタンダード・ナンバーのライブ演奏を集めた名版。980円という値段がまた偉い。

2002.3.13.(水)
 夜中に担当患者さんが重症化しショック状態に。ところがショックの原因が分からず、悩む。
 おかげで寝不足状態のまま、外来に突入。
 なんとか外来をこなし、15時頃終了。
 ショックの原因は敗血症であった事が、夕方に判明。対策を。
 今月のIRB審査用のいくつかのグループスタディの申請書一式を作成。ところがこれが、同じような事を少しづつ違ったフォーマットで記載せねばならず、腹立たしい。何か仕事をしようとすると、必ず山ほどの書類書きがついてくる。勘弁してくださいよ、もう。

2002.3.14.(木)
 病棟日誌の整理をさぼっていたので、朝から取り組む。
 その後は、書類書き、IVH挿入、医局会、国際シェーグレンの打ち合わせ、と続く。
 数日前から風邪気味で、喉と鼻の症状あり。熱が出ない代わりに、いつまでたっても改善してこない。
 母子殺害事件の判決は第二審で再び無期懲役に。「更正する可能性がないとはいえない」という判決理由。ニュースステーションに遺族(夫:本村洋氏)が出演。熱弁で、「人間は必ず死ぬものであるが、最後の死の瞬間を家族がともに過ごす権利を犯人は奪った。更正する可能性もあるが、逆に更正せずにいずれ社会に復帰し再び凶悪犯罪を引き起こす可能性もある。死刑の判決が下って、自らの死を間近に向かえてはじめて更正する可能性がある。更正した人間を死刑にするという事は一見残酷な事のようであるが、そういう残酷さとひきかえに、我々の平和な社会が成り立つ。」至極ごもっとも。無期懲役ではいずれ何年か後に社会に戻れるが、本当の終身刑というものを作る考えについてはどうかと問われ、「それでも死刑を望む。どんな犯罪を犯しても死刑を行わないという考え方は、犯罪者を助長させ、地下鉄にサリンをばらまいても、飛行機をハイジャックして高層ビルにつっこんでも、国が3度の食事とともに犯罪者の生命は保証しますという事である」と。本村氏の発言は第一審後の会見時に比べ、非常に考え方が整理されストレートに伝わるようになり、ある意味感動してしまった。そして毎度の事ながら、犯罪者の権利ばかりを重視する人権擁護派や死刑廃止論者には腹がたつ。

2002.3.15.(金)
 私的にはよく眠った(6時間)はずなのに、朝から超眠い。けだるい。(_","_).。o0O○
 でも、仕事はなんとかこなす。
 金沢17:07→17:59福井。第34回北陸造血器腫瘍研究会@福井厚生年金会館。福井20:32→21:15金沢。
 ムネオちゃん自民党離党。涙の会見も。でも騙されないぞ。野中さんあたりが説得した結果、自ら離党を決めたらしいが、説得にあたっては次の地方区の選挙の際には同地区に自民党の対立候補を立てないという密約があるとのこと。ナカソネ氏も含めて証人喚問後に一時的に離党した人達は、一度の無所属選挙をクリアーすればその後に復党してきたらしい。どこまでも腹黒いやり方。これが日本の第一政党の常套手段。
 そういえば加藤さんも離党らしい。影ウス〜。

2002.3.16.(土)
 だから〜、内科外来運営委員会で、○○科の××先生に出す時はこういうふうにしろといった、一人一人の我がままはダメダって事にきまったの。どうして、外来に出る先生ってお偉い先生が多いのでしょ。
 急性膵炎は辛い。見ているだけでも辛い。何とか良くなりますように。
 血液免疫内科にいると、あらゆる疾患を診る事になるのです。
 医員室を少し掃除する。次週から来るCCSの学生さんのために、空いている机を作らなくては。捨てなければならない書類が多いのだが、患者さんのプライバシーなどに関わるものが多いのでシュレッダーしなければならず、これが時間かかるのだった。
 「ナースマン」いとおかし。ナッチは最近死に瀕した役柄ばっかりやっているなあ。予定調和で終わるかと思っていたら、終末に近付き、よもやの急展開。次週、緊迫の最終回へ。
 吉村達也著「平安楽土の殺人」(カッパ・ノベルズ)。「魔界は天に在らず、地に在らず、人の心に在り。」というコンセプトの全100巻予定のシリーズものでやっと出た2巻目。これからはピッチを上げて次々出るとの事で一安心。「過去を引きずるな。未来を脅えるな。現在を見つめよ。」というメッセージもある。

2002.3.17.(日)
 風の強い日。
 石川県知事選挙の投票。投票所でマツ…、と言われたって、結果的にはやはり最低の投票率だったようで。
 海賊公園で少しミハ&モモを遊ばせるも、強風に尽き早々に避難。
 んまい屋でコーンチーズもんじゃ、カレーもんじゃ、豚&烏賊の2色玉、延べ焼きスルメ玉。
 プラント3で花の苗など、帰って花を植える。

2002.3.18.(月)
 朝、重症患者さんが息をひきとられる。最後は辛い症状をどの程度、抑えてあげる事ができただろうか。御冥福をお祈り申し上げます。
 早くも6年生のCCS実習開始。頑張ってください。
 土日月と3日間に渡る医師国家試験が終了したはず。皆さんの出来はどうだったのでしょうか。
 犬も喰わないような夫婦喧嘩。後味悪い。明日あやまろう。

2002.3.19.(火)
 またまた強風。
 浜野病院の帰り道も車がかなり風に流される。車の中では英語のテープでEBV & CMVのお話。
 ノーマルタイヤに交換。
 100球。
 訳あって呼吸器内科へお願いした患者さんのCCが呼内であると聞き、押しかける。
 何ごともない当直であれば良いが。
 吉村達也著「キラー通り殺人事件-完全リメイク版」(講談社文庫)。著者のデビュー当時の問題作の完全リメイク。オカマの西郷警部が面白すぎ。リボンの動機にも納得。

2002.3.20.(水)
 深夜より私の担当患者さんが急変。成す術もなく、朝方に御永眠。御冥福をお祈り申し上げます。
 医局に戻ってめざましTVを見ると、魚座12位最悪。
 寝不足コンディションのまま外来に突入。幸い予約も新患も少なく14時には終了。しかし、入院予約を2人もいれてしまった。入院したがらないが、かなり重症でいつ入院になっても不思議でない方もおり、いつまでも安泰とはいかない。
 夕方より医科大卒業式の謝恩会に出席。卒業生自体の出席が以外と少なくてびっくり。とにかく卒業おめでとう。皆さんの今後の御活躍をお祈りします。医科大にそして血液免疫内科に残ってくれる人が少ないのは残念だが、それは今に始まった事ではないし、こちらの努力不足なのだろう。

2002.3.21.(木)春分の日
 昨日は良い天気だったが、本日は午後から全国的に天気が崩れますよ。
 そんな予報にも拘わらず、ミハのピクニックに行きたい!の一言で妻は朝早くからお弁当作り。
 内川スポーツ広場へ行こうと決まり、ドライブ→→→が、ががああん。ここもまた、冬季間に尽き閉園。また同じ轍を踏んでしまった。アトラクションが使えなくても良いから、せめて芝生の広場にでも入れてくれればと思うも、3月中は入れないのでした。途端にミハは曇り〜雨天モード。なんだか、本当の天気もあやしくなってくる。今から外でお弁当を食べれる所って?? 卯辰山の健民公園へ。ここも非常に停まっている車が少なく、もしかして。ほっ、何とか閉園ではなさう。無理やりお弁当一式を持ってピクニックモードへ。が、も〜〜〜〜の凄い風。木の枝やら何やらが飛んでくる。それでも意地になって、ミハ&モモを滑り台などで遊ばせたあと、屋根付きの休憩所で昼食。うーん、やっぱりお外で食べる食事って、なんて美味しいんでしょ。しかし、風が強すぎてとても長時間はおれず、早々に退散。
 朝早くから行動しているせいで、まだお昼過ぎ。今からどうすると?
 御経塚サティへ行き、少々の買い物とボーリング。珍しく調子良く、いつもは滅多に勝てない妻に勝つ。ミハもスペア2個、ストライク1個とり、104点で御機嫌。(ガーターのないバンパー・ボーリングだけどね)
 帰りに回転寿司、いき魚亭。普通のブリでも旨くて感激。やっぱり、魚介類の種類の豊富さと生きの良さでは金沢は随一という事を再確認。

2002.3.22.(金)
 昨日まで比較的安定していた患者さんが突然?低血糖?。しかも、グルコースを入れても入れてもなかなか改善なし。午前中の殆どの時間をこの患者さんのケアに費やす。しかし、そうしながらも外来の代行で呼ばれたり、次週分の指示だしの必要があったりで、わや。
 当直の先生に宜しくお願いして、夕方より車で実家へ。
 リバイバル・プラン。

2002.3.23.(土)
 風邪が流行り終わったのか、暇な外来日。
 夕方、フモト病院に入院中の祖父母を見舞った後、青森へ栄転の決まった叔父を囲んで、親戚が集まり夕食。比較的新しい高橋という割烹。いろいろ美味しかったが、桜蒸しは春の味。チビッココンパニオンのミハ&モモが参加してくれて、大人達も大喜び。叔父&伯父は酔っぱらい、それを尻目に運転のある私はウ−ロン茶。
 車で金沢へ戻ったのは23時。それからミハ&モモを風呂にいれる。春休み早々から、夜更かし&御寝坊モードの突入で、良いのかしらん?

2002.3.24.(日)
 日当直。
 キヨミちゃん、いよいよ窮地に。ムネオちゃんをイヂめすぎたものだから、自民党にしてみれば目の上のたん瘤。ここぞとばかり攻撃してくるだろう。疑惑は既に否定しきれない事実のようであるし、この際潔く認めるものは認めて再起を図ったらどうだろうか。このキャラクターが国会からいなくなるのは、ちょっと寂しい気も。
 高速道路のETC車専用レーン。じゃまだなあと思っていた。首都高などではともかく、北陸道に設置しても何の役にも立たないばかりか、かえって使えるレーンを塞ぐものだから、渋滞をわざわざ作っているようなものである。と思っていたら、日経にその理由が書かれていた。旧建設省(現国交省)がETCの暗号管理を統括するために設立した道路システム高度化推進機構(ORSE)という財団は同省OBの天下り先にになっていて、高コストで魅力が少ない原因はこの天下り先作りの先兵という側面が強いためという事。ヒドイ話である。
 病棟方面多忙で、なかなか医局に戻れず。
 やっと戻って、さあ仕事を片付けるぞ…。
 ジャイアント・シルバ&ジャイアント・シン。でかすぎ、強すぎ。藤波&サムライでは歯がたたないでしょう。体が違いすぎる。
 沢田健二コンサート。ああ、ジュリーが歌っているの久しぶりに見たなあ。太ったけど、歌は以前のまんまだ。ヨカッタヨカッタ。…、あれ、もう夕方だ。
 サマリー3冊仕上げ。結局本日の成果はこれだけ。
 「M.I.2」をWOWWOWで。トム・クルーズ格好良すぎ。映画公開時に妻と見に行ったが、改めて面白い。殆どスタント無しにトム自ら行ったという、アクションが本当によい。

2002.3.25.(月)
 午前中の教授回診後に、臨時の医局会。来年度はどうすると〜会議。
 少し病棟業務。
 保険指導委員会。また医療保険制度が変わるので(基本的に全て減らされる方向に)大変だなあ。
 リサーチのミーティング。

2002.3.26.(火)
 天気の良い日。浜野病院までドライブ。EBV & CMV。
 110
 医科大へ戻ると、早くも外来分のレセプトがっ。
 キヨミちゃん、ようやく辞表を提出。承認喚問を求めているらしいが、もう止めときなさいって。潔く退いて、仕切り直した方が、これ以上のイメージ・ダウンを減らせると思うよ。
 これで、ムネオちゃんとカトちゃんの首も危なくなってきた。さてどうなりますやら。
 モモが「だるまさんがころんだ」「さいしょはグー、じゃんけんぽい」できるようになって、ビックリ。子供の成長てのは凄いなあ。

2002.3.27.(水)
 森田さん曰く、今回の辻本さんの辞職は初めに潔く止めていればよかったが、1週間延びた事で自民党にも鈴木/加藤両氏を守る余裕を与えてしまった。承認喚問で高まった政治浄化の流れを止めてしまった事で、最低であったとの事。なるほど。
 外来は予約が少なくて、楽な一日。
 しかし、またしても某科の某Dr.が自分のところに遅く来た新患が沢山廻ってくるなどと文句を言っているらしいので、医局間同士の正常な関係を損ねるものとして、こちらから逆にクレームをつける。遅く来た患者さんを診たくないというような、そんなレベルの医者に新患外来を担当する資格はない!
 骨髄穿刺を2件。
 CCS学生さん相手のスライド・レクチャー。
 吉村達也著「卒業」(角川ホラ−文庫)。精神の正体とは? コンピューターのように簡単にインストールし直したりできるものか? を問う哲学的ホラー。
 モモ今度は、1 2 3 4 5 6 7 8 9 10をたどたどしいながら言えるように。時々間違えるのも御愛嬌。
 ミハ、コンコン風邪気味。

2002.3.28.(木)
 晴天なり。あさボラけ?
 医局会のあと、何故だか急激に眠気が襲ってきて医局で仮眠。
 17時からIRB…の予定が、その前の教授会というのが長引いたらしくしばらく待ちぼうけ。始まったのは結局18時。先月Pendingになった、「TMによる多発性骨髄腫の治療」「JALSG MM200」「JALSG GML200/GML200P」「JSCT CHASE-MCEC vs CHASE-LEED Randomized Phase II Study」を審議していただく。
 医局で飲み会。名目はイシダ先生の御苦労様会&私の内科専門医取得祝いという事で、わざわざ祝っていただきありがとうございました。

2002.3.29.(金)
 昨日とはうってかわって、いつもの北陸、どんよりとした天気。
 次週分の指示だしだけで、15時までかかる。外来に呼ばれたり、入院患者さんに呼ばれたりで、効率悪すぎ。
 個人チェックリストを仕上げて提出。これを参考に、実家のリバイバル・プランを作成する事にきめる。
 再度病棟に呼ばれ、原因不明の不穏状態に陥った患者さんのケア。いろいろ検索するも何が起こったのか、さっぱり不明。何だ何だ??? とにかく暴れていて静脈路確保や採血もままならない。ドップリ疲れる。

2002.3.30.(土)
 原因不明の不穏状態:実は急性膵炎であった事が判明し、大わらわ。
 しかし、とある用事が14時にあっててそれまでに帰る約束をしていたのだった。当直キン先生にいままでの経緯を伝え(後は当直医&主治医にお任せする)、ダッシュで帰宅。ギリギリセーフ。
 ミハ&モモを連れて恐竜公園へ。若いエネルギーを発散させる。

2002.3.31.(日)
 午前中は良い天気→午後からは崩れるでしょうという予報。
 で、朝早くから準備して兼六園へお花見へ。

車は案の定混雑。厚生年金会館の駐車場に止め、兼六園まで移動。まだ5分咲きくらいだが、来週になればもう遅いだろう。全くなんて暖春なんだ。ミハ&モモは勿論、花よりワタアメ&リンゴアメ。早くからワタアメを買ってうろうろしているうちに、言わんこっちゃない、ワタアメはどんどん萎んでいく。教訓:ワタアメは最後に買う事! 

 厚生年金会館の2階のレストラン香林で昼食。
 劇団飛行船マスクプレイミュージカル「アラジンと魔法のランプ」@石川厚生年金会館。ミハは、結構面白かったあ〜って。モモも途中まで盛り上がって見ていた→最後は寝てしまいましたが。
 帰りの車が、またまた大渋滞。
 ミハを引き連れて医科大バスケ部のOB戦へ。本当はバスケをやりたくて仕方ないのだが、最近両下肢の関節&靱帯がユルユルで、やれば確実に怪我をすると思われるため、OB戦は見てるだけ。ミハとボールで遊ぶ。その後、飲み会@内灘市場。日本酒を久しぶりに飲み過ぎたのか、帰ってから気持ち悪くてすぐダウン。