研究内容
以下の3つのプロジェクトを展開する予定です。
上皮3次元構造の維持機構
低分子G蛋白質Rac1の活性化因子 DOCK5の生体における機能
外科材料を用いた脂質量と悪性化の関連
上皮3次元構造の維持機構
MDCK細胞はイヌ尿細管由来の細胞で、通常の培養皿にまけば自発的に遊走するが、細胞外マトリックスに富んだ環境ではシストと呼ばれる3次元構造を形成する。我々の身体の腺上皮組織は、基本的にはシストかチューブといった形態を取っている。シストは内腔が液体に満ちたボールのような構造で、チューブは細長いチューブ構造であるが、両者に共通するのは、上皮細胞が極性を持って単層に規則正しく並んでいることである。細胞が悪性化した場合、この規則正しい構造は崩れ、それが病理学的に診断する重要なポイントの一つである。
様々な遺伝子の変異より構造が崩れるがその機序は常に同じなのだろうか?そもそもどのように上皮構造は維持されているのだろうか?
FRETバイオセンサーは蛋白質の局在だけでなく、その活性を生きたまま観察できるすぐれものであり、培養細胞での信号伝達の時空間情報を収集してきた。しかし、上皮構造のようなできるまでに1週間以上かかる構造では、バイオセンサーを恒常的に発現させることが出来なかったが、近年それが克服された(詳細はMBC, 2010)。またレンズの色収差の補正が進み、正しいFRET値を算出することも可能になった。京大の学生・八木氏が系を立ち上げ、MDCK細胞を用いて3次元構造のRhoファミリーG蛋白質の活性パターンを見てみると、RhoA, Rac1, Cdc42の活性が各々異なることがわかった。そのなかのRacは、成熟した構造になると側方で活性が高く、頂部で低いことがわかった。ラパマイシンによるFRB-FKBPのヘテロオリゴマー形成の系を用いてRacの空間的活性化パターンを乱すと、タイトジャンクション・細胞の極性が消失し、細胞の分裂軸が異常になり、細胞が内腔に満ちてくることが観察された。Rac1の活性化は報告がないが、そのスプライスバリアントであるRac1bが前癌病変から発現が見られること、Racの活性化因子も高発現が見られることから、Rac1の空間的活性化の乱れが、ある種の癌の形態を制御している可能性を示唆している。
現在大腸癌で変異の見られるK-Rasの恒常的活性化型を発現させ、ライブイメージングでしかわからない現象を観察している。今後は詳細な分子基盤を解き、外科材料や生きたマウスによる検証を行う予定である。
低分子G蛋白質Rac1の活性化因子 DOCK5の生体における機能
DOCK180 (180kDa protein Downstream of Crk)は、アダプター分子CrkのSH3領域に結合する分子として長谷川(現感染研部長)が単離同定した分子である。cDNAとしては5kbpもある大きな分子で5‘末端の配列が決まらず、胃に穴があくほど大変な作業であったと聞いている。私はこの単離論文のリバイス実験を行うところからDOCK180プロジェクトに参加し、「DOCK180の機能を明らかにする」というのが博士の課題として与えられたものであった。最初の論文では既に、膜移行信号を付加したDOCK180は細胞の形態を大きく平坦に変形させることから細胞骨格を制御する信号伝達に関与することが示唆されていた。
平坦になるならインテグリンからの信号を制御しているだろうと、DOCK180のリン酸化を調べ、接着斑に局在し、Crkの上流因子p130Casのリン酸化を誘導することを明らかにしていたが、どのように細胞を平坦にしているのかはわからないまま2年以上経過していて閉塞感を感じていた。論文をパラパラと眺めていると、恒常的活性化型Racを発現している細胞と形態が似ていることに気が付いた。当時松田研で市場(慈恵医大)がC3Gの機能解析をするために立ち上げたIn vitro kinaseアッセイでJNKの活性を調べてみると、DOCK180の過剰発現によりJNKの活性化が上昇することを見つけ、文字通り椅子から飛び上がり喜んだ後は、核酸がないRacと結合すること、TLCでRacが活性化することなど、定石通りGEFの特性を調べることでRacの上流因子であることを証明した。
この論文の審査には6人のレビューアーが付き、皆一様に「面白い」といってはくれたが、信じているとは感じられぬコメントだった。Settlemanがハエの系で同様の発見をしていたことも事前にわかっていたのでback to back で出版される運びとなった。JNKアッセイ、試験管内のGEF/GAPアッセイ、RasのTLCなど低分子G蛋白質を研究するプロトコルが松田研究室で揃っていなかったら、このように早くは展開できなかっただろうと思う。またこの研究は現在では「タコつぼ型」?と揶揄される、システマティックな情報伝達解析からはほど遠いものであるが、学生として一つの分子に集中できたことは幸せだった。
この後DOCKファミリー群と称されるように組織特異的に発現・機能する複数のDOCKが発見された。そのなかのDOCK5は、自然発生マウスRLC (Rupture of Lens Cataract)の原因遺伝子として日合教授(元京都大学病態生物医学・旧第一病理)が退官前に同定したものである。RLCマウスは目が白く曇るが、これはレンズの白濁によるものではなく、レンズ脱臼によるものである。それはレンズ上皮接着が脆弱なためであると考えられていた。調べてみるとDOCK5のDHR1ドメイン(脂質との結合に必須な領域)のエクソンの27bpの欠失であったのだが、組織ではDOCK5の蛋白質の発現が見られないことがわかった。以上のことはDOCK5がレンズ上皮の維持に必須であることを示している。27bpの欠失がどうして蛋白質の発現低下を導くのか、またDOCK5はどのような分子機構でレンズ上皮の接着を維持しているのか、について今後明らかにしたい。
外科材料を用いた脂質量と悪性化の関連
FRETバイオセンサーのよいところは生きた細胞で蛋白質の動態を見れることだが、意地悪な見方をすれば、固定した細胞・組織でもリン酸化抗体を用いれば空間情報は得ることが出来るのではないか、ともいえる。
脂質の場合はホルマリンやアルコール類で固定しては、抽出されたり局在が変化するため観察することはできない。イノシトールリン脂質群とその代謝産物であるジアシルグリセロールやホスファチジン酸のFRETバイオセンサーは、東大の佐藤・梅澤研や京大・松田研で開発されてきた。今後はこれらのバイオセンサーを外科材料に導入し、これまで培養細胞で観察してきたことが本当に実際の癌でも起こっていることなのか、を検証したい。
